市場-2
ダイズ、ササゲ、インゲンマメ、ソラマメ、エンドウ、ラッカセイ、ヒヨコマメ、地球には七十以上の食用のマメ科が存在する。これはキクやランに次ぐ一大グループであり、人類の進歩は豆にあるといっても過言ではない。それほどまでに彼らがもたらす食への影響は大きいのだ。
特にダイズ属は日本人にとって切って離せない関係で、日本の郷土料理に密接に関わる味噌や醤油、モヤシや豆腐に納豆、きな粉におから、挙句の果てには油や飼料などといった大豆がなければ日本食を再現するのは不可能と言えるほどの間柄であり、それが手に入らなければ今後のレパートリーに影響が出て里藤は困る。
里藤にとって日本は年に十日前後しか帰国しない遠い故郷ではあったが、慣れ親しんだ日本食とは縁が切れずに海外に滞在している間でもときおり醤油や味噌を使って日本食を作っていた。
だが、この土地では調味料というものが全然と言っていいほど存在せず、味噌や醤油がどこかで売っているなどと期待することもできないので、里藤はつぶ屋にて大豆を大量に仕入れて領主館で仕込むつもりであった。
そのためにはイマイチ信用しきれないつぶジイの腕を見定める必要があるために喧嘩腰に話かけたのである。それには里藤の五感を刺激する最悪の理由があった。
「この代理を証明するプレートを預かっている以上、領主様に出して恥ずかしくない食材を取り扱う義務が私にはあるわけです」
「……ワシの仕事に不満があるのか若造」
「大いにありますよクソジジイ。アナタ、なにをされているんですか?」
里藤は遠慮なしにツカツカとつぶジイに歩み寄り、木箱に移していた大豆を五粒ほど引っ掴む。里藤は握った大豆を一粒口に含んで半分に割り、その断面をクアッドに見せる。
クアッドは突然そんなものを見せられてもと混乱したが、断面を触ると里藤の言いたいことが理解できたのか、ボソリと呟く。
「しけってんのか?」
里藤はクアッドの答えに頷いた。
「そのとおり。大豆は長期保存が効く食品ではあるが、それはよく乾燥させていたらの話だ。この大豆の乾燥具合から見るにジジイの取り扱っている豆は三週間もすればカビが生えるだろうな。クアッド、いつもここの店から大豆を買っているのか?」
「……あ、あぁ。おまえも地下食糧庫で見たろ? あそこに保管されている豆は全てここから購入している」
「クアッドの説明で納得がいった。昨日の食事に豆を使わなかったのは食糧庫の豆類が駄目になっていたからだ。虫はともかく、カビは前任者の取り扱い方が悪かったのかと思い黙っていたが、なるほどな、この爺さんの仕事じゃカビも生えるわけだ」
里藤は吐き捨てるように言った。
「クアッド、ここにもう用はない。今後の取引もやめておけ、腕も二流の上に愛想も悪いんじゃ話にならん」
手に持った豆を木箱に投げ入れて入口から通りに出ようとする里藤に、ついに我慢できなくなったのかつぶジイが顔を真っ赤に染めて怒鳴る。
「き、貴様のような若造が知った風な口をっ」
腕を振り上げて暴力を振るおうとするつぶジイの顎を目にもとまらぬ速さで里藤は掴み、握りつぶす勢いで力を入れる。つぶジイの悲鳴をかき消すような大きな声で里藤は怒鳴る。
「知ってんだよクソジジイ。外観や形状が整っているかどうかも確認していない、やっているのはカビや虫害が無いことを確認するぐらい。まるで選別もせずに、品質の低いものや異物を取り除くこともやっていない。多少は洗って誤魔化したつもりだろうが、水気をよく切らずに乾燥作業を怠っている。中途半端な質で客に提供して、カビが生えたら新たに買わせようという魂胆なんだろう。おまえの管理が悪かったと言いがかりをつけられたら、今のように逆上して言いくるめて押し込むことでな。貴様のようなカスはいくらでも見てきたわ。食材を取り扱ううえで客のことなど考えない貴様なぞ商人でもなんでもないわ。恥を知れっ」
つぶジイの悲鳴にそれ以上の怒鳴り声をぶつけた里藤は、つぶジイを投げ捨てて、つぶ屋の戸を思いっきり力強く閉める。そして、怒りを抑えるように、はぁ、と深く嘆息した。
「クアッド、さっきも言ったがこの店とは取引中止だ。他に豆を取り扱っている店はないのか?」
切り替えの早い里藤にクアッドはびくつきながら答える。
「お、おう、もうないんだよ。『大森林大野菜』って野菜屋にちょろっと置いてるくらいか。豆の専門店はできたらすぐ潰れていってな……」
里藤はクアッドの返答に特大の舌打ちをした。
「あのクソジジイが手を回してるのかもな。とにかく、奴の行動は目に余る。客に出していい質じゃないぞ。ディミトリに教えてもらった他の店は大丈夫なんだろうな」
