メレンゲクッキー

 朝早くからの一騒動も終結し、朝食も終わらせた里藤はボヌムの頼みで来客用のお菓子を準備していた。準備に追われる厨房内ではミミが皿を洗うなどして朝食の片付けを手伝っている。あるものを工夫して思考錯誤をしながらお菓子を作る里藤を眺め、半目で皿を拭きつつミミは訊いた。


「お菓子なんて簡単に作れるんですかぁ?」

「もちろんだ。都合のいいことに余ってる卵白もあるしな」


 里藤はそういって、木椀の中の甜菜糖と卵白を合わせた生地を大きめの木製スプーンでぐりぐりとかき混ぜる。既に混ぜ始めて十分ほど経過しているが、それでも三回に分けていれる砂糖は一回目の分しか消費できていない。道具が圧倒的に足りていない証拠である。

 ようやく生地が全体的に泡状になってきたので二回目の砂糖を追加した里藤が皿を拭き上げて一息ついているミミに訊いた。


「今日来るお客って大事なお客なのか?」

「当然。エルドラド商会はファヘハット辺境伯領の流通を三割は握ってる大商会よ。

領都南部の飛竜便を運営しているのもエルドラド商会なんだから」

「飛竜便?」


 手元を動かしながら聞いたことのない単語に反応する里藤。ミミは「そういえば、南にはいったことなかったんだね」といって説明を始めた。


「飛竜便っていうのは領都で獲れた食べ物を王都に運ぶための運航便よ。毎日運航しているけど、月に数回だけ人を乗せてくれるの」


 料金は高いんだけどねと、ミミは笑っていった。だが、里藤が訊きたいのはそこではなく。


「竜がいるのか」

「……いるでしょ? 大森林の深部にもいるし」


 自身の常識との違いにくらりとする里藤であったが、持ち前のなんとかなる精神でそういう生き物がいる国なんだと思い持ち直す。里藤は誤魔化すように手元のスプーンの速度をあげた。


「それで、その大商会さんがなんでボヌム様に会いに来るんだ?」

「ボヌム様と商会長のグリニダ様は貴族学校の同期なの。だからたまに遊びに来るってわけ」

「商売抜きでか?」

「ありありに決まってるじゃない。遊ぶために会うほど暇じゃないわよ両方とも」


 ミミのド正論に里藤はそりゃそうだと同感し、持ち上げられるようになってきた生地に最後となる三回目の砂糖をいれる。春の気候とはいえ動き続ける里藤の顔は真っ赤になっていた。





「邪魔するよ」


 金糸の髪を持つ、一見しただけで上質な生地の洋装をした男性がオヴィニットに案内され、無遠慮にボヌムの執務室へ入室する。彼はエルドラド商会の商会長グリニダ。ボヌムにとって唯一襟を開くことのできる親友である。

 いつも通りの礼儀知らずに苦笑を浮かべつつ、ボヌムは書類に署名するために握っていた羽ペンを執務机の上にことりと置いた。


「もう少し礼儀正しくしてくれと頼んでいるはずだがな」

「頼まれても譲らないのが俺さ。友達の部屋を訪ねるのに遠慮はしないだろう」


 悪戯っぽく微笑んでそういうグリニダにつられるようにボヌムも笑う。ボヌムは執務室に備えられている応接用のローテーブルに移動して、開け放たれているドアの外で控えているオヴィニットにアイコンタクトを送る。それを受け取ったオヴィニットは音もなくドアを閉めてその場を去った。


「で、王都はどうなってる」


 幾分か控えめの音量でボヌムは訊いた。グリニダは懐からポイッと紙の束をローテーブルに放り投げて答える。


「相も変わらず王都はひどいもんだよ、上位貴族がまともな食料を独占するせいで下まで回っていきやしない。そのうえ横領、横領、横領の不正の山だ。陛下直属の内偵が頭を抱えてたよ」

「……見ても?」

「ああ、その束は全部写しだ。原本は陛下に既に渡してる」


 ボヌムはグリニダの持ってきた不正の証拠を適当に一枚取って広げる。一瞬で横領しているとわかるほどの資金の中抜き工作に思わずボヌムの眉間に深い谷ができた。

 現在、王都には二つの主流派閥が存在する。一つは貴族至上主義派、もう一つは融和推進派である。そのうち、ファヘハット辺境伯家は融和推進派に所属している。

 融和推進派とは、簡単に言い表すと貴族特権を市民たちにも開放して貴族も市民も仲良く国を盛り立てていこうよ、という有用な人材を掘り起こす考え方をした派閥である。現国王もこの考えには同意している。

 対して貴族至上主義派は書いて字の如く、貴族の特権を市井の者に開放するなどあり得ないというバッチバチのレイシスト集団である。政治勢力としては大きくないが、無駄に家格だけはある家が多く、派閥を解体しようにも難しいと国王も手をこまねいていた。

