エピローグ

 九月一日。二学期始めの登校日となった本日、俺は放課後すぐには帰途に就かず校門の前で待ち合わせしていた。

 一緒に帰ろう、という約束を早那としているのだが、登校初日でクラスメイトに引き止められているのか中々来ない。

 校門を出ていく生徒の流れの中にカップルの姿を見る度に緊張する心を深呼吸で落ち着かせていると、背後から何者かが接近する気配を感じた。

 早那かと期待して振り向くと、なんとも期待外れの女子生徒が立っていた。

 性格と同じくさっぱりとしたショートカットに、長い間見てきた根明らしい曇りのない表情。


「なんだ恭子か」


 詰まらない気分でぼやくと、恭子は露骨に眉を顰める。


「がっかりしないでくれる。早那ちゃん以外にもあんたに話し掛ける人はいるんだから」

「まあそうだが、人待ち顔をしている奴に気安く話し掛けないでくれ」

「通りかかったから声掛けただけよ。校門で待ち合わせる人なんて他にいないから目立ってたしね」

「え、目立ってる?」


 恭子の言葉に慌てて周囲を眺め回す。

 よくよく観察してみると、校門から出てくる人は大勢いるが待ち合わせをしている人は他に見当たらない。

 ほんとだ。


「輝樹。ほんとだって顔してる」


 正解だ。

 相変わらず恭子は俺の考えていることを読むのが上手い。

 推察力に感心していると、恭子は肩に掛けた学生カバンを持ち直しながら微笑する。


「早那ちゃんを待ってるんでしょ。教室まで迎えに行けばいいのに」


 言われなくても迎えに行ってやりたい気持ちはある。

 だが気持ちに反して早那の返答は違ったんだ。


「迎えに行くのは俺も提案したよ」

「提案はしたんだ」


 言外にじゃあなんでここにいるの、と恭子が問う。

 理由を答えるとなると口元が緩みそうになる。


「早那に断られたんだ。それで……」

「もう関係が冷めたの?」


 真顔で訊いてくる。


「失礼な。まだ冷めてないわ」

「残暑が煩わしい時期なのに。冬に入るのが早いわよ」

「冷めてないって言ってんだろ。話は最後まで聞け」


 まだ続きあるんだ、と恭子は興味を持った顔で俺の言葉を待つ。

 思い出すだけでニヤけそう。


「お兄ちゃんのカッコよさがバレるから教室に来ないで、って言われた」

「…………あ、そう」


 話を聞いた恭子の目が氷を纏ったように冷え切った。

 共通の知り合いである恭子なら微笑ましげに聞いてくれると思ったのに。


「そんな冷めた目で俺を見るな」

「自分が彼氏だったら早那ちゃんの言葉も嬉しいだろうけど、他人の話として聞くとすごく詰まらないわね」

「仕方がないだろ、ほんとの事なんだからな」


 言い訳っぽく俺が返すと、恭子は面白そうに笑った。


「まあでも、二人とものろけてるのは伝わってきたわ」

「のろけてるのか、これぐらいで?」

「完全にね」


 確定するように言ってから表情を緩める。


「でも、あたしは輝樹と早那ちゃんが幸せなら気にしないわ。愛し合う二人がのろけるのは予想できたことだもの」

「恭子には俺と早那がのろけることも折り込み済みだったのか」

「あたしは両親以外で長い間二人の事を見てきた数少ない一人なのよ」


 誇らしげな微笑を浮かべてから俺の肩を小突く。


「だから、もしも早那ちゃんを泣かすようなことしたら、あたしがあんたを成敗しに行くから。よろしく」

「よろしくしたくないぞ」

「それじゃ、二人の邪魔はしたくないから行くわね」


 恭子は昇降口の方向をチラチラ見ながら、悪戯っぽいニヤケ面で俺の横を通り過ぎて校門を出ていった。

 やはり恭子は早那贔屓だな。

 恭子が早那陣営であることを追認して目線を切り、早那が来るのを待って昇降口の方へ向き直る。

 ちょうど、早那らしき女子生徒が昇降口から出てきたところだった。

 一目で早那だとわかる距離まで近づいてくると、早那は俺の視線に応えるように笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん!」


