第18話 姉さんの帰省

 そろそろ夏も終わり、俺は十四歳になった。学校にもすっかり慣れ、クラウスやディーターとも仲良く、思春期男子っぽいバカ話で盛り上がっている。時々グレーテルに拉致られて甘味に付き合わされたりするのも、いつものことだ。


 リーゼ姉さんは国軍工兵隊に入って以来、ずっと寮生活だ。あれ以来ウォーターカッターの技に磨きをかけ、新人だというのに隊内の評価が爆上がりしているらしい。その姉さんが一ケ月ぶりに外泊許可をもらって伯爵家に戻ってくるというので、みんな朝から少し浮き立っている……特に、母さんが。自分も軍務で忙しいはずなのに、今日は有給休暇など取って、入れ込んでいる。


「迷っちゃうわ、リーゼに何を食べさせようかしら、せっかく帰ってくるんだからうんと美味しいものを……」


「落ち着いて、ヒルダ。特別なことはせず、あの子の好きなラム肉のソテーでいいと思うよ、アヒムに買いに行かせたから心配しないで」


 本当に、こういう時の母さんは、まるで少女のようで……父さんはそれを優しく包む春の日射しのようだ。俺にもこんな平和な未来図はあるんだろうか……まあこっちの世界では「お婿さん」として迎えてもらうこと自体が、なかなか難しいみたいなのだが。


「母さん、父さん、ただいまっ!」


 そんなこんなドタバタしているうちに、姉さんが帰ってきた。国軍の制服を着ているせいだろうか、ちょっと見ていないうちに、また少し大人っぽくなった感じだ。そして、表情には自信が満ち溢れていて……なんだかあの卒業パーティー以来、別人みたいにかっこよくなっちゃったんだよね。


「リーゼっ!」


 走り寄った母さんは、姉さんをいきなりぎゅうぎゅうと抱き締める。


「ちゃんとご飯は食べてる? 先輩に意地悪はされてない? 訓練がきつかったらいつでも……」


「大丈夫です、母さん。この通り心身ともに健康、魔法制御力もまだまだ成長中です! 多少何か言ってくる人はいるけど、気になりませんよ……私は、英雄の娘ですから!」


「……強くなったのね。一緒に働く日を、楽しみに待っているわ」


 姉さんは工兵隊、母さんはバリバリの実戦部隊。戦争でも起こらない限り同じ現場に立つことは少ないだろう。だけど姉さんの目に宿る強い光を確かめて、母さんもちょっと安心したみたいだ。


「さあリーゼ、ヒルダ。お茶の用意が出来ているよ、話したいことはいっぱいあるだろうけど、まずは喉を湿らせようか」


 父さんがいつものように、大人の振る舞いでその場を締めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「そうなのね。いよいよジークも、種馬活動スタートというわけかあ」


「だから今日はカッセル子爵家へお泊りと言うわけ、会えなくて残念ね」


 茶席の話題は、珍しく家にいないジーク兄さんのこと。二年前の「洗礼」成績が良かった兄さんは、一晩百金貨と言う高額な種付料にもかかわらず、下級貴族を中心にすでに複数の申し込みを受けている。先日十六歳を迎えたことを機に、お相手を選びつつもそれに応じていくことにしたのだ。


「あの子は将来必ずAランク種馬になるわ、アルブレヒトに似て容姿端麗だから、しばらくは良いお相手を選べるだろうし……最終的にはSランクだって夢じゃないわね」


「そうね、ジークがカッコいいのは、お父さんの血よね」


「ははは、そんなことを言われたら照れてしまうよ」


 みんな紅茶を口にしながらにこにこと家族団らんを楽しんでいるのだが、話している内容は生臭いこと、この上ない。この話題が俺に飛び火しないことを祈るばかりだ。


「そう言えば、あとひと月も経てば、ルッツも『洗礼』のお相手が赤ちゃんを産むわね」


 うっ、やっぱりこっちに来たか……勘弁してくれよ。


「ルッツは渋っていたけど……そろそろ『種馬』する覚悟はできた?」


「いや、俺はまだ……」


「ねえ、ルッツがちょっと変わった倫理観を持っているのは、なんとなく知ってる。きっとその考え方も、間違ってはいない。でも、姉さんにはわかるんだ……貴方には、種馬として素晴らしい素質がある。それを活かして、生きる道を拡げて欲しいの」


「うん、理屈では、わかってるんだけどさ…」


「ルッツは、評価されていなかった私の魔力を活かす道を、私に教えてくれた。諦めていた私の背中を押して、もう一度望みを叶えるチャンスをくれたんだ。そんな貴方が、あふれる才能を活かしてないなんて、悲しいのよ」


 てっきりイジられているのかと思っていたけど、俺に種馬をやれと説くリーゼ姉さんの視線は、真剣そのものだ。本気で、俺の人生を心配してくれているんだな。だけど、ちょっと疑問があるんだよ。


「ねえ、姉さん。アドバイスは嬉しいんだけど、俺に『種馬』の才能があるなんて、どうしてわかるの? まだ『洗礼』の成績は、出てないんだけどな?」


 俺の質問に、リーゼ姉さんは待ってましたとばかりに何やらカバンをごそごそ漁ると、緑色の表紙のついた薄い本をテーブルにぽんと置いた。


「これよ!」


「何だい、これ? 『裏スタッドブック』?」


 おい、「裏」って何だよ?



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