帰館
「オヴィニットさん。リトーとクアッド、お付きの兵以下二名戻りました」
「ご苦労様。どうでしたか?」
オヴィニットは四畳ほどの執務室で書類を捌きながら、入室してきたクアッドをちらりと見て報告を求める。素早く書類の山を処理していくオヴィニットにひきつった笑みを向けつつ、クアッドは部屋の外にいる部下に誰も近づけるなと指示してオヴィニットへ歩み寄る。
「指示されたリトーの情報収集ですが……ちぐはぐな印象を受けますね」
「アナタもそう感じましたか」
「ええ、まず魔具を知らないことが不審です。魔具という名称を知らずとも魔石を触媒とした道具なんてこの世界のどこにでもある、たとえそれが朽ち果てそうな村々でもです。つまり、日常に魔具が存在しない環境にいた。って感じがしますね」
書類を捌く手を留めずに、オヴィニットは一つ頷いて同意する。
「確かに、廃村寸前の村でも井戸に放水の魔具ぐらいついています。子供であっても親に尋ねるぐらいはする不思議なものですから、まぁ、知らないというのはおかしいと思うところには同感です。他になにかおかしな点は?」
「そりゃたくさん。常識的な魔具は知らないのに料理の知識はとんでもないみたいですね。夕食に出てくることになってるフォカッチャってパンひとつとってみても、ベリィに悪いですが天地の差があるぐらい味の開きがありました。くだんのコンソメやらブイヨンやらもそうです、あんなに美味しいスープなんて飲んだことないですよ」
クアッドの私見に、オヴィニットはまたしても同意して頷く。
「……まったくもってその通り。王都の宮廷烏どもはコゲて炭のようになった高級魔獣の肉を至高の贅沢と言って食していますが、そんなわけがなかったとリトー様に実力で示されてしまいました」
オヴィニットはひとつ咳払いをして。
「このさい彼が何者だなどと深く考える必要もありません。彼の調理技術は金になります、故に彼が王都へ向かうのは必ず阻止しなくてはなりません。給金は弾んでいますが、リトー様の要望はよほどのことでない限り叶えなければなりません。今夜にでもボヌム様に進言しますが、リトー様が王都に興味を持つ素振りをみせたら、クアッド、アナタはそれとなく残留を薦めてください、いいですね?」
オヴィニットのその言葉にクアッドは滝のような汗が噴き出す。数時間前、ベリィの店へ向かう道すがらで話したことがフラッシュバックしたからだ。
急に目が泳ぎだしたクアッドを見て、オヴィニットはずずいっと執務机から身を乗り出して、殺気立たせながら問う。
「アナタ、なにか彼に余計なことを吹き込んだのではないでしょうね」
「……いやぁ、そんなに料理がうまいなら王都で店でも構えたらどうだって……言っちゃいました」
クアッドの報告にオヴィニットはひどくひどく深いため息をついた。
◇
ベリィの店から領主邸に帰館した里藤は厨房に入るとすぐさま調理に取り掛かった。本日の献立はブイヨンから作ったクリームシチューにコケッコのももチキンステーキとフォカッチャである。
「報告してきたぜ」
「ご苦労。ほら、報酬だ」
へらへらと笑って館内側入口からひょっこりと顔を出したクアッドへ、里藤はツイッと長めの鉄の串に刺した豚串を渡す。九州では焼き鳥なのに何故かメニューに組み込まれている豚バラだ。シチューを煮込む間に暇だったのか、里藤は他にも食糧庫にあった適当なものを串にさして焼いている。
「えー? 串焼きなんて食い飽きてるぜ?」
「いいから食ってみな」
木製の平皿に次々と串焼きを積んでいく里藤の言葉に半信半疑ながらも、クアッドは手に持った串を口に入れる。噛んだ、なんてことは感じられないほどの柔らかな肉。そのあとを追う肉汁の甘みがクアッドの口内に広がった。
「うっま」
「だろ?」
「……なんつーの? いっつも食ってる肉と違って簡単に噛み切れるし、肉汁の味も全然違う。あー、ワイン飲みたいぜ、辛めの奴!」
「いい趣味してんねー。おら、もう一本」
ガツガツと盗られまいとせんばかりに豚串を腹に収めたクアッドに里藤は豚串を追加で渡し、自身はしし唐の串を齧りながら、ほふほふと口から湯気を吐く。
里藤はしし唐の心地よいほろ苦さを舌で味わい、それをコップに注いだ魔具の浄水で流し込む。魔具で生成された浄水はいわゆる純水になる、里藤は口にひとくち含んでそれに気づいた。そして「なるほど、アマレが昼間に水を汲みに来たのはこれが理由か」と口にせずに思い至った。
純水とは文字通り純粋な水である。ミネラルなどが含まれていないので手早く水分補給ができるからアマレはわざわざ調理場の水を汲んでいったのだと里藤は理解し、原理は理解できていないであろうが、経験に裏付けされた情報が伝わっているのであろうと納得した。
それはともかく、いい感じに煮えてきたシチューを椀に注ぐ。
「おら、味見せい」
「お、これが朝から仕込んでたやつか?」
里藤は小さめの椀にじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、鶏肉が入ったクリームシチューを注ぎ、それをクアッドに手渡す。クアッドはワクワクしながら木匙でシチューを掬い、大口を開けて口に放り込んだ。
