刺身と珍味

「昼食のことはさておき、今はこのスズキを食べてしまいましょう。クアッド、湯を沸かしてくれ」

「おう、任せな」


 クアッドは任されたと言わんばかりに手際よく窯に備えられた着火の魔道具を使って火を起こし、慣れた手つきで鍋に水を入れて窯へセットした。

 オヴィニットは普段やる気のないクアッドのテキパキとした動きに目を白黒させながらも、弟子である彼の成長に少しばかり口角を緩める。

 そんな彼らのことなど露知らず、里藤は包丁を柳刃に持ち替えて背身と腹身に切り分けつつ、両身の接合部に並ぶ血合骨を薄くそぎ取り、最後に尾の付け根をつかんで皮を引く。そのままそぎ切りにし、白い陶器の皿の上に渦を描くように盛っていく。

 目を離した僅かな合間に一皿出来上がっていたオヴィニットが驚愕の表情でその皿を見つめた。その間にも里藤はワインビネガーと気付け薬の材料として売られていたたでを使って蓼酢を用意し、横に置いていたスズキの内臓と皮を流水で洗い始める。内臓や皮を丁寧に血や汚れを落としたところで、里藤は息を吐いて汗を拭った。


「流石ですね」

「このぐらいはちゃちゃっとできないと料理人を名乗れませんからね」


 オヴィニットからの賞賛を、出来て当然といった態度で里藤は返す。オヴィニットは頼りになるその姿にひとつ頷いた。


「そういえば、作った後に聞くのもなんですが刺身ってみなさん口にされますか?」

「ボヌム様は視察で何度も口にされているので大丈夫ですよ。ポステロス様は好んで口にされないようですが」

「ふむ……。ミリア様はいかがでしょう」

「ミリア様は一度口にして好みに合わなければ二度と食べられない方ですので、リトー様の料理は必ず一口は口にされるかと」

「それはありがたい」

「話してる最中で悪いが湯が沸いたぜ」


 辺境伯一家の好みを聞き出したところで、湯の火加減を見ていたクアッドが沸騰したと里藤に告げる。里藤はクアッドに感謝の言葉を口にし、湯に入った鍋を三連窯の真ん中に移して湯加減を調節する。


「なに茹でるんだ?」

「スズキの内臓」


 少量の水を入れて温度を九十度ほどに持っていった里藤はまずスズキの胃を鍋へ投入した。弱火を維持して沸騰しない温度を保ちつつ、間を開けてレバー、つづけて浮袋、最後に皮をサッと茹でる。適切なタイミングでそれらを湯からあげて、ボウルに入れておいた水と木箱に入っていた氷で〆た。

 粗熱が取れたことを確認し、里藤が内臓らを綺麗にカットして平皿に盛り付ける。暇を見つけてすりおろしていた生姜を皿の端に添えて料理は完成した。


「名前はスズキのモツ盛りってところですかね」

「こいつぁ港でも見たことねぇ料理だ。お前ホントすげぇな」

「ハラワタは普通捨てる部位だと思いますが……」


 ゲテモノ食いを認知されているクアッドと一般的な食観念をもつオヴィニットの温度差が激しい。里藤はまぁまぁとオヴィニットを宥め、口にしたくなさそうな彼にフォークを渡す。そんな里藤とオヴィニットのやりとりをクアッドは無視して里藤が教えた箸使いでスズキのレバーを一切れ口に入れた。


「お、面白い食感だな」

「スズキの肝はコケッコのものに食感が似てると言われてるな。大森林なんかでは食べないのか?」

「おいおい、オグジーンが言ってたろ。あっちじゃ解体場だけ、こっちじゃオグジーンの店でしか流通にのせる魔物は解体出来ねぇのよ。つまり、必然的に足の早い臓物は猟犬なんかの餌に回されるってわけだ」

