夜食-2

 ディミトリの発言に青い顔をして一心不乱にコップを振るクアッドを同情する者は厨房にはいなかった。

 里藤は鬼のようにしごかれるんだろうなと内心で笑いながら、沸騰直前まで来ていた牛乳を火から離して、ペティナイフで半分に切ったレモンの果汁を加える。そのままレモンを加えた牛乳をお玉でゆっくりと混ぜて放置し、三十分ほど寝かせておいたヴァレーヌィクの生地を打ち粉をした作業台の上で広げていく。目指すは厚さ三ミリ、見事な手際でするすると生地を広げていくさまを見てデレクとディミトリはおぉ、と感嘆の声を上げた。


「すげーだろ?」

「何故おまえが誇るんだ」


 キメ顔でコップをシェイクするクアッドに極めて冷静に里藤は言い返す。

 里藤は呆れた表情でコップを逆さに持ちセルクルの代用品として的確に生地を抜いていき、打ち粉をしてそれらを重ねて横に避け、穴だらけになった生地をもう一度丸めて同じことを繰り返していく。そうして、いつの間にやら百枚を超えるヴァレーヌィクの生地ができあがっていた。

 できあがった生地をそのままに、放置していたカッテージチーズとホエイに分離してきた牛乳を木綿布とザルで濾す。ぎゅっと木綿布に包まれたカッテージチーズを絞って、先ほど作っておいたマッシュポテトと合わせて塩を入れて素手で練る。

 勢いそのままに素早く山のように積まれたヴァレーヌィクの生地を手に取り餡を置き頂点だけを強く握り接着し、作業台の上に半分に折りたたんだ状態で並べていく。そう時間はかからずに百枚を超える生地はヴァレーヌィクになる準備を整えたのだった。


「壮観だな」

「これから毎日こんな風に飯が作られていくんですよ」

「それは楽しみだ。訓練にも身が入るな」


 くつくつと笑ってクアッドの方を向くディミトリ、そんな彼に勘弁してくれと言わんばかりの表情をしていたクアッドが不意にピタリと腕を止めた。


「リトー、コトコト言ってるぜ」

「おう、見せてくれ。……うん、もうちょっとだ。頑張れクアッド」

「おぉ、任せな!」


 クアッドが全力でシェイクを再開するさまを見て、そこまで激しくしなくてもいいのだがと思う里藤だったが、やる気が出たことはいいことかと放置して右手にフォークを握った。一点だけで留めていたヴァレーヌィクをフォークの腹で完全に合体させていき、沸かしておいた鍋に二十個ずつ突っ込んでいく。

 五分ほどして浮いてきたヴァレーヌィクをザルにあげて、少し冷ましておいてその間にディミトリの夕食の仕上げに入る。

 大きな皿に四等分にしたフォカッチャ、レタスと千切り人参のマヨネーズサラダ、合間に焼いておいたコケッコのサイコロカットチキンステーキを綺麗にワンプレートにまとめて、最後にヴァレーヌィクを五つサラダの横に添えれば。


「ほい、おまちどうさん」

「これはこれは……」


 深夜に出されるにしてはあまりに豪華な食事にディミトリは言葉を失う。感激で震える手を押さえながらフォークでヴァレーヌィクを刺して口に運んだ。

 小麦の生地に包まれたカッテージチーズの塩気とじゃがいものほのかな甘さがディミトリの飢えに飢えた腹を優しく満たす。


「これはたまらんな」

「お口にあったようでなにより。ささ、冷めないうちに召し上がれ。デレクの分もこっちにあるから食べな」

「感謝する。……うむ、ワインが欲しくなる味だ」

「ちょっと、俺も食べたいんですけど!」

「おまえはバターができあがってからだ」


 里藤の冷たい一言に無言でクアッドがコップを振る速度をあげる。そのさまを笑いながら次々とヴァレーヌィクを湯通ししていき、ちょうど最後のヴァレーヌィクを茹で終わると同時にクアッドがコップを里藤に差しだした。

 手渡されたコップを開けると中で大きなバターとなってまとまっている牛乳を確認して、ザルと木綿布を通して分離する。平皿に盛ったヴァレーヌィクを里藤が差し出し、それを疲弊した様子のクアッドが受け取って口に運ぶ。


「美味い!」

「どれ、俺も……うん、及第点だ」


 自身の作品に厳しく採点を行う里藤に苦笑いを浮かべる従士の三人。里藤の態度に上司であるオヴィニットの影を見てしまったからである。

 なるほど、求道士のような性格で通じ合ったから雇われたのかとそれぞれが口にはせずに思い、同時にオヴィニットが気に入るはずだと三人は酷く納得した。





 食事も終わり、洗い物を済ませた里藤が手を拭っていると、デレクとディミトリと雑談をしていたクアッドがそういえばと言葉を置いて里藤に話しかける。


「明日さ、市場に行くじゃん? 朝早いけど大丈夫か?」

「料理人に聞くことじゃないな。食材を集めるために日の出ないうちから動くなんてごく普通だ」

「それならよかったぜ。領主館は定刻に朝議の金がなるから、それを聞いたらここに集合でよろしくな」

「了解。……そうだ、市場の店について今のうちに教えてくれ。購入品にあたりをつけておきたい」

「それならば、僕が軽く説明しようか」


 クアッドと明日の買い物について打ち合わせをしていると、ディミトリが横から口を出して解説を始める。彼の説明は感覚で話すクアッドとは違い、理路整然としていて町の地形の分かっていない里藤でも理解がしやすかった。

