ベイク

「衛生上の都合がある。短時間で完食してくれ」


 そういって砂時計をひっくり返す里藤の無慈悲な発言に、冷や汗を流しながら卵黄を崩していた領兵と警備兵の手が止まる。ボールドが苦笑して里藤へ訊いた。


「そんなに足が早いのか?」

「小春日和とはいえ直射日光が当たってるからな。生ものなんである程度たったら危なくなる」


 うんうんと頷く里藤を見た代表者たちの手が完全に静止した。その状態を突くようにディミトリがニヤリと邪悪な笑みを浮かべて煽る。


「おやおや、あれだけ領兵を馬鹿にしていた警備兵たちも、警備兵を扱き下ろしていた領兵たちも尊大な態度のわりには動きが鈍いねぇ。いやはや、夜半に大喧嘩する元気はあるのにねぇ」

「元気と勇気は関係なくねぇ?」


 クアッドの空気を読めていない発言に対して里藤とミミが素早く脇腹に肘鉄を入れる。クアッドの発言を耳にする余裕さえないのか、それぞれの代表者たちは木匙に少量掬ったタルタルステーキを口に運ぶ素振りを見せる。かと思えば、それを再び引き離したりと全く食べようとはせずに全身に脂汗を噴き出す者もいた。


「あと半分」


 ちらりとガラス製の砂時計を見た里藤が告げる。だが、誰一人としてタルタルステーキを口に運ばない。「ああ」だの「うう」だのと呻く彼らを無視して里藤はすぐ傍で脇腹を押さえているクアッドに訊いた。


「そういやガラスがあるんだな」

「……ぉう。前にファヘハット辺境伯領には海に近い第二都市があるって言ったろ? そこでガラスに使う砂が取れるってことでな、そっから王都に運んでガラスに加工しているんだってよ」

「わざわざ王都に?」

「秘伝の技だからなぁ。誰も材料以外ガラス制作について知らねぇんだ」

「へぇ……」


 里藤は心の中で、道具さえあるなら作ろうと思えば見よう見まねでそこそこのもの作れるもんなと思った。ちなみに本人は知る由もないが、『肥前びーどろ』の工房に二か月ほど入り浸っていた里藤はこの世界において最も吹きガラスを制作するのが上手い人間である。


「今度作るかぁ」

「うん? なにをだ」


 ぼそりと呟いた里藤を訝し気にクアッドは見る。里藤は誤魔化すように砂時計に目線を飛ばし、もうすぐ落ち切るそれをジッと見つめた。ほどなくして全ての砂が下部へと落ち切って終了の時となる。


「時間だ。ディミトリ、皿を確認してくれ」


 里藤の指示をディミトリは笑って流し、オーバーなジェスチャーを添えて答えた。


「確認するまでもないよ、全員一口も食べてないからね。ね、ボールド」

「ああ、誰も口に運ぶことはなかった。勝負は引き分けだな」

「引き分けじゃなくて両者負けだろ」


 ニシシと歯を見せて笑むボールドへ里藤はきっぱりといった。ミミと一緒に皿を下げて厨房へと戻ろうとする里藤に、その場にいた全員の視線が刺さる。それらを意にも介さず、ミミと里藤は決闘の場である庭から厨房へ引き上げていった。

 彼らが去り、しばらくしてクアッドがなにかに納得したように口を開く。


「なるほどねぇ。リトーも勝負事にはシビアってわけだ」

「自分だけで納得していないで私たちにも説明してくれないかい?」


 一人で頷くクアッドに対しディミトリが訊いた。クアッドはヘラヘラと笑って答える。


「簡単なことっすよ。警備兵と領兵、誰かがタルタルステーキを口にしていて同数なら引き分けってリトーも言ってたと思います。だけどこいつらは誰一人としてタルタルステーキを口にしなかった。勝負の土壌に立っていないんで引き分けじゃなくて不戦敗、つまり負けってことでしょうや」

「なるほど……」


 クアッドのストレートな言葉に警備兵と領兵の代表者たちは俯く。ディミトリとボールドは顔を見合わせ、彼らにいった。


「そういうわけだ。これからは互いに難癖をつけ合わないことを配下の者たちに徹底するように。これが守られない場合は流石にボヌム様へ上申せざるを得ないと間違いなく伝えろ、いいな?」


 有無を言わさぬボールドの態度に、兵たちの代表者らは椅子から立ち上がって敬礼し、大きな声で「はいっ」と返答をした。その姿を見て、ディミトリは一つ笑んで「もう行きなさい」といった。恥ずかしそうな顔、悔しそうな顔、いまだに所属の違う兵を睨む顔、様々な表情を浮かべて兵たちは屋敷から去っていった。

 そして、関係者しかいなくなった屋敷の庭で誰からともなく溜息を吐いた。


「やっと終わったね。お疲れ様」

「本当に終わったかはしばらく待たねぇとわからんが、世話かけたな」


 ディミトリがその場にいた全員に向けて労いの言葉をかけた。ボールドも皮肉気な言葉を言いつつ感謝を伝えた。そこで、会場の撤収準備を手伝っていたディミトリの部下がクアッドがいないことに気づく。


「あの、クアッドさんがいないのですが……」

「逃げたか」

「流石に逃げねぇって」


 手甲をはめた右手をパキパキと鳴らしディミトリがいう。すると、厨房のほうから盆を両手に持ったクアッドがやってきて、逃げたことを否定して片付け途中の机の上に盆を置いた。盆の中には皿に取り分けられたハンバーグが人数分あった。


「リトー特製ハンバーグだってよ」

「ほう、ありがたくいただこうか」


 庭で片付けをしていた全員が一皿ずつ手に取り、添えられた木匙でハンバーグを口に運ぶ。躊躇なくそれを食べた彼らにクアッドがニタリと笑う。


「食ったな?」

「そりゃ食べたが……」


 不気味なことをいうクアッドへ、なにを言っているんだと言いたげな視線を向けるボールド。それとは対照的にディミトリはハッと気づいたようにいう。


「もしかして、これは先程の……」

「おう、正解だ。さっきのタルタルステーキを色々して焼き固めてソースかけたらしい」

「へぇ……つーか、従士ってリトーの飯食ってんだろ? こんな美味いもん毎日食ってんのかよ」

「羨ましいだろ?」

「とってもなっ」


 自棄を起こしたようにハンバーグを頬張るボールドを周りは大きな声をあげて笑った。


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