「どこの場所でもモツの扱いはそんなもんか」


 世界中各国の内臓の扱いの変わらなさに里藤は苦笑する。

 どうにも箸の進まないオヴィニットに無理をすることはないと進言した里藤は、一口に切った浮袋を口に運び、その身の無味ぶりに醤油が欲しくなった。食感は油のない牛モツの歯ごたえに似ており、なるほど珍味ではあると里藤は一人納得した。


「醤油もポン酢もないのは辛いな」

「醤油とポン酢ってなんだ。美味いのか?」


 ボソリとつぶやいた里藤の言葉をクアッドは聞き逃さない。キラキラとした目で醤油とポン酢の単語について深堀した。

 里藤は蓼酢に肝をつけて合わないなと思いつつ、クアッドに醤油とポン酢の説明をする。


「醤油ってのは俺の故郷の調味料だよ。ポン酢はそこからさらに発展させたものだ」

「どんな味がするんだ?」

「基本的にはしょっぱいよ。ただ作る過程で甘みが生じるから甘じょっぱいって表現が適切か」

「そいつはいいな。訓練終わりに飲んだらちょうどいいかもな」

「死ぬからやめとけ……」


 大量の醤油を飲む行為は高ナトリウム血症につながり大変危険な行為である。日本では徴兵を免れるために一気飲みする者がいたほど、身近で手軽に死にかけることができる調味料であるのだ。


「なんだ。そんなにあぶねぇもんなのか」

「適切な量を口にするなら問題ないさ。俺の故郷の料理にはほとんど醤油が使われてるしな」

「へぇ、リトーは醤油ってのを作れるのか?」

「ああ。いくつも国を旅してきてその国々で作ることも多かったからな。ボヌム様に研究所を一部屋貰ったし作る準備はしているんだが……」

「だが?」

「大豆が原料なんだよ」


 里藤の肩を竦めて放った言葉にクアッドは奥歯になにか詰まったようなアンニュイな笑みを浮かべた。


「だから大豆が欲しいってずっと言ってたのか」

「日本食は大豆がないと成り立たないほどに依存してるからな」


 だからこそ、遠く離れたとはいえ故郷の味を侮辱された気分になり、粗末な扱いをしていた下手人に里藤は腹を立てたのである。もっとも、そもそもカビが発生するような環境で平然と品を扱う商売人など大豆を取り扱っていなくてもただでは済まさなかっただろうが。


「それならば都合がよろしいですね」


 結局なにも口をつけずにフォークを置いたオヴィニットの言葉にクアッドと里藤が顔を見合わせる。


「都合がいいとは?」

「エルドラド商会は各地に伝手があります。飛竜便もしくは翼竜便の余剰スペースに買い付けた大豆を載せるぐらいはわけがないかと」


 もちろん、リトー様がグリニダ様に気に入られればの話ですが、と言ってオヴィニットは言葉を〆た。里藤は思わず腕を組んで唸る。


「昼飯と夕飯を別のものを出し、昼はボヌム様、夜はグリニダ様に合格を貰わないといけない、そういうことですね」

「大変だな」

「いや、まったくだ……。クアッド、おまえ食いすぎだろ」


 気づけば刺身もモツもほとんどクアッドの胃に収まっていた。珍味も抵抗なく食べるクアッドの食欲を見た里藤はあっけにとられるも、好き嫌いのない彼の舌に好感を覚える。


「そういえば、クアッドがバクバク食べているから気にしていませんでしたが、宗教的な理由などで口にできない食材はありますか?」

「リースムガル帝国の国教では禁止されているものはありませんよ」

「では、気にせずに食材をなんでも使ってよろしいんですね」

「はい。お客様のご都合で使えない食材があれば事前に通達しますのでご安心を」


 なんでも作ってよいとオヴィニットの太鼓判を受けた里藤は、木箱の中に残る魚を確認した。大きな木箱の中には様々な魚たちが新鮮なまま横たわっているが、里藤が目をつけたのは百センチほどのマダラであった。

 少しヌルヌルとした表皮のマダラを尻尾を掴み上げ、まな板に置いた里藤は二人へこれから調理するメニューを告げた。


「今日のお昼ご飯はケジャリーに決定しました!」


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