 ディミトリが説明した知っておくべき店は五つ。豆類を取り扱う『つぶ屋』、辺境伯が直営する『モトル精肉』、モトルから南に行ったところにある海に面した町から干物を運んでくる『ボルペック乾物』、町の製粉を一手に引き受ける『アズマ穀物店』、日によってどのような野菜が売られているかムラがある『大森林大野菜』。そこまで教えてもらった里藤はどうしても聞きたかったことをディミトリに尋ねた。


「ディミトリ、調味料を扱っている店はないのか?」

「調味料? すまない、浅学ゆえに君の言っているそれが僕にはピンとこない」

「そうか……あー、塩とかそれに似た白っぽい粉の砂糖とか、あとは胡椒か、黒っぽい粒粒なんだが。そんな名前や形の植物を耳や目にしたことは?」

「……塩しか聞いたことはないな。僕が知らないなら市場に行ってもないと思う。この街に持ち込まれる大森林の新しい収穫物は僕や監視官の目を必ず通す、僕が知らないということはここの街にはおそらく持ち込まれていないはずだ」


 その言葉に里藤は大いに頭を抱えた。塩と酢だけでは料理に幅が出ないからだ。

 あまりに落ち込む里藤を目の当たりにしたディミトリはなにか案はないかと考え、そうだと不意にグッドアイデアを思いつく。


「リトー、手が空いたら大森林に行ってみてはどうだ? あそこにはまだ隠された食材や素材が大量に眠っている。君の求めるものが存在しているかもしれない」

「そりゃいいや、大森林の中で泊まりになったとしてもリトーの飯があったら余裕だぜ!」

「クアッドと意見が一致するのは不満だが、私としてもリトーの食事があるならば大森林の踏破が楽に進むと思う」


 ディミトリの言葉に便乗する形でクアッドとデレクも里藤の大森林探索参加に賛成する。いやに前向きな二人の発言に里藤は疑問を抱く。それを察知したのか、ディミトリが端正な顔を崩して、


「大森林は浅いところで力場が広がらないように対処することが基本だからね。調査団や異変時の兵団ぐらいしか深部に踏み込まないんだが、そのときの食事が酷いものでね……」

「飯作れる奴が一人もいないのは致命的だったよな」

「三十人連帯で誰一人まともに食事を作れないのは想定していなかったね」

「なんか、君たちってどうやって生きれてるか不思議なくらいの生活水準だなオイ」


 痛烈な里藤の一言に、ディミトリはアンニュイな笑みを浮かべながらポリポリと頬を掻き、


「ある意味、仕方がないのさ。大森林の恵みのおかげで一年を通して新鮮な食材が獲れるんだ、それに加えてこの辺境伯領にやってくる人間は食い詰めた者か金を稼ぎに来た出稼ぎだ。料理なんてできる者は必然的に少なくなるし、できたとしても料理をする暇があるなら働いて家族のもとに一日でも早く帰ろうとする者が大多数だろう。

 よって簡単に食事を済ますことのできる生食が多くなるし、店で提供しても値段の割に美味しくない調理品ばかりだからすぐに閉店する。だからといって食文化に補助金を出せるほどの経済力がこのモトルにはないからね、結局大して美味しくもない食事を食べ続けなければいけない負の連鎖になっているわけさ」

「なるほど、弁当屋でもやれば金になりそうだな」


 ヘラヘラと笑って水を飲む里藤。だが、その弁当屋という言葉に反応した三人の差すような視線に驚いて若干怯えながら、


「な、なんだよ」

「その弁当屋というのはなんだ? 口ぶり的に食事を提供することは間違いなさそうだが」

「え、なに? ここら辺って弁当屋もないのかよ」

「ないな、少なくとも僕は知らない。だから詳細を教えてくれ」


 妙な圧をかけてくるディミトリに及び腰になりつつも、里藤は口頭で弁当について説明を始めた。


「弁当ってのは簡単に言うと朝の早いうちから食事を準備して箱に詰めて携行する食事のことだな。極端に言えば、家からリンゴ一個を持ち運んで昼に食べるだけでも弁当ではある。

 だけど、俺が言っている弁当ってのは別物だ。店の中で調理したものを特定の箱に詰めた物を大量に用意して代金をもらう。これが弁当屋だな。客は金を払って美味いものが食えるし、店は調理をすることを生業にできる」

「その食事を終えた後の箱はどうするんだ?」

「弁当を売るときの値段を箱代分だけ多めにしとけばいい。次に来店したときに返した箱代をその分だけ引けば例え箱が帰ってこなくても困らない」

「……なるほど、弁当とやらの中身は決まっているのか?」

「そりゃ日替わりよ。ある程度は固定でいいかもしれんがな、付け合わせを変えることで値段を調整して均一にするのが清算の時間もかからなくていい」

「……うむ。リトー、この話をオヴィニット様に通してもいいか?」

「好きにしなよ、別に俺が考えたシステムでもないし」

「そうか、夜遅くまで付き合ってもらって悪かったなリトー。明日に備えてもう休んでくれ。デレク、クアッド、俺たちはオヴィニット様のところへ向かうぞ」


 そういって足早に立ち去ろうとするディミトリに静かに頷きデレクは追走し、クアッドはごっそさんと里藤に声をかけて頭をガリガリと掻きながら、従士の三人は館内用通用口に消えた。


「なんか、仕事を増やした気がする……」


 里藤は一言そうボヤいて、全員分のコップを洗い始めるのだった。


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