「それは安心してくれ。モトル精肉はボヌム様の直営店だし、他の店も……たぶん大丈夫だ」
「頼むから言い切ってくれ……次の店に行くぞ」
大声で周囲の視線を集めていることにいまさら気づいたのか、少し頬を赤く染めた里藤はクアッドの背を押して移動をうながす。
次の店への道すがら、頑なに口を開かなかった兵の一人が里藤に尋ねた。
「リトーさん、入店したときから警戒してましたよね? あれは何故ですか?」
「……常識的な話だよ。戸口まで匂うような臭気だ、木箱の中に移している豆にも香りが移ると思わないか?」
「なるほど、言われれば納得しますね」
「一番の問題はそこじゃないんだがな。少し考えればわかることだが、せっかくだし隊長さんに答えてもらおうか」
「俺かよ」
いきなり話をふられたクアッドはうーんうーんと腕を組んで悩みながら、ふと思いついたと言わんばかりに目を輝かせていう。
「つぶジイが顔に似合わない香りをつけてて不愉快だった」
「違う。生まれ持ったものの否定はやめてやれ」
痛烈な暴言を吐いたクアッドに里藤は、やれやれと肩をすくめて答えを口にした。
「香りがきついものをわざわざ店内に使用しているということは、逆を返せば臭いを誤魔化したいということだ。おそらく、長年あのような営業をしているから店内にこびりついたカビの臭いがとれないんだろうな。それをどうにかするために柑橘系の強い匂いで悪臭を隠した。事実は違うかもしれんが、状況証拠からそうとしか思えん」
「おまえ、臭い一つでそこまで考えんのかよ……」
「当たり前だろう。料理は香りと見た目で九割だぞ? 味は全体の一要素にすぎないんだから衛生と臭いにだけは料理人は気を遣わないといけないんだ」
里藤が料理人としての心構えを説いていると、通りの半場ほどに差し掛かったところでクアッドが立ち止まる。先ほどの店とは違い、周りと同じレンガ造りの店舗である、そこへクアッドがまたしても無遠慮に引き戸を開けた。
引き戸の先には白い三角巾をした恰幅のいい、日本人であればオカンといえば想像するような女性がカウンターの向こうで包丁を握っていた。
彼女はこちらに気づいたのか、笑顔を振りまいていらっしゃいと言った。
「オグジーン、邪魔するぜ」
「えらく今日は早いねクアッド。寝坊助にしては殊勝なこった」
「おう、今日は仕事なんだわ。新しい同僚に市場を見せて回っててな」
「万年ごくつぶしに珍しいことがあったもんだね。アッハッハ」
盛り上がる二人をさておいて、里藤は店舗の床や肉の取引をするであろうカウンターなどを舐めるように見回す。つぶ屋とは違い、この店は細部まで掃除が行き届いていると確認して、飲食物を扱う店はこうでなくてはと一人うなずいた。
「そこの一人でうんうん言ってるのがアンタの同僚かい?」
「そうそう。リトー、紹介するぜ。この人はオグジーン、ミミは彼女の娘だ。オグジーン、こいつはリトー。料理人として屋敷で働いてる」
「やっとコスタディアの代わりが見つかったのかい」
「代わりじゃないぜ、料理の腕は一回りどころか何周分も違う」
「へぇ、そいつは上客になりそうだね」
クアッドとオグジーンが里藤の評価をしている中、その本人は一生懸命にミミという名前を思い出す。確か、メイドの名前だったと閃きを得た里藤は自信満々に口を開く。
「ミミさん……あぁ、名前だけは聞いたな。メイド組は部屋で食事を取ると言ってライシーさんのみが厨房にやってきただけだったが」
「ミミの奴、昨日は熱が出たからエルイーザに休みを言いつけられてたからな。ただの感冒だろうから明日には治っているだろうが……」
「肉を食べないからひ弱なんだよあの子は。さ、クアッド。あの子のためにも肉を山盛り買って行っておくれ! とりあえずはウシシのモモ肉でいいかい?」
「おお、いいねぇ……違う違う、今日はリトーが買い物担当なんだ。こいつが欲しいもんを出してやってくれないかオグジーン」
そういって、クアッドは件のプレートをオグジーンに見せる。
クアッドがそんなものを持っていたのがショックだったのか、二歩ほど後ろによろめいたオグジーンは包丁を作業台に置いて、泣きまねをする。
「アンタ、食うもんに困ったからってそんなもんを偽造してっ。アタシゃ悲しいよ」
「失礼すぎるだろ。俺が預かってるんじゃなくてリトーが使用許可もらってる本物だよ。な、リトー」
「行く先々でこの対応って、クアッド、おまえ少しは生き方見直した方がいいぞ……」
「うわぁああっ。本当に引いた顔で俺のことを見るんじゃねぇっ」
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