市場-1

 調理場の片付けを終え、オヴィニットに与えられた私室のベッドで横になる里藤だったが、妙に寝付けないのは環境が変わったせいなのか、それとも自身の感じた違和感によるものなのか。里藤は答えの出ないままにベッドの上で寝ころんでいると、不意にリュックサックの中身を整理したくなった。テスト勉強をしなければいけないのに掃除してしまうあの現象である。

 どうせ眠れないのでと体を起こした里藤は、寝台の横に備え付けられた照明の魔具を点灯しリュックサックの中身を一つずつ床に広げていく。絶対に必要なビザとパスポートに色々な通貨が入り混じった財布、ODのガス缶、それ用のガスバーナー、小さくまとまるアルミクッカーのセットに女性用のポーチサイズに収まったナイフと手拭いのセット、取っ手がカラビナになっているマグカップに懐中電灯、アイマスク、耳栓に一週間分の着替え。そして、旅に重要な南京錠と厚手のプラスチックに入れて金属缶に保管している調味料セット。

 里藤は雑多に収まったそれらを異常がないか確認し、丁寧に再びリュックサックに収めていく。


 思えばこの道具たちとも長い付き合いであると、里藤は愛し気にリュックサックを優しく撫でる。

 里藤にとってこのリュックサックは旅に出ようと思い立った六年前の春から付き合っている相棒である。さすがにところどころにガタが来ているが、その時その時で繕ったり、革で補強したりと旅好きからするとなかなか味の出てきた里藤のお宝と言っていいのかもしれない。

 里藤は着替えの中に入っていたタオルで綺麗にリュックを拭うと、今度こそ深い眠りにつくのであった。





 翌朝、里藤は寝ぼけ眼で薄明りさえない真っ暗な厨房で照明に手探りで触る。球形のスイッチに触れると音もなく厨房の天井に埋め込まれている魔具が点灯した。

 クアッドはまだ来ておらず、手持無沙汰になった里藤は地下食糧庫からイエロー系のスイートコーンをまとめて持ちだして一本ずつ三等分に切り分けていき、ペティナイフで粒をボロボロと落としていく。

 粗方コーンの処理を終えたところで、クアッドがブレストアーマーにグリーブとガントレットを装備した出で立ちで厨房にやってきた。


「おはようさん。お、なにしてんだ?」

「朝飯用のコーンを処理していただけだ。準備はいいのか?」

「そりゃこっちのセリフだぜ。財布は持ったか? 俺たちクアッド班が同行するんだ、戦闘はできるが金は貸せないぜ!」

「胸張りながらいう言葉じゃないな……」


 里藤は位の高いはずである従士の職についているのに金なんて持ってないと誇るクアッドに呆れつつ、調理場に隠しておいたあるものを彼に手渡す。

 それは鉄でできたプレートであり、表には里藤の知らない言語で『ファヘハット辺境伯の名においてこの者の支払いを代替する』と書かれており、裏面にはファヘハット辺境伯家の家紋が刻まれていた。

 不意にそんなものを渡されたクアッドは飛び上がって驚き、口をパクパクとさせながらプレートを指さしながら里藤に説明を求める。


「オヴィニットさんが買い物するときはこれ使えって渡してくれたんだ。これ見せると支払いが楽だから存分にどうぞって」

「お、おまえおまえおまえ! これって伯爵だの侯爵だのがやってきたときにケツ持ちするためのカードだぞこれ! 少なくとも日々の買い出しに使っていいもんじゃねぇ!」

「つっても、それしか渡されてないし。俺が持ってると盗られたときに大変だからクアッドが管理よろしく」

「はぁあああああああ!?」


 とんでもないものを渡されたと言わんばかりに両手でプレートを握りしめるクアッドを見てゲラゲラ笑いながら、里藤はコーンの粒をボウルにまとめて包丁を布巾で拭うと、


「じゃ、市場に行こうかクアッド」

「……護衛役、ディミトリに代わってもらえねぇかな」

「諦めな」


 クアッドの肩をポンと叩いて厨房の通用口を出発した。





 意外と仕事のできるクアッドは事前に馬車を用意しており、御者役の昨日ベリィの店に同行した兵士が手綱をもち、土がむき出しの地面をガタンゴトンと馬車を揺らしつつ街に出発する。

 とはいえ、ゴムもサスペンションもない馬車の乗り心地など下の下。乗車中は碌に会話などできずに二十分ほどの移動を終えたときには里藤は完全にグロッキーになっていた。


「酷かったろ?」


 なにがと主語を言わないあたり確信犯のクアッドを睨みつけて、里藤はまるでゾンビのように馬車から這い降りる。兵士に支えられて立ち上がった瞬間、耐えきれずにテレビであれば虹色の液体に編集されるであろうゲロを吐き出した。


