捌く

「グリニダさんが喜ぶような料理を夕食に、ですか」

「なんとか頼めませんか?」


 ボリボリと蟀谷こめかみを掻き、里藤は嘆息する。

 里藤は先ほど耳から聞いた以上の情報は知らず、グリニダの好みなど全く把握していない。そのうえで喜ぶ料理を作れと言われても生返事をすることしかできなかった。

 ニコニコと笑顔で圧をかけてくるオヴィニットの言葉の裏を読み取り、里藤は仕方なく了承の意を伝える。


「夕食を作るのはそりゃ構いませんが、御仁の好きなものぐらいは把握しておきたいですね」

「それはご安心を。クアッド」


 名前を呼ばれたクアッドが、厨房で話していた里藤とオヴィニットの横にある調理台の上に両手で抱えなければ持てないほど大きな木箱を置く。ほのかに感じる冷気に眉をあげる里藤を横目にオヴィニットはその木箱の蓋を開ける。木箱の中には凍った水風船のようなものと色とりどりの大中小の魚が詰められていた。

 ここに来てから見なかった鮮魚たちを目にし、里藤の顔は一気に輝く。その表情を見たオヴィニットはひとつ頷き、魚に夢中になっている里藤へ問う。


「この魚たちを使った料理をお願いできますか?」

「お任せください」


 言うが早いか、包丁巻きの中から出刃包丁を取り出した里藤はまな板の上にあげたスズキとそっくりな魚の鱗を巧みな手さばきで処理していく。瞬く間に積み重なっていく鱗の山を見たクアッドとオヴィニットが感嘆の声を漏らした。


「見事な手つきです」

「南のほうじゃ木匙で鱗をガリガリやってるから身がボロボロになりますもんね」

「南?」


 手を止めることなくクアッドの言葉に疑問を投げかける里藤。クアッドは里藤が地理に詳しくないことを思い出したのか補足する。


「辺境伯領には大きな都市が二つあるんだ。ひとつは領都、俺たちが生活しているな。もうひとつは南の貿易都市であるトルベック、領都から馬で移動しても数日かかる場所にある沿岸の港町だ。ファヘハット辺境伯領の品を国内外に輸出して財布を守ってくれてる重要な町で、そこじゃ新鮮な魚が毎日市場に並んでるよ」

「なるほどな。この魚たちはそこから持ってきたのか」


 里藤がシドニーフィッシュマーケットや豊洲みたいなものかなと解釈していると、ふと疑問に思うことがあった。

 トルベックから領都まで数日かかるというのに、どうしてこの鮮魚たちは鮮度を保っているのだろうか。その疑問を二人に問うと、オヴィニットが代表して答える。


「トルベックから領都は翼竜便が日に何度も出ているのですよ」

「翼竜? 飛竜とは別の竜ですか」


 オヴィニットは肯定し、翼竜と飛竜の違いについて解説をし始める。


「飛竜は翼と腕が別で存在する竜種で、知能が高く人間とは対等の条件で使役されている生物です。彼らは食事などの対価をもって人と契約し、人間社会に溶け込んでいます。翼竜は飛竜とは異なり、知能や知性も低いですが餌をくれる者には懐くので調教して使役する運用をします」

「簡単に言えば飛竜は同僚で翼竜は空飛ぶ馬みたいなもんだな。飛竜は図体がデカく遠くへ飛ぶのに適しているが大きすぎて着地の場所がなければ行動しにくい、逆に翼竜は意思疎通できない相手に任せて空を飛ぶ都合上事故も少なくない。一長一短、いいとこもあれば悪いところもあるのが竜便だ」


 補足をクアッドがしたことで里藤は竜種について完全に理解した。その翼竜便とやらでこの魚たちは領都まで迅速に運ばれてきたので鮮度が落ちていないのであろうと納得する。

 それはおいておき、里藤が聞きたいのはそれだけではない。


「魚についてはわかった。しかし、この氷はいったい?」

「トルベックには製氷の魔道具ってのがあってな。普通の家が三軒分ぐらいのバカデカい代物なんだが、スライムの皮を加工した入れ物に水を充填して魔道具を起動すると、その箱にある氷の玉が作れるんだ」


