第26話 ハメられた?

 晩餐のあと、母さんは「女同士の話」とやらをするために、ワインボトル数本とともに女王陛下の私室に呼ばれて行ってしまった。


 ベアトリクス王女は平然として晩餐を楽しみ、母さんとも話が弾んでいたようだったが、今は侍女に連れられ湯浴みをしに行っていて、今日は早く休むらしい。まあ、王女殿下も疲れたのだろうな……いきなり初対面の男を連れて来られて「こいつと結婚しろ」だもんな。表面的には平然としていたけれど、心の中には嵐が吹き荒れていたのではないだろうか。


「ルートヴィヒ様、この後はいかがいたしましょうか。ご成人なさった方であれば、場所を変えてお酒など召し上がられることが多うございますが……」


 一人ぽつねんと取り残された俺に、老侍従が控えめに声を掛ける。


「今日は疲れたんで、早く寝たい気分です。客室に案内頂けますか?」


「いえ、それはまだ準備ができておりませんで……」


 王宮に客室の用意がない? ちょっと変だなとは思ったが、俺よりはるかに年上……元世界の俺くらいの齢である人を困らせるのは本意ではない。結局俺は侍従さんに誘われるまましゃれたラウンジでお茶をごちそうになって、しばらく話し相手になってもらった。


「今回の婚約話、侍従さんの立場から見て、どう思われます?」


「そうでございますね、ポズナン王国の王子殿下あたりが年も近く、王配候補として迎えられるのかと考えておりましたので、私も意外に思いましたが……聞けばルートヴィヒ様は前代未聞の『洗礼』成績を挙げられました由。王国を安寧たらしめるためには、王族は優れた人物を出し続けねばなりません。それを考えれば、よい選択なのではないかと存じますが」


「そう言われるとなるほど、とも思うのですが……未だに俺の子がみんな優秀ってところが、信じられないというか」


「ルートヴィヒ様は、十分良血でいらっしゃる。名高き炎の英雄閣下を母に持ち、父上を同じくする兄上様も種付け料金貨百枚の超有望株と言うではありませんか。今回の『洗礼』も、偶然ではありません。大丈夫です、きっとベアト様との間に、特別な女子を儲けられるでしょう」


 侍従さんは、王女様をベアトと愛称で呼んだ。きっと生まれた時からずっと、家族のように見守ってきたのだろうな。


「そのベアト……様は、今回のことをどう考えておられるのでしょうね?」


「どうでしょうね……私もベアト様がご誕生になってよりずっとお仕えしておりますが、ご自分の感情を外に出さないお方ですので」


「感情を……」


「ご自分の権力が大きいことを、子供のころからご理解されておられたのです。ベアト様が使用人に怒れば、彼はクビになる。相手が貴族であれば、家の存続にも関わる……それゆえ、常に理性を優先し、己の好き嫌いは抑え込んで生きて来られた、そんな方なのです。だがベアト様とて一人の少女であられる、激しい感情が、ないはずはないのですが」


 そうか。生まれながらに権力の頂点にいる一族ってのも、大変なんだろうな。そんな力を持って生まれたら、勘違いしておごり高ぶるのがお約束かと思ったが……ベアトリクス王女は、そうではないらしい。感情の乏しそうな会話から彼女をちょっと誤解していたけど、彼女は心の優しい女性なんだ。


「ですから、ルートヴィヒ様には、ベアト様の素直な気持ちを、聞いてあげられる男性になって頂きたいのです。王族にはいろいろな方向から重圧がかかって参ります……ベアト様はいずれ王位を継がれる御身、そのストレスは想像もつかないほど大きい。それをずっと自身の内にため込んでおられては、いずれ心を病んでしまわれるでしょう。ですから……」


「わかりました。一足飛びに婚約者になってしまいましたけど、まず友人として心を開いて頂けるように頑張ります。でもどうやったら、あの方が愚痴を吐き出せるほどの信頼を勝ち取ることができるのでしょうね?」


「大丈夫でしょう。私のような老体に言われても信じられぬでしょうが……ルートヴィヒ様は、見た目と違って、心はずっと年上のように感じられるのです。大人として、ベアト様を包み込んで差し上げられるでしょう」


 うっ、この老侍従、あなどれない。ちょっと茶飲み話をしただけで、俺の精神年齢が見た目と違うことをあっさり見抜いてきたのだから。


 もう少しこの人と突っ込んだ話がしたい、そう思って俺が身を乗り出した時、若手の侍従が音もなく入ってきて、老侍従に何かささやいた。


「寝室のご用意ができたということでございます。お名残り惜しいですが今晩はここまでと致しましょう。今後、いくらでも機会はありますゆえ」


 そうだな、残念だが今日はもう寝よう。怒涛のイベント攻勢は、さすがにこの若い身体にも、キツいものがあったよ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 若い侍従にいざなわれた離宮は、華美な装飾を排した落ち着いたしつらいで、俺の好みに合う。キンキラの調度品は王家の権勢を示すためには必要なのかもしれないが、生活スペースにそんなものがゴロゴロしていたら、元世界庶民の俺は落ち着いて眠れなくなっちゃうからなあ。


「お休みは、こちらでございます」


 落ち着いたデザインの大扉が開けられると、その向こうはオイルランプの暖かでほのかな光が控えめに調度を照らすだけの、落ち着けそうな空間だ。


 深く一礼する侍従に会釈して部屋の中に入ったとき、何だかふわりと甘い匂いがした。何か覚えのあるこの感覚は……そういえば元世界で高校生の頃、彼女の部屋に初めて入った時の感じに似ている。


 そんなことを考えていた俺の耳に、背後で大扉に錠が下ろされる重々しい音が飛び込んできた。え、嘘だろ? 王宮って、来客を閉じ込めるような真似をするのか?


「ちょ、ちょっと待って!」


 叫べど、扉の向こうは無言だ。おいおい、どうすりゃいいんだよ……その時ふと、背後で衣擦れの音がする。振り向いた俺は、そこにいた人の姿を見て仰天した。


 夜着姿のベアトリクス王女が、そこにいたのだから。



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