フォカッチャ

「複数の効果を持つ魔道具ってのは高価だ、それで一つの行動を楽にするだけの道具なんてただの見栄と言ってもいい。それでも、ボヌム様は購入するしかなかったのさ。王都にお嬢と大旦那様がいるから金がないと思われると途端に粗末な扱いを受けるだろう」

 クアッドが語る。

「二代にわたって魔道具を揃えられるほど発展していると外へ誇示することでそれを回避したってわけだな。おかげで財布は常に薄いみたいだが……俺らの給料が減らされるわけでもなし」

 クアッドがさらに語る。

「つまりはだ、代々の恩がある俺らと違ってアンタはしがらみなんてないんだから金稼いだら王都にでも向かった方がいいかもってことだ」

 ベリィのパン屋に向かう道すがら、アマレと同じブレストアーマーを着たクアッドが腰に佩いているサーベルの鞘をペチペチ叩きながら里藤にこれからの身の振り方について助言を行う。

 里藤の護衛役として選出されたクアッドだが、一人で護衛しているわけではなく彼の部下たちも二人同行している。クアッドと違い真剣な表情で辺りを警戒しているので上司を反面教師にして仕事をこなしているのだろう。

「つっても、王都に伝手もないしな」

「王都なんざ今や食い詰めもんの集まりだぜ? 下層民地区の治安はクソだし、貴族は肥え太った領地貰えない無能のカスばっかりだ。おまえの美味い飯なら店でも開けば大繁盛するんじゃねーの?」

 軽率に出店をうながすクアッドにたいして里藤はわざとらしく大きな溜息をついて反論する。

「ダメダメ、料理店を仕切るってのは金勘定から仕入れ、調理までしないといけないんだぞ。料理だけで手一杯の俺ができるわけないっての。それともなんだ? おまえが給仕やんのか?」

 右手の人差し指で横に並んだクアッドのこめかみをキツツキのようにつつく。

 いててと、身をよじってクアッドは里藤から一歩分の距離をとり、

「そいつぁできねぇけどよ。おまえの腕なら料理の腕だけでどうにかできんじゃないのか?」

「アホか。たかが料理でそんなことできるかよ。ちと美味い飯食ったからって夢見すぎだ」

「本当にそうかぁ? 少なくともオヴィニットさんの目は確かだからよ。おまえがモトルにいる間の飯は期待していいんだよな?」

「それは保証する」

 指を鳴らしてやりぃと小躍りするクアッドが護衛の兵士二人に白けた目で見られていることに気づくことはなかった。

 




 領主館から歩いて十数分、殺風景な領主館付近に比べ家々が増え始めてきた境界線でクアッドがピタリと立ち止まった。里藤も同じく立ち止まり、どうしたのかと思っているとクアッドが周りより一回り大きな家屋を指さす。

「ここがベリィの店だ。婆さん生きてるぅー?」

「アンタ、ノックもせずにはいんなってつってんだろ!」

 ノックもせずにクアッドが店内に入ると、反射的に耳を覆ってしまう怒声が辺りに響いた。同時に店舗に侵入したばかりのクアッドが街路へと叩き出される。

 叩き出されたクアッドに追い打ちをかけようとしたのか、めん棒を片手にもった髪が真っ白な老婦も飛び出して天下の往来に怒声が響き続ける。

「いつもこうなの?」

 実の孫と老婆でもここまでやり合わないぞと言外に示した里藤が、お付きの兵に訊いた。

「ですね。まぁ、二人ともじゃれあってるみたいなものなので……」

「うるさいと苦情を受けるのは俺たち領兵と警備兵なんですがね」

 苦笑しながらやいのやいのと言い合う二人を見て兵たちはいつものことだと言い切った。周囲には少なくない民家があるが誰も様子見に出てくる素振りがないので、本当に日常の風景の一部になってしまっているのだろうと里藤は思った。

 とはいえ、夕食までの時間が有り余っているわけでもないので里藤は大声をあげ続ける二人を制止する。

「お二人さん、そろそろやめにしませんか」

 めん棒を振り切ったベリィとそれを白羽どりしているクアッド両名の視線が里藤に向く。めん棒に力を込めたまま、ベリィは見たこともない黒髪の男に訝し気な視線を送る。

「アンタ見ない子だね」

「本日より辺境伯様邸で食事を預かっています里藤と申します。アナタがベリィさんですか?」

「そうさね。あと、かしこまった喋り方はやめな。死にかけのクソババアに丁寧な言葉遣いなんて必要ないよ」

 そう言い切って、にこりと笑ったベリィはめん棒を振り切り、クアッドの額へ一本をとると店の中へ戻っていく。里藤は兵士たちにクアッドの相手を頼むと彼女の後を追う。

 店内はイートインスペースなどまったくない、パンを作るためだけの調理場になっている作りだった。里藤はめん棒を水場で洗うベリィに声をかける。

「ベリィさん、ぶしつけで悪いんですが石窯を借りたいんです」

「昼飯時に顔出したあのアホが、こんな中途半端な時間にまた顔を出したんだ。どうせそんなこったろうと思ってたよ。火は落としちまってるけど、それでもいいなら好きに使いな」

「恩に着ます」

 里藤はそういって、背中に背負ったリュックサックの中から厨房で仕込んできた、木樽に入った無発酵パンのタネを綺麗にされている調理台の上に置く。里藤は楽し気に木樽からタネを取り出すと手早く適度な大きさに分割していった。その手さばきを見てベリィは手を顎に当てていう。