 里藤はスライムといわれて洗濯のりとホウ砂で作るアレではないだろうと直感的に確信したが、いちいち確認していては話が進まないのでスルーを決め込む。夜にディミトリでも捕まえて訊くつもりである。


「ほぉ……。この氷は口にしても?」

「製氷の過程で浄化の魔具が噛んでるはずだから問題はないぜ。ですよね? オヴィニット様」

「そうですね。好んで口にすることはありませんが、スライムの皮は簡単に剥けますので、それを剥がして口にする方も存在すると聞き及んでいます」


 知らない知識をクアッドとオヴィニットから教えてもらいながら、里藤はヒレ際などの細部に残った鱗まで丁寧に包丁の切っ先でこそぎ落とす。一山になった鱗をごみ箱に捨てて、流水でざっとスズキを洗う。


「せっかくだ。クアッドとオヴィニットさんも魚の捌き方を教えますよ」

「へぇ、そいつはありがてぇぜ。トルベックの漁師は全然見せてくれないからな」

「調理法などは秘匿技術ですからね」


 二人は興味ありげに再びまな板にあげたスズキを捌く様を見るべく、調理台の反対側に回って邪魔にならないように里藤の手元を眺める。

 里藤は二人が捌き方を把握しやすくするため、非常にゆっくりと解説を交えつつ包丁を入れていく。


「まず、俺が魚を処理するときに使っているのは出刃包丁と柳刃包丁。俺が手に持っているのが出刃で、包丁巻きの中で一番長いものが柳刃です」


 里藤はそういってスルリと刃渡り二十四センチの柳刃包丁を包丁巻きから引き抜き、調理台の上に置いた。


「長いな」

「この長さに意味があるのですね?」

「はい、柳刃は刺身にするのに使います。一発で引き切れるよう刃渡りが長くなってます。あとでどのように使うかはお見せしますよ」


 そういって出刃包丁を握りなおした里藤がスズキの胸鰭と腹鰭に沿って頭を切り落とす。そのまま腹を割って内臓を手で引っ張り出し、さらに続けて白い浮袋を指先で剥がしとった。

 最後に里藤手作りの竹製で中骨や主骨に付着した血ワタを掃除し、再び水洗いをして清潔な布で水気を拭き取った。


「どうです? 簡単でしょう」

「んにゃ、俺にはわかる。おまえさんの腕がいいだけで俺たちがやるとぐちゃぐちゃになる奴だな」

「なにごとも慣れるまではそんなもんだろう。……まぁ、今度マンツーマンで教えてやるよ」


 それでは三枚におろしていきますと再開の言葉を口にして、里藤は出刃包丁の刃をスズキの中骨を撫でるように背と腹の身の上下から中骨と主骨に届くまで切れ込みを深く入れる。ついでに腹骨と中骨主骨の合わさった軟骨を一本ずつ切り離すことを忘れない。こうしておくと後に半身が取りやすくなるためだ。

 最後に尾の付け根に包丁を差し入れ、頭の切り口に向かって半身を二枚取ると三枚おろしの完成である。今回は刺身にするので、流れるように里藤は腹骨も落とした。


「これが三枚おろしです」


 綺麗に切り分けられたスズキを見たクアッドとオヴィニットは感嘆の吐息を漏らす。


「ほぉ……素晴らしい」

「うめぇやつがやるとこんなに綺麗に切り分けられるんだな」

「スズキはある程度の大きさがあるからやりやすいからな。クアッドが練習するときは同じような大きさの魚を探すといい」

「おう! 今度買って来るから手さばきを見てくれよな」

「ああ、構わんよ。というか、魚が新鮮な状態で届けられるならお屋敷のメニューに加えてもよろしいですかオヴィニットさん」


 里藤の提案にオヴィニットは顎に手をやる。うむむと少し悩んだのち、里藤にひとつ課題を出した。


「本日のボヌム様のランチに魚料理を出してください。それも夕食とは別のメニューでお願いします。その料理の味をもってボヌム様に上申してみましょう」


 挑戦ともとれるオヴィニットの提案に里藤はニヤリと笑って了承の意を伝えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る