ケジャリー①

 ケジャリーとは、インド料理のキチュリから発想を得たスコットランド料理である。

 ケジャリーは植民地であったイギリス領インド帝国から帰ってきた植民により持ち込まれ、イギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期のヴィクトリア朝時代に朝食としてイギリス国内に紹介されることでアングロ・インド料理として定着した料理だ。

 ケジャリーは夕食の残り物をリメイクすることで魅惑的な朝食に変化させる料理であることも知られており、日本人である里藤の感性で言えば残り物炒飯に似通った料理であった。

 カレー粉も潤沢にある辺境伯邸の台所では手軽に作れる一品といっても過言ではない。


「使う材料は米、玉ねぎ、干しブドウにニンニクとバター。かつお出汁と……あぁ、茹で卵がいるな」


 調理台の下に収納している米袋からボウルに米を移しつつ、里藤が必要な材料を呟く。その材料を耳にしたクアッドが疑問を浮かべた表情で里藤に訊いた。


「飯にブドウを混ぜるのか?」

「多少の甘みはアクセントになるんだよ。従士組の分もいるか? あ、オヴィニットさんの分はもちろん用意しますよ」


 里藤の言葉にクアッドは破顔し、オヴィニットも柔和な笑みでゆっくり頷く。


「当然頼むぜ。雑用は遠慮なく言ってくれや」

「……そういえば、ディミトリにクアッドを見かけたら訓練場に来るように言付かっていましたが、まぁ、目こぼししましょうか。クアッドはリトー様の手足となって働くこと、よろしいですね?」

「おっす、了解です!」

「では、昼の鐘が鳴る頃に戻ってまいります。楽しみにしていますよ」


 そう言い残してオヴィニットは音もなく厨房から退室する。完全に彼の姿が見えなくなるとクアッドが息をついて肩をなでおろした。


「オヴィニットさんが苦手なのか?」

「師匠みたいなもんだからな……。こう、親父とかとは違う緊張感があるわけよ」


 わかるか? とクアッドは里藤に同意を求める。里藤も料理の勉強をする過程でたびたびそのストレスにさらされてきたのでクアッドの気持ちはよく理解できた。


「よくわかるさ。しかし、そのプレッシャーが技術を高める集中力をくれることもある。叱ってくれる人ってのは欲しいときにはいなくなってるもんだ」

「おまえさんもそんな人いたのか?」

「いたさ。とっくに死んでるがね」


 それ以上は触れるなと言わんばかりのオーラを里藤は全身から醸し出す。空気の読めるクアッドは素早く察して外に設置してあるバター用の手まわしチャーンを使うために勝手口から出た。気を遣われたことに恥ずかしくなった里藤は誤魔化すようにマダラの鱗とぬめりの処理へ移った。

 里藤は手始めに軍手代わりに布を手とマダラの間に挟み、目玉の外周をきっちりと押さえる。出刃包丁で鱗とぬめりをこそぎ落とし、ヒレの際なども丁寧に処理していき水洗いをする。続いて、カマの上で中骨と主骨を切り、肛門からカマ下まで腹を開く。そのまま喉下までカットし、頭をつかんで内臓を一気に引き吊り出した。


「内臓は賄いでじゃっぱ汁にでもするか」


 里藤は独り言をつぶやいて内臓をボウルに入れて邪魔にならない場所へよけた。

 じゃっぱ汁とは青森の郷土料理で、青森の方言でマダラのあらを「じゃっぱ」と呼び、これを適当に切ってから塩をまぶし、おおよそ半日から一日寝かせる。これらを煮干しだしで煮て、大根やねぎを入れてできるだけ澄んだ汁にする。これがじゃっぱ汁である。

 このじゃっぱ汁は下北地方のもので、味噌を入れる料理法も存在し、こちらは津軽地方のじゃっぱ汁となる。


「じゃっぱ汁ってなんだ?」

「早いな」


 バターをこしらえに行ったクアッドが勝手口から帰ってくる。時間にして五分ほどであり、あまりにも早い帰還に里藤は片眉をあげて訝し気にクアッドを見た。


「部下がいたから頼んだ」

「お前いつか刺されるぞ」

「リトーの賄い食えるって言ったら喜んで頼まれてくれたよ」

「……玉ねぎとベーコンを追加で持ってこい」


 わーいと歓喜の声をあげてクアッドは貯蔵庫へと潜っていく。調子のいい彼の様子に里藤は大きく肩を落としたが、気を取り直して調理を続行する。


 内臓を取り出したマダラの腹の内側を覆っている黒い腹膜を素手で引っ張り取り除き、先ほど使用したで血ワタをかきだして水洗いをする。最後に水気を清潔な布で拭き取って里藤はマダラの下処理を終えた。

 同時に両腕で山のように玉ねぎとベーコンを抱えたクアッドが貯蔵庫から戻ってくる。


「こんぐらいあれば足りるか?」

「何人分作るつもりだ……」


 ざっと十数人分はある材料を運んできたクアッドに対し、呆れが混ざった溜息をついた里藤であったが、ふと閃いたように調理台へ食材を置いたクアッドに提案をした。


「せっかくだ、お前の部下たちにも料理を教えてやるよ。今から作る賄いは材料さえあれば遠征でも使えると思うしな」

「マジ? そいつはありがてぇぜ」

「というわけで、クアッド君は外の窯で火を起こしておくように」


 了解と言ってクアッドが再び勝手口から飛び出す。里藤がマダラを三枚におろしているとクアッドが部下たちに話を通したのか野太い歓声があがった。


 とはいえ、里藤にとって給料を貰っている以上ボヌムの昼食が優先事項である。

 米を洗ってザルにあげておき、十五分ほど放置している間にまずは玉ねぎを薄切りにする。いつの間にかクアッドが準備しておいてくれたゆで卵を一個分輪切りにし、それ以外を粗みじん切り、ニンニクもついでに砕いておく。


「クアッド、火は熾したか?」

「おう、そっちの窯の火をもらってるから瞬殺だ」

「そうか。調理場でそっちの料理を教えるから人数絞って中に入ってくれ」


 里藤の一言が聞こえたのか一瞬だけ外は静まり返り、火が付いたように男たちの言い争いが始まった。

 秘匿技術を教わるチャンスだ。誰もが逃す訳がない、当然のことであった。


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