 しかし、密偵たちが全力で働くことで集めた、解体に向けての鏑矢となる証拠がボヌムが目を通している不正の証拠の山であった。

 ニ、三枚の紙に目を通したボヌムが見るのもバカバカしいと言わんばかりに手元にあった用紙を投げ捨てていう。


「近々王都で『掃除』をするんだろう? それでマシになればいいんだがな」

「もう根回しを終わらせて騎士団長を筆頭に据えて屋敷を襲撃する計画が立ってるぞ。侯爵家が三つ、伯爵家が四つ、子爵以下はいくら席が空くかわからんな」

「おいおい、そんなにいきなり空白を作っていいのか? 周辺国が騒ぐぞ」

「大丈夫だ。席は空くが領地整理も行われる。一代限りの騎士爵が大量に叙爵されるぞぉ」

「……また陛下は行き当たりばったりな人事を……」

「諦めろ。貴族学校の時からあの方は変わっていない」


 心底疲れた溜息がボヌムから漏れる。そのさまをケラケラとグリニダが笑っていると、執務室のドアがノックされる。


「ボヌム様、お飲み物がご用意できました」

「ああ、入っていいぞ」


 オヴィニットが「失礼します」といって執務室に入室する。オヴィニットの持つ銀盆には陶器製のカップが二つと同じく陶器製の水差しが二つ、そして里藤が大汗を掻きながら作ったメレンゲクッキーの盛られた皿がのっている。


「おや、またけったいな飲み物だね」


 興味ありげに香ばしい香りのする陶器製の水差しを眺めるグリニダ。ボヌムは珍しいものを見たらすぐこれだと内心呆れながらオヴィニットに訊く。


「これは?」

「リトー様曰く、なんちゃってコーヒーと呼ばれる飲み物だそうです。お注ぎ致します」


 そういってオヴィニットは手拭いを使って水差しを包んだ。そのままカップにコーヒーを注いで両者の前にカップを置く。


「まずは、一口お飲みになってくださいとのことです」

「オヴィニット、真っ黒なんだが」

「はい。真っ黒な飲み物ですので」

「そうか」


 今更騒いでも里藤の用意したものだしなと安易な考えに切り替えるボヌムはカップの取っ手を握って口に運ぶ。一口啜ったコーヒーは多少の苦みと後を引かない酸味をボヌムの味覚に伝える。


「む、スッとする味だな」

「茗荷の好きなボヌム様はそのままで大丈夫だろうとリトー様が言っておりましたが、その通りのようですね」


 主従が顔を見合わせてニヤリと笑う姿を見て、グリニダは面白くなさそうにカップを持ち上げてクイッと口へ傾ける。だが、ボヌムとは違い苦みが合わないグリニダは小さくうめいた。


「にがすっぱっ」

「ああ、お口に合わないようでしたらこちらを加えて味を調整してくださいませ」


 オヴィニットはメレンゲクッキーが盛られた皿の端にあるハート形の角砂糖を指さしていう。グリニダは言われるまま角砂糖を一つ入れて、同じく皿に添えられていたシルバースプーンでカップ内をかき混ぜる。


「オヴィニットよ、あれはなんだ?」

「リトー様のお作りになられた角砂糖でございます。コーヒーに加えて混ぜますと甘みがまして飲みやすくなるとか。ですが、コーヒーをブラックで飲めるボヌム様には必要ないかと」

「ブラック?」

「コーヒーになにも加えない飲み方だそうです」


 厳密には違うのだが、日本人のコーヒー用語として定着してしまった無糖ミルクなしをブラックと教えた里藤である。


「それではメレンゲクッキーも付け合わせとしてお楽しみください。失礼します」


 綺麗な礼をしてオヴィニットが退室する。砂糖を二つ追加しなんとか飲めるようになったグリニダがズズズッとコーヒーを啜りながらメレンゲクッキーを口にする。


「うまっ」


 大商人のグリニダをして感じたことのない優しい甘みを持った焼き菓子に、思わず声をあげてグリニダは口角をあげる。ボヌムも倣うようにメレンゲクッキーを口にして、コクリと頷いた。


「流石はリトーだ。菓子も美味い」

「そういやさっきからリトーって呼んでるけど、この家にそんな奴いたか?」

「最近雇った料理人だ。信じられないほど腕が立つ」

「バトルコックってことか?」

「遠回しに言っているわけではない。純粋に作る料理が美味い。ポステロスも懐くほどの腕前だ」

「あの人見知りの坊やがか。そいつは凄いな」


 ほーっと間抜けな声を出すグリニダだったが、ふと思いついたようにボヌムへ提案する。


「今日の晩餐に招待してくれよ。俺もおまえが手放しで褒める料理を食べてみたい」

「昼食でなくてか?」

「いや、昼食なんざ固いパン齧るだけだろ……え? リトーってのは昼飯も作ってくれんのかよ」

「……そうか、普通昼食はパンだけだったな」


 ボヌムは数日しか経っていないのに里藤の用意する昼食が当然のものと受け入れてしまっていた自身に戦慄した。もはや里藤の食事が存在しない生活など考えられなくなっていることに気づいたのだ。


「……昼食はともかく、晩餐にはグリニダの分も用意するように伝えておく。おまえも仕事が残っているだろう、仕事を片付けて来い」

「よしよし、じゃあ晩餐の時間に合わせてまた来るわ。楽しみにしてるぜ」


 グリニダはそういってテキパキと帰る準備を始めた。慌てる彼にボヌムは一言。


「落ち着け。まだクッキーもコーヒーも残っているぞ」


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