市場-3

 本当に泣き出したクアッドをなだめて、リトーはオグジーンにどんな肉を取り扱っているか尋ねる。すると、リトーの身長サイズの大きな一枚紙を木板に張り付けたものを彼女が取り出してきた。あいかわらず書いてある文字たちは里藤には読めないが、ともに描かれているイラストは牛・豚・鶏・羊と遜色ないものであり、各部位を差したところに解説が入っているようにしか見えないのでおそらく部位の名前を書いた図解なのだろうとあたりをつけた。


「まず一つ覚えておいておくれ。領主様からのお達しでモトル精肉店はウシシ、ブッヒー、コケッコ、メルメルしか取り扱わない決まりになってる。誤解のないように詳しく言うと他の地域で育てられている家禽類はバラしちゃいけないってことさ」

「あくまで魔物担当というわけですか」

「そうだね。ついでに話しちまうと魔物をバラしていいのはここと大森林の解体場だけになってる。これは魔石をちょろまかされるのを防ぐためさ」

「魔石とは、魔具の触媒になっている石ですよね?」

「そのとおり。モトルなんかの力場がある地域では安値でも遠くへもっていくといい値段がするからね。価格を維持するために辺境伯領では魔石を徹底管理しているのさ。さて、魔石の話はここまで。大森林の解体場である程度バラされた肉たちはここにやってきてアタシが精肉するんだが、すまないけど人手の関係でブロック解体までしかできないんだ。薄くするとかの作業はアンタにやってもらわないといけない、いいかい?」

「もちろんです。それぐらいは俺がやりますよ」

「そいつはよかった。さぁ、商売の話に戻ろうか。どれの何の肉が欲しいんだい?」


 にっこりと微笑んで里藤の注文を待つオグジーン。里藤はそんな彼女を見て、信用していいと考えたのか口に当てていた手を離し、オグジーンと目を合わせていう。


「では、豚を一頭分丸々お願いします」

「……丸々かい? 確か屋敷で食事を取るのは十人ぐらいだろう、買いすぎなんじゃないかね」

「ご安心を、二日もあれば使い切りますので」

「……ははっ、こりゃ大きく出たね。わかったよ、いつもの馬借に積み込んどくわ」

「ええ、お願いします……ってことでいいんだよなクアッド」

「お? おぉ、買い出し品は市場傍の馬借って決まってるからそれでいいぜ」

「ということなのでよろしくお願いします。一番いいの、期待してますよ」


 里藤の言葉に、オグジーンは溌溂とした大きな声で「任せな」と答えた。





「次はどこだ?」

「ボルペック乾物とアズマ穀物店だな。横並びなんだその二つの店」


 頭の後ろに両手を回してのんきに歩くクアッドに里藤が次の店について尋ねると、クアッドは心底行きたくなさそうな口ぶりでその場所の名前を告げた。

 急にどうしたのだと周りで警護をしている兵士に里藤が顔を向けると、全員が全員とも笑いをこらえている状態で里藤から目を逸らす。


「どういうことだ?」


 里藤の疑問に行き道で御者をしていた兵士が答える。


「ボルペック乾物もアズマ穀物店も隊長の元カノが働いているので立ち寄りたくないんですよ」

「うわ、女々しすぎだろ。準備中の店には平気で入るのに」

「うるせぇ。元カノが働いていようが関係ねぇ、とっとと行くぞ」


 プンプンと怒りの湯気を出してズンズン市場のある大通りを早足で進むクアッドを笑いつつ、里藤たちはその背中を追った。


 乾物店と穀物店では目立った騒ぎはなく、ただひたすらにクアッドが弄られるだけの時間だったが、里藤にとってはたいへん大きな収穫があった。

 まず、乾物店では待望していた昆布と干し椎茸を販売していたので問答無用で買い占めた。狂喜乱舞する正気を失った里藤を止めることは誰にもできずに、店員であるクアッドの元カノに「全部買うから詰めろ」と詰め寄る姿をクアッドも兵士たちも震えながら眺めることしかできなかった。

 それ以外は飼料用の干した海藻たちが投げ売りされていたので適量購入して里藤たちは穀物店に移動した。クアッドだけが怖かったと泣きじゃくる元カノをなだめるためにしばしの間別行動をとったが、取り立てて「特別なこと」ではないのである。