熱い、だがそれ以上に様々な具材の風味が詰まったシチューの味がクアッドの舌を経由して脳髄に駆け巡った。クアッドは理解する。これが本物の『料理』なのだと。
なるほど、これは確かに手放せないなと、クアッドはオヴィニットの言葉を頭の中で反芻した。
「最高だぜリトー、もっと食いたいぐらいにはな」
「へ、料理人にとって最高の誉め言葉だ。たっぷり作ってるから晩飯には期待しな」
鼻歌を歌いながら鍋をかき混ぜる里藤へ、あっという間にシチューを食べ終えたクアッドが訊いた。
「おう、頼むわ。そういや、オヴィニットさんにおまえの欲しいもん聞いとけって言われたんだけどなんかあるか?」
「石窯」
「それは聞いたし手伝うって言っただろ。他にだよ、石窯みたいな設備でもいいからなんかないのか?」
「つってもな。たぶんオヴィニットさんは好きなようにしていいから収入が増加する案を考えろってことなんだろうが……そうだ、クアッドは酒が好きか?」
「人並みだな。従士だからベロベロになるまで飲むこたねぇ。そもそもそんなに酒精の強い酒なんてここらにないしな。ボヌム様が飲まれているのも町で適当に作られているワインだしよ。王都にゃ――」
はっ、と咄嗟に口をつぐむクアッド。オヴィニットから王都に関しては関心を持たせるなと言われていたことを思い出したクアッドはまずいことをしたと、嫌な汗が背中をつたう。
それが逆に気になったのか、里藤はクアッドへと顔を向けて「どうした」と声をかける。
「い、いや。ワインの酒精を強くできたら大儲けできるのになーって思ってよ」
「できるぞ?」
「さすがのおまえでもできるわけないよな……はっ?」
正に瓢箪から駒。言い逃れでほざいた戯言を現実にできると里藤は言った。
作業台にシチューを置き、目の色を変えて大口を開けたままクアッドは里藤に問う。
「ほ、本当なんだなっ? おまえの面白くない冗談じゃなくて。本当にワインを強い酒にできるんだなっ?」
「うるせぇなぁ。ワインがブランデーになるなんて料理人にとって常識だよ」
喉まであがったどんな常識だよという言葉をグッと呑み込んで、クアッドは里藤に再び問う。
「ど、どうやってそのブランデーってのは作るんだ? ここの領地でも作れるか?」
「そりゃできるわ。腕のいい鉄打ちがいるならすぐにでも」
「そ、そうか。わりぃ、ちょっと抜けるわ。晩飯楽しみにしてるぜ」
「あん? おう、気をつけてな」
椀に残ったシチューをあっという間に食べ終えて、若干ふらつきながら館内へ走り出すクアッド。その姿を里藤は不思議そうに見送ったのだった。
◇
「酒精の強い酒ですか……」
「ブランデーと言うらしいです、お聞きになったことは?」
クアッドの言葉にふるふると緩やかに首を振るオヴィニット。執務室に走り込んできたクアッドを叱ろうとした数分前が懐かしいと言わんばかりに、深く深く嘆息をして手で顔全体を覆うオヴィニットは二の句が継げなかった。
たかが酒、されど酒。この世界に存在するのはワインとエールのみ。ワインの度数は十二パーセントから十四パーセント、エールに至っては高くても八パーセントという酒としては低度数のものばかり。大衆向けの酒であるエールはともかく、嗜好品として取引されているワインより高い度数の物が流通すればどうなるか。当然、金にものをいわせた取り合いになる。
「王都が荒れますよ、これは……」
「ですよね」
王都では領地を持たぬ法衣貴族たちが政争に明け暮れている。もし、そこにお偉方の興味を惹きつけるであろう新たな酒が発見されたと知らされたら? そして、それが辺境伯領の特産品となったら? 王都のパワーバランスが崩れる可能性があるのだ。
無論、これは予測であり確実な未来ではない。しかし、万の一つでも大惨事につながる可能性があるのならば、それを考慮して立場あるオヴィニットは行動しなければならない。
「ともかく、腕利きの鍛冶師でしたか。明日にでも紹介状をアナタに託します。市場を見て回るついでに渡りをつけること。いいですね」
「承知しました。他に金になりそうなことを聞いてしまった場合は……」
「必ず、報告してください」
鋭くとがった視線でオヴィニットはクアッドを睨みつける。報告を怠ったら殺すと言わんばかりのそれは戦士であるクアッドでも震えあがらせるには十分なものだった。
「なるべくなら平和な金儲けの方法を教えてもらいたいものです」
「例えばなんです?」
「……そうですね。安い甘味などは老若男女に歓迎されるでしょうから菓子の一つでも教えてくだされば助かりますねぇ」
酒の話の時とは違い、やけに楽しそうなオヴィニットに思わずクアッドは軽口を叩いてしまう。
「リトーなら一つ聞いたら百答えてくれそうですね」
その軽口を、ありそうだと頭をよぎったオヴィニットは再び深く嘆息した。
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