 俺を呼びながら駆け寄ってきた。

 機嫌がいいのか嬉しそうな顔でいきなり俺の腕に両腕を絡ませてくる。


「やっとお兄ちゃんに会えた。へへへ」

「ほら早那。他の人が見てるからやめるんだ」


 覗き見るような周囲の視線を感じて注意するが、本心では可愛くて仕方がない。

 両思いだと知って付き合い始めてから早那のスキンシップは度を増している。

 嫌われたくないから邪険には扱えないし、早那とこうして触れ合っていると俺の方も幸せを実感できる。

 腕を絡めてきた早那を眺めていると、早那の頬が次第にピンクに染まってきた。


「さすがにちょっと恥ずかしくなってきちゃった」


 赤らめた顔ではにかんで俺の腕から離れる。

 帰るか、と俺が促して二人で並んで家路に就いた。

 校門を抜けて周囲の目が少しだけ剥がれるのを感じながら、俺は今日一日中気になっていたことを尋ねる。


「早那、初めての高校がどうだった?」

「クラスのみんなが優しくしてくれた」


 答えてから思い出したように微笑する。

 さまざまなクラスメイトの心遣いを嬉しそうに話す早那を見ながら、俺は胸を撫でおろした。

 一人遅れて高校生をスタートさせた早那がクラスで浮いてしまうのではないか、と心配していたのだが生来の愛嬌の良さのおかげか一日目にしてクラスメイトと親交を持てたようだ。

 今日は朝から今まで早那のことばかり気にかかっていたが、どうやら心配なさそうだ。


「それなら、これからの高校生活も大丈夫そうだな」

「うん。でも……」


 早那は頷きながらも上目遣いに俺の顔を覗き込む。


「友達が何人いても私はこうしてお兄ちゃんと一緒に帰りたいな」


 いちいちドギマギさせてくれる。

 緩みそうになる表情を引き締めて兄として忠言する。


「そう言ってくれるのは嬉しいが、友達から誘われた時まで俺と一緒に帰るのに拘るなよ。付き合いが悪いと友達が少なくなっちゃうからな」


 友人が両手で数えるほどもいない俺が言えたことではないのだが。

 俺の忠言を聞いた早那は不思議そうな顔になる。


「でも、お兄ちゃんと私は恋人だから友達より優先してもおかしくないよね?」

「……まあ、そうかもしれないけど」 


 長い間兄妹として過ごしてきたので、中々恋人という響きに慣れない。

 両親も公認の間柄なのだから隠し立てすることもないのに、兄妹気分が抜けきらない自分が情けない。

 自省の気持ちを抱いていると早那が満面の笑みを向けてくる。


「恋人なんだけどお兄ちゃんはお兄ちゃんのままでいいんだよ。恋人になる前からお兄ちゃんの事好きだったから」

「あんまり恥ずかしいこと言うなよ」


 早那といると自分の行動を客観的に見たくなる。

 そんな好意を向けられるほどの事をしているのだろうか?

 振り返ってみるが思い当たる節はない。


「お兄ちゃん照れてる?」


 少しイタズラっぽさを含んだ声で早那が訊いてくる。

 図星を指されて俺は無言を返した。

 へへへ、と早那は喜色を浮かべて笑う。


「夢の世界でもそれぐらいの反応見せてほしかったなぁ」

「あの時はまだ妹としてしか見てなかったから仕方ないだろ」


 恋人になってから早那は好き好きオーラを隠さなくなった。

 夢の世界で服を脱ぎ始めた時よりも、好き好きオーラを出す早那といる方が照れ臭いんだよな。

 早那を恋人として眺めると笑顔が眩しくて俺は顔を逸らしてしまう。


「お兄ちゃん。今こうして思うと、夢の世界よりも現実の方が楽しいね」


 前触れもなく感慨を含んだ声で早那が呟いた。

 突然の発言に驚いて視線を早那に戻すと、早那は微笑んだまま言葉を続ける。


「私が夢の世界で楽しい時間がずっと続けばいいのにって言ったの、お兄ちゃん覚えてる?」

「覚えてる。パフェを食べてた時だろ」


 あの時、珍しく俺が同意せず意見が分かれた。早那の考えを尊重したいと常日頃から思っていたが、あの時だけは俺もさすがに同意しかねた。

 早那が観念したような笑みを浮かべる。


「あの時はお兄ちゃんと対立したけど、今はお兄ちゃんの意見に賛成かな」

「心変わりか。何かあったのか?」

「だって楽しい時間がずっと続くと満足しちゃうもん。こうしてお兄ちゃんと毎日違う話題でお喋りできないし、お兄ちゃんと恋人になれないままだったと思う」

「夢の世界で俺たちが恋人になる可能性はなかったのか?」


 早那の言い方を聞いていると自然と疑問が湧いてきた。

 なれなかったよ、と早那は断言する。


「私はお兄ちゃんと一緒にいるだけで満足だったもん。夢の世界が壊れる寸前になってやっと告白する勇気が出たの。何も起こらなかったら告白できなかったよ」

「ごめんな。俺の方がもっと前から早那の好意に気が付くべきだった」


 俺にも非がある、と考えて謝った。

 それでも早那は首を横に振る。


「お兄ちゃんが謝ることないよ。私だって恭子さんを登場させてお兄ちゃんを試すようなことをしたんだもん」


 恭子か。

 俺と遊びたいだけなら恭子を夢の中に出す必要はなかったはずだ。

 それなのに早那はわざわざ恭子を夢の中に登場させたのだ。

 前々から恭子を夢に出した理由が気になっていた。

 全てのほとぼりが冷めた今なら聞いてみてもいいかもしれない。


「その恭子について、ちょっと聞いていいか?」

「いいよ。何お兄ちゃん?」


 前置きして尋ねると、早那は意外にもあっさりと質問を促した。

 もしかしたら質問されるのを待っていたのかもしれない。


「どうして早那は夢の世界に恭子を登場させたんだ?」

「やっぱりそのこと気にしてたんだね」


 俺の問いかけを耳にして早那は予想通りという笑みを漏らした。

 夢の世界での恭子の存在理由とは何だったのだろうか?