「アンタ、ただもんじゃないね」

「確かに人より少しだけ料理の知識はあるかもしれませんね」

「なにが少しだい。そんなに艶のあるパン種なんて生まれてこの方見たことないよ」

 と、いったベリィがいたたと腰をさする。その光景を見た里藤は、おそらく長年パン作りを行ってきたせいで慢性的な腰痛に苛まれているのだろうと思った。そして、これが夜に領主邸でパンを食べない理由かと勘づく。

 そんな視線に気づいたのか、ベリィはニヒルな笑みを里藤に向ける。

「……わかるかい? 何年も前に腰をやっちまってねぇ。昼の時間分のパンを焼いたら腰が使いもんになんなくなっちまうんだよ。おかげで領主様にも迷惑かけちまってる」

「パン作りは力が要りますから仕方ないですよ。それに今日から俺がいるので三か月の夕食蒸しじゃがいも生活は終わりですからご安心を」

「……オヴィニットのバカは三か月も夕食に蒸しじゃがいもを出してたのかい? 呆れるね、コスタディアがいないと献立一つ立てられないのかいアイツは」

 腕を組んで調理台に腰を預けたベリィが心底呆れたように嘆息した。

 アマレからも聞いた名前がここでも出てきた里藤は、パン種を手のひらで平らにしながらベリィへついでと言わんばかりに尋ねる。

「アマレからも聞いた名前ですが、コスタディアさんとはいったい?」

「コスタディアってのはアンタの前にいた料理のできるメイドさ。できるって言っても煮込み料理が多少ってところだったけどね。フォスのお嬢が貴族学校に入学するから一緒にお付きのメイドとして同行したんでね、領主館には料理ができる奴がいなくなっちまったんだよ」ベリィは「ふふっ」と笑う。「オヴィニットが必死こいて料理人を探してたんだけど、そう簡単にお眼鏡にかなう人間はいなくてねぇ。他所の領地から引っ張ってこようってことになりかけてたんだけど、適任が見つかったようでなによりだよ」

 どこか安心したように笑うベリィ。そして、その笑顔をぶち壊す大馬鹿者のエントリー。

 バタンと大きな音を立てて店舗の入口ドアが開く。開けたのは当然クアッドだ。瞬間、ベリィが高速で体をひねり、なにかを射出する。彼女の手元にあったはずのめん棒は綺麗にクアッドの心臓を守っているブレストアーマーを避けて彼の胴体に突き刺さった。

「力いっぱいドアを開くんじゃないよバカタレがぁっ。壊れたらどうすんだい」

 どすどすと歩幅を大きくして昏倒しているクアッドへ歩み寄るベリィ。ベリィに再び店外へ投げ捨てられて退店していったクアッドに、今度は付き合っていられないと思ったのか、彼の部下であるはずの兵士二人は里藤になにか手伝うことはないか聞いてきた。

「あー、じゃあ石窯に火をよろしく」

「承知しました。ベリィさん、隊長が起きたらしばいてもっかい寝かせておいてください。うるさいので」

「しょうがないねぇ。料理人のアンタ、店のもんは好きに使っていいからね」

 そういって、ベリィはゆっくりと店のドアを閉じる。

 里藤はなにかにつけて騒がしいベリィの店に苦笑いを浮かべながら一言。

「フォカッチャ、皆の分も焼くね」

 と、いってパンの成形作業に戻った。





 フォカッチャ、またの名をスキアッチャータとも呼ばれるそれはイタリアのジェノバが発祥とされるパンである。古代ローマ時代からあったとされ、子供も大人もみんなが大好きなピザの原型としても知られている。

 オードブルの前に提供されるパンとして使われることも多く、パンなのにパンの付け合わせとして出されることも多々ある不思議なパンがフォカッチャなのだ。

 作り方はとても簡単で、小麦粉と塩を先に混ぜ、混ぜ終えたそれに水とはちみつとオリーブオイルを加えてこねる。一塊になったら休ませる、これだけで作れるのだ。

 こんなに簡単に作れるので、里藤は多めに焼いておこうとかなりの数の生地を手早く仕込んでベリィの店に持ち込んでいる。ベリィと兵士二人の分を合わせても余裕で余る計算だ。

 里藤は等分したパン生地を数えて問題ないことを確認して、薄く油を塗った金属製のピザピールのような道具を使い、直径十八センチほどのフォカッチャを一枚ずつ焼いていく。

「美味しそうですね」

「いつものベリィのパンよりいい匂いがする……」

「製法が違うからね……もうよさそうだな、火力があるから焼けるのも早い」

 石窯からフォカッチャを取り出して木製の平皿にのせた里藤は、先に手伝いを申し出てくれた兵士にフォカッチャを渡す。彼は羨ましげにそれを眺める同僚から一歩離れて、パクリとひとくちフォカッチャを齧る。味の感想は聞くまでもなかった。

 笑顔でフォカッチャを食べる兵士に里藤は頼みごとをする。

「食べたらベリィさんと交代してやってくれ」

「ははっ、承知しました。」

 クアッドが面倒をかけているであろうベリィと交代するように兵士へ頼み、二枚目のフォカッチャを焼きだす。背後のまだ食べていない兵士が話す、ちょっとくれよという言葉を聞きながら。


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