抑=画の章 無垢の工場

第1話 無垢の工場

 そもそも、僕は自ら進んでこの工場にやって来たのだ。誰かに命令されたからでも、何かに陥れられたという訳でもない。今のところ、そう記憶している。


 僕は一人の人間。この工場に働く一つの部品。


 朝目が覚めると与えられた持ち場に付き、その日の仕事が始まる。朝礼や会話すら無くただ労働を強いられる。僕が、この生活に何の不満も疑問も抱かなくなったのはいつからだろうか。


「嫌だ!い、一旦待ってくれ!頼む、調整だけは!おい!あぁ……うわぁぁぁ!」


 僕と同じ制服を着せられた男が、大作業場から別室へ連れられて行く。彼がどんな違反を犯したのかは知らない。気になりもしない。僕が彼を見て思うことは一つ、絶対にああはなりたくない。



「アハハハハアハハハハアハハハハヒャッハー!お、俺は自由だ!お前らなんか怖くないっっぞぉ!ひ、ひぃっ!イヒハヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


 ある男が制服を脱ぎ捨て裸になって、大声で怒鳴り散らした。ここに順応できず気が触れる者は定期的に発生する。その末路は皆等しく、庭の肥料として生き埋めにされる。


 もっとも庭はおろか、工場の近辺に植物を見かけた事は一度もない。人間以外の生物を見た事がない。



 今日も、目が覚めると持ち場につく。僕が寝泊まりする場所は第一倉庫と呼ばれている。三段ベッドが所狭しと並べられ、およそ六百人以上の作業員が夜を過ごす。


 倉庫が合計で幾つあるのかはわからない。ただどこの倉庫でも、備品が独り歩きするなんてことはあり得ないだろう。


 第一倉庫から大作業場までは外の通路を通る。この生活で空を眺める事ができるのは出勤と退勤の限られた短い時間だけだ。だが堂々と見上げようものなら即調整として監視員に連行される。


 僕は毎日この時間歩きながら、目一杯横を睨むことで辛うじて空を視界に入れている。今日はねずみ色の雲が満遍なく広がっていた。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」


 今日も持ち場につき、仕事をする。最近は違反者が続出しているような気がする。彼らは工場の地下にある一室で、調整を受ける。僕も一度受けた事がある。


 調整の最も恐ろしい所は、ものの数分で済んでしまうことだった。受ける者にとっては終わりの無い永遠の苦痛に感じても、実際は十分もせずに仕事を再開させられるのだ。さっき連れて行かれた彼も、今は大人しく黙々と作業をしている。


 違反者は椅子に固定されベルトを装着させられる。ベルトから電流を流され、始めに堪え難い痛みが。次に三人の調整官から大声で厳守すべき規律が。その後何らかの薬剤を打たれ気絶と覚醒を繰り返し、延々悪夢を見せられ続ける。


 僕が覚えているのは確かこんな工程だった。しかし調整を受ける前の記憶が定かではないため、実際に何が行われるのかはわからない。


 調整を受ける前、恐らく僕にも人生というものがあり、両親や兄弟、友のような者が存在していたのかもしれない。しかし、今の僕にはこの持ち場と工場で働く上で必要な記憶や知識しか持たされていない。



 感情も夢も思考も言葉も何もかも取り上げられ、持ち場につき、今日も、仕事をする。僕たちは生物と呼ばれても良い存在なのだろうか。


 いっそ不毛な庭の肥やしになる方が、よっぽど生き物らしいのかもしれない。


「なんで皆、こんな奴らに従ってんだよ!?俺たち全員が逆らえばこんな奴ら!くっそ、離せや!なんで、お前らも本当は――」


 白い制服、白い天井、白い床、白い壁、白い機械、白い空間に飛び散った彼の中身は、どうしようもなく赤過ぎた。あの赤が、僕の中にもあると思うと、やはり僕は、絶対にああはなりたくないと痛感した。


 僕はここに居られるなら生物でなくても良い。ずっと、ここに居たいと思う。

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