 乾物店だけで里藤は大人しくなったかというとそうではない。乾物店のお隣である穀物店でも里藤は当然のように暴走した。

 インディカ米ではあったが米を見つけた里藤はあるだけ寄こせと二人目のクアッドの彼女に詰め寄り在庫をすべて放出させ、小麦とトウモロコシをついでとばかりに大量購入。里藤の後ろで重量計算していた兵士がそろそろ馬借の荷車に積めなくなると教えれば二台目を借りろと恐喝し、勢いそのままで最後の店舗である少ししか離れていなかった野菜屋でも大量に食材を買い込んだ。

 二名の元カノをなだめて今度一緒に夕食をとると約束を交わさせられたクアッドが兵士たちのヘルプを聞きつけて大森林大野菜という名の野菜問屋にたどり着いた時には、大満足の表情で辺境伯の庇護下にあることを示すプレートを店主に見せたあとであった。





「あーあ、買いすぎだろおまえ……」

「好きにしてもいいと事前に確認を取っているからな。そのとおりにさせてもらっただけだ、すぐに金に換えて見せるさ」


 追加で運び手を頼むために里藤一行は馬借にて新たに契約を交わした。馬車一台分で収まると考えていた馬借の受け付けは慌てて準備に取り掛かっている。本来であれば断られるであろう案件も辺境伯の権威を盾にしているため、立場の弱い馬借側は断ることなどできないのである。


「買いもんはこれで終わりか?」

「あぁ、当座はこれでいい。豆類だけが揃わなかったのが残念だったがな」

「じゃあ、ギルドに行って依頼でも出すか? オヴィニットさんに頼まれている鍛冶師のところへおまえを連れていくついでだ」


 ギルドという聞きなれない新しい単語に里藤は反応し、それはなにかと問うと、クアッドは意気揚々と左手を腰に当てて、右手の人差し指をふりふりと揺らしながら解説を始めた。


「ギルドってのはこの国の日雇い組織だな。最短一日、最長一か月の区間での契約を依頼主に代行して行ってくれるんだわ。豆が欲しいならそこで依頼してハイランダーに集めてきてもらおうって話だ」

「ハイランダーってのは雇われる側の名前か?」

「そうそう、別名冒険者。依頼の達成率でタグって身元証明書の色が変わったりする。それで信頼できるかどうか判断するんだ。豆を集めるのは大森林の浅いところだから……って俺が考えるよりギルドの受付で考えてもらった方がいいわ。先に鍛冶師のところに行ってからになるけどいいよな?」

「当然だ。鉄打ちへの用事は蒸留器のことだろう? 万が一、説明に時間を取りすぎたらギルドへ向かうのは今度にすればいい」

「へへっ、そういってくれると助かるぜ。さぁ、職人街は市場から道を一本挟んだ通りだ。ナッズとリッタだけついてこい、他の奴らは馬借で買ったもんを確認するように」


 馬借の入り口前で兵たちの明らかにやる気のない声が辺りに響いた。





 『オニグモ鍛冶』の受付によって鍛冶場に通された里藤とクアッドは外とは違う圧倒的な熱を浴び鉄を打つオニグモを見学しながら、彼の作業が落ち着くまで二人で見守る。

 数分ほどして、これから包丁になるであろう刃を水の中に漬けてオニグモは二人の方へ向き直った。


「久しぶりだなクアッド、そっちのは初めて見るな」

「おう、オニグモのとっつあんも元気そうでなによりだ。こいつはリトー、ボヌム様お抱えの料理人だ。とっつあんに領主様直々の依頼があってな、これを見てくれや」

 クアッドはそういって、里藤が木の板に黒炭で描いた単式蒸留器の設計図を鍛冶場の地面の上に広げた。オニグモはそれを見て眉を一つ動かして、嫌そうにいう。

「鋳物屋の仕事だろう、これは」

「信用できる奴にしか見せたくないんだよ。領主様肝いりの事業の基になるんだ、現段階で情報をバラまきたくない。どうしても嫌ってんなら他所に持っていくが、なるべくならとっつあんに頼みたい」

「……ほう、見ない間に随分とまともに口説き文句を言えるようになったじゃないか」


 オニグモは頭に巻いた手拭いをスルリと解いて、設計図を見るために片膝をついていた状態から立ち上がると背伸びをして答える。


「作り自体は簡単だ。明日までに屋敷に届ける」


 オニグモはそういって鍛冶場の外へ消えていった。

 あまりにも自由な行動に里藤はクアッドの顔を見て大丈夫なのかと表情で問いかけるが、彼は肩をすくめることで答えを返したのであった。


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