「あーあ、こりゃ休憩したほうがいいな。おめーら、木漏れ日亭に運べや」


 兵士たちが個々に応答し、グレイと変わらない運び方で里藤は連行されたのだった。



 里藤が回復したのはそれから三十分ほど経ってからである。

 木漏れ日亭と呼ばれた宿屋の一階部にある酒場のベンチで横になっていた里藤はある程度治まってきた吐き気と戦いつつ起き上がる。


「お、起きたか。具合はどうだ?」

「最悪だが、動けはする。帰りは俺は絶対に乗らんぞ」

「がははっ、そうしとけ。今回は馬車がどんなに酷いもんかを知ってもらうのと、それが嫌なら馬に乗れるようになろうってことを体に覚えてもらうために――――」

「乗れるが?」


 里藤の発言に場の空気が一気に凍る。


「俺は、馬に、乗れるが?」

「え、普通は従士でもないと騎乗なんて習わない……」

「旅先で乗り方を教えてもらったんだよ。馬にもラクダにも象にも乗れる」

「は? おまえなにもんだよ……」

「それはな……おまえをここでしばき倒す奴だよ! 覚悟しろクアッド!」

「あぁーっ! 悪かったって!」


 ベンチの周りをぐるぐると追いかけっこをするクアッドと里藤。そんな二人を見て護衛の兵士たちはやれやれと肩をすくめるが、突如として甲高い怒声が彼らを襲う。


「こら! お客さんもいるから暴れない!」

「悪い悪い」


 木綿の服に紺色のエプロンをした赤い髪の少女が腰に手を当てて里藤たちを注意する。そんな彼女を見て、クアッドはヘラヘラと笑いながら両手を合わせて誠意の籠っていない謝罪をした。里藤は彼のそんな態度に違和感を覚える。


「彼女、クアッド隊長の妹さんです」

「あぁ、だからか。やけに距離が近い言葉遣いだなと思ったんだ」

「リトーさんへの態度も会って一日の態度じゃないと思いますけどね……」


 呆れたように呟く兵士を遮るようにクアッドが里藤に少女を紹介する。


「リトー、このチンチクリンが俺の妹のプエラ。こいつは親父たちと一緒に木漏れ日亭で働いているんだ」

「誰がチンチクリンよ! 私はプエラ、バカ兄のことよろしくねリトーさん」


 血は水よりも濃いとはよく言ったもので、二人は軽口を叩きながらも互いに大事に思っていることを里藤は感じ取る。里藤は笑顔で自身より二回りほど小さい少女の頭部に手を置いて、


「うん、任せてくれ」


 そういって、少女の頭を撫でた。

 その里藤の突飛な行動に少女は真っ赤になりながら手を振りほどいてどこかへ逃げ去り、何故急に逃げられたのかがわかっていない里藤は周囲を見渡す。

 そこにいた全員から首を振るジェスチャーを返されて、里藤は答えを得ることをなく市場へと出発するのだった。





 モトルの市場でも豆だけを扱う珍しい店『つぶ屋』。里藤たちが手始めに訪れたのはその店である。周りがレンガ造りで建築された建物ばかりである中に、一軒だけポツリと木造建築のつぶ屋が混ざっている光景はどれだけ見る目がない者が見たとしても異物が紛れていると判断するであろう景色であった。

 そんなつぶ屋の入口をクアッドはガンガンとノックして返事を待たずに木戸を開ける。戸を開いた先には木箱に豆を移している初老の男性がいた。


「つぶジイ、邪魔するぜ」

「朝っぱらからやかましいぞクアッド。戸は丁寧に扱えと何度も言うたであろう」


 クアッドにつぶジイと呼ばれた男性はザーッと音を立てて木箱に豆を移し替えながら、クアッドの粗雑な態度にぶちぶちと文句を言った。

 そんな彼のことなど知らんとばかりに入口で待機していた里藤の腕をとったクアッドは、何故か自信満々につぶジイへ里藤を紹介する。


「つぶジイ、こいつは俺のダチのリトー。凄腕の料理人だ」

「ほぉ、そいつはすごいな。開店準備の邪魔だから帰れ」

「んだよジジイ! 信用してないのかよ!」

「客商売しとる奴がその場の情報だけで動くわけなかろうが。そもそも、ワシは料理人であろうがなかろうが豆は売るんじゃ関係なかろうて」

「それは関係ありますよね?」


 急に口を開いた里藤に目を丸くするつぶジイであったが、すぐに不敵な笑みを顔に浮かべて言い返す。


「なにがどう関係あるんじゃ?」

「料理人、つまり食材をキチンと扱える人間でなければアナタは質の悪いものを卸しませんか? 良し悪しもわからないならばどれを渡しても変わらないと考えて」

「……ワシがそんなことをするとでも?」

「しないかもしれないし、するかもしれない。少なくとも私はアナタのことを知りませんので。クアッド、例のプレートを」


 クアッドは里藤の言葉にビクリとして、懐からファヘハット辺境伯の権力を預かっている

証拠であるプレートをおずおずと取り出してつぶジイに見せつける。

 里藤はあっけにとられて口を開いたままのつぶジイへ畳みかけ、


「私は辺境伯様の代理としてここにやってきています。開店前の準備でお忙しいでしょうが少しお話させていただけませんかね?」


 ニコリと微笑んで恐喝した。


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