 早那の口から直接聞きたかった。

 打ち明けるために口を開ける早那の表情が沈む。


「自信なかったんだ。お兄ちゃんが私と二人きりで遊んでくれるかなって」

「そんな風に思ってたのか?」

「うん」


 早那は頼りなげに頷く。

 俺に対して早那が不信感を抱いていたなんて。

 胸中の驚きを察したように早那が言葉を続ける。


「だってお兄ちゃん、恭子さんといる時楽しそうだもん」

「楽しそうか?」


 恭子とはなんでも忌憚なく言い合い、口喧嘩になることもしばしばだが?

 その様子が早那には楽しそうに見えていたのか。


「お兄ちゃんと恭子さんを見てると長年連れ添った夫婦みたいだもん。お互い対等で喋ってる感じでちょっと悔しかった」

「確かに、恭子とは長い付き合いだけど」


 見る人によっては夫婦みたいに見えるんだな。

 恭子との仲を言及されて夫婦だと例えられたのは初めてだ。


「だから、恭子さんを夢の中に出してお兄ちゃんの反応を確かめてたの。もしもお兄ちゃんが私よりも恭子さんと選んでたら……」


 そこまで言って早那は声を詰まらせた。

 俺が恭子を選んでいたら、早那は――

 その先を想像するのが怖かった。

 でも一言だけ早那には言っておかないといけない。


「早那の心配は杞憂だったな」


 俺の言葉に早那がポカンと口を開ける。


「き、杞憂?」

「そうだ。俺が恭子を選ぶなんてことはないからな。気付くのが遅かったが、俺はずっと前から早那の事が好きだったんだ」

「え。ほんと?」

「俺が早那に嘘をついたことがあるか?」


 そう尋ねると、早那の表情が緩む。


「うん。お兄ちゃんは嘘をついたことがなかったね」

「だから杞憂なんだよ。早那も俺に似て心配し過ぎのところがあるな」

「そりゃそうだよ。好きな人を見てると似てくるって言うもん」

「なんだそれ」


 愉快な笑いが俺の口からこぼれる。

 早那も照れ臭そうな笑みを返してくれた。

 ほんと、可愛い奴だ。一緒にいるだけで幸せな気分にさせてくれる。


「もうちょっとで家に着くぞ」


 笑顔に見惚れているのを誤魔化すために、早那の注意を住宅街の路地の先に見えてきた自宅へ向けさせる。

 喋ってるとあっという間だね、と早那の方から話題に乗ってきた。

 気恥ずかしい話ばかりでは心が休まらない。

 両親の面白エピソードで会話の花を咲かせていると自宅の前まで歩き着いた。

 路地に面した門柱と、門柱を過ぎた先の玄関ドア。

 見慣れた自宅の外観が今日だけはいろんな感慨を与えてくる。

 俺と同じ思いでいるのか、早那も自宅を複雑な視線で眺めていた。


「私たちを出迎えるためだけにお母さんとお父さんは今日お仕事休んでるんだよね?」

「長く待ち侘びた早那の高校デビューの日だからな。おかえりと返したいだろうさ」


 出迎える側になりたいが、帰ってくるのは早那だけではない。

 長い長い旅行から本来いるべき日常に帰ってきた大事な日だから。

 俺の言葉に納得したのか早那が嬉しそうに微笑む。


「お母さんとお父さんが出迎えたいのは私だけじゃないよ。お兄ちゃんも一緒に、だよ」

「そうだな」


 今も早那は俺と似たような考えをしていたらしい。

 早那の考えに応えるように俺は玄関ドアに近づいた。

 後を追って早那がすぐ背後に立つ。


「お兄ちゃんが開けて」

「わかった」


 昔から早那は俺に着いてくるのが好きだった。

 そして俺も後ろに着いてきてくれる早那が好きだった。

 今もこうして恋人という関係になっても順序は変わらない。

 

――どれほど辛いことがあろうと変わるもんか。

 

 誓いながら俺はドアを開ける。

 リビングから母と父が顔を出した。

 やっと俺と早那は帰ってこられたんだ。

 偽物の幸せだった夢の世界から、本当の幸せがある日常に。

 満面の笑みで出迎えた両親に俺と早那は声を張り上げて告げる。


「「ただいま!」」


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ブラコン義妹とのイチャラブの日々+α幼馴染 青キング(Aoking) @112428

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