里藤の初料理

 リースムガル帝国の南東に位置するファヘハット辺境伯領の領都であるモトルは北にモトル大森林と呼ばれる力場を抱えている。力場とは一般的な人間の生活できる範囲とは異なった特殊な場所であり、例えばモトル大森林では植物が異常な速度で成長したり、植えたばかりの木の苗が三日経てば大木に成長しているなどといった、常軌を逸した環境のことを指す。帝国の領地に点在するこのような力場を維持することにあたる貴族は全て辺境伯扱いとなり、皇帝の信頼が厚いことを証明する権力者なのだが。


 そのファヘハット辺境伯の二十一代目を世襲したボヌム・ファヘハットは毎日のように積み上げられる書類に辟易としながら、一年で何回も使いつぶす羽ペンを使って簡略化されたサインを刻んでいく。

 ボヌムの担当する領主の仕事は陳情などの書類が九割で、その多くは大森林内の追加調査における費用増額の上申だったり、大森林から採取した食料品を他の地方に売却した際の取引額をまとめたものである。ボヌムは緊急時を除いて増額を認めることなどほとんどないし、産物の取引値段の詳細も執務官がまとめたものに目を通すだけ、辺境伯とは名ばかりのサインマシーンであるのがボヌム・ファヘハットであった。


 ボヌムが無心で書類を捌いていると、コンコンッと大きくはないがけして小さくはない理想的なノック音が聞こえた。間違いなくオヴィニットであると、何年もの付き合いであるボヌムは理解し、「入れ」と短く告げて入室をうながす。ドアのノブが僅かに下がