食傷とは

「ふーん、ボヌム様が飯を食べなかった理由ってじゃがいもに飽きただけだったんだな」

「だけ、と言ってやるな。食事にとって最大の敵は飽きなんだぞ」

 日本には食傷という言葉がある。これは繰り返しに飽きるという意味だが、漢字で表すと食事で傷つくと書く。好物だからといって同じものを何度も提供されると食べたくなくなるほどに食事とは本来繊細なのである。

 地球上で一番じゃがいもを食べる国といえばアイルランドである。アイルランドのじゃがいも料理といえば、羊や牛のひき肉を玉ねぎなどの炒めた野菜をプレートにのせてパイ生地代わりにマッシュポテトを使用してオーブンで焼くミートパイのシェパーズ・パイ。すりおろしたじゃがいもに小麦粉、卵、ベーキングパウダー、バターミルクを混ぜ合わせて作るボクスティなど、確かにじゃがいもを主食へと変える料理は多々あれど、なにもつけないふかし芋を握ってサラダを食べるだけの食習慣文化はないといってもいい。人とは飽きる前になにか工夫をするものだからだ。

 故に里藤はモトルにやってきて一日も経っていないが、モトルを形成する歪な食文化に違和感を覚えていた。文明の発展した地球においていくらなんでも焼くと煮るしか調理幅がないのは不自然だからである。

「そもそも主食としてじゃがいもを食べる国は数多くあるが、三か月間蒸しただけのじゃがいもと付け合わせだけってのは一種の拷問だ。俺なら三日で飽きるね……おら、できたぜ。食ってみな」

 といって、里藤はできあがったロティサンドをクアッドへ差し出す。もっとも、領主用とは異なり、肉は薄切りの塩焼きに変わっているが。

 クアッドはそのロティサンドをワクワクとした表情で握る。

「おう、ありがとよ。それじゃ失礼して手づかみで……」

 ガブリと大口を開けてかぶりつく。くしくも主人であるボヌムと同じ食べ方である。あぐあぐと聞こえてきそうな子供のような食べ方をするクアッドに苦笑し、他の従士のためにロティサンドを作っていく。

「美味しい」

「そりゃなにより」笑顔で返した里藤がふと思いついたかのようにクアッドに訊いた。「そういえば、ここらではそのベリィってパン屋しかパンを焼いてないのか?」

「んなこたぁないさ。でも、ベリィのとこに買いに行く以外は貴族通りの外になるからな、結局一番手近なベリィの店になるんだよ。ベリィもいい年だから店たたみたいらしいけどさ、俺たちつーか領主様の食事を預かってる手前閉業できないってわけ」

 手についたソースを舐りながらクアッドがいいことを思いついたとばかりに里藤に無茶振りをする。

「あ、そうだ。リトー、窯作って領主館で焼いちまえよ。そうすりゃ安心してベリィも引退できるし」

「さすがに許可下りないだろ……」

「構いませんよ?」

『ぬわっ』

 いつの間にか里藤の傍に立っていたオヴィニットが喋りかけたことで里藤とクアッドは身体を跳ねて驚く。そのさまを見て、オヴィニットは悪戯が成功した子供のように満面の笑みを浮かべた。

「リトー様、ボヌム様はたいへんお喜びでした。この調子で夕食もお願いいたします」

「も、もちろんです。それよりも心臓に悪いので音もなく隣に立つのはやめてもらっていいですか」

「承知しました、次からはそのようにしましょう。それで、実に興味深い話をクアッドとされていたようですが」

 里藤はこの爺さんまた絶対やるなと心の内で重いながら、それをおくびにも出さずに笑顔で答える。

「はい、利便性も考えて大きな窯が領主館の敷地に欲しいなと思いまして」

「さようでございますか。敷地や資材置き場に置いてあるレンガは使っていただいて構いません。しかし、業者を呼ぶ費用はございませんので手作りしてもらうことになりますが、それでもよろしければお好きになさってください」

「ありがとうございます。じゃ、クアッド手伝いよろしく」

 当然のように助力を頼む里藤に、クアッドは困ったように笑う。

「だろうと思ったよ。俺の班員にも訓練がてら手伝わせるから安心しな。んじゃ、俺は他の奴らのロティサンドを持っていくから。オヴィニットさん、失礼します」

 豪放磊落を地で行く性格の人間がしたとは思えない見事な敬礼を見せたクアッドは、里藤が用意したロティサンドを持って厨房の戸口の外へ消えていった。

 騒がしい奴がいなくなったといわんばかりに自らの肩に手を回してグルグルと回す里藤である。

「クアッドとは仲良くできそうですか?」

「そうですね。わかりやすい性格みたいですし、仲良くはできそうかと」調理用具を流しに置きながら里藤は訊いた。「それよりも、従士だとかの説明をいただいても? 仕組みが少しばかり理解できませんでした。作業をしながらでもお聞かせいただけるとありがたいです」

「構いませんよ。たいしたことではないので頭の隅にでも覚えておいてくださいませ」

 里藤が従士について尋ねたためオヴィニットは説明を始める。

 従士とは、貴族位を持たない騎士相当の職業である。騎士とは貴族の身辺警護を主に行うことが仕事で、平時は兵の調練や市民に被害を出す獣を狩る際の指揮を執ることなどもある。説明ついでといわんばかりに辺境伯領内では基本的に従士は暇なので好きに使ってもいいとオヴィニットは里藤にお墨付きを与えた。

「勝手に従士の人たちにお願いしてもいいんですか?」

「当然です。もちろん、ボヌム様の命令があればそちらを優先させていただきますが、それ以外なら扱き使っていただいて構いませんよ」

「ははは……」

 乾いた笑みで誤魔化す里藤、アルカイックスマイルで全てを穏便に済ませるのが日本人の特権だ。

 他に聞きたいことはございませんかとオヴィニットが話をふったことで、里藤は聞いておきたかったことを思い出した。仕入れについてである。

「そうだ、もうひとついいですか。食材の買い出しはどうなっているんです? 何十人分もの食材は抱えて移動なんてできないのですが」

「ご安心を。食材は市場へ向かっていただいて選別していただき、帰りに市場の傍にある馬借で配送を受け付けていますのでそちらを利用してくださいませ」

「そいつはありがたいですね。予算は一日どれぐらいです?」

「お好きにどうぞ」

「……はい? お好きにって、どういう意味ですか」

「そのままの意味でとっていただいて構いませんよ。どれだけ費用をかけてもらっても結構です」

 オヴィニットの提示する破格な条件の意味が分からず、訝しげにオヴィニットに視線を向ける里藤。

 空咳をしたオヴィニットはヘタに疑いをもたれないように慌てて説明を続けた。

「予算は自由ではありますが、リトー様にはその知識をもって食材を利益に変える商品を考えていただきたいのです」オヴィニットは咳ばらいをして里藤に顔を近づける。「お恥ずかしい話ですが、領内はモトル大森林が存在するおかげで飢えはしませぬが、領全体の収益としては支出と収入が吊り合った状態でございます。それを壊す一助を料理の知識が豊富だとおっしゃられるリトー様にお願いできないかと思いまして……」

 その言葉で里藤は得心がいったとばかりに頷く。

「ああ、そうなんですね。それならそうとハッキリ言ってくださいよ、拾ってもらった恩があるんですから誠心誠意頑張りますって」

 輝く笑顔で協力を了承した里藤に、オヴィニットは深く腰を折って礼をする。

「……私の目に狂いはなかったようでございます。どうか、どうかよろしくおねがいします。このままでは坊ちゃまを貴族学校に入れて差し上げることができませぬので、本当におねがいします」

 土下座までしそうな勢いのオヴィニットだったが、里藤が制止した。

「さしあたって聞いておきたいんですが、皆さんが飲まれている酒ってどんなものがあるんです?」

「お酒ですか? ワインとミードぐらいではないでしょうか」

「それだけですか? 酒精の強いお酒なんかは……」

「私の知る限り、一番強いお酒はワインですね」

 里藤は開いた口が塞がらなかった。よろよろと、なにも言えずに煮ていたコンソメスープを香味野菜や肉だねが入らないように小皿に注ぎ黙って啜る。

 味見をして合格だと認めたそれをもう一度小皿に注ぎ、オヴィニットに差し出す。突然の突飛な行為に動揺しつつもオヴィニットは皿を手に取って里藤と同じように啜った。

 オヴィニットは口の中に含んだ瞬間に溢れだす旨味の塊にしばし硬直し、数秒ほどして言葉を振り絞りだした。

「……たいへん、おいしゅうございますな」

「それはよかったです。領主様方に牛乳が駄目な方はいらっしゃいますか?」

「皆さま、牛乳は大丈夫だったはずですが」

「それはなにより。コンソメ、このスープのことですね、仕込みも終わりましたので少しの間、お暇をいただいても?」

「構いませんが、いったいどちらへ?」

「少しばかりベリィさんに窯を貸してもらおうと思いましてね。夕食はパンにしたいので」

「なるほど、承知しました。手の空いている従士をつけましょう。さすがに私が長時間ボヌム様の傍を離れることはできないので同行はできませんが、帰宅したら一報をおねがいします」

「はい」

 と、いってテキパキと片付けを始める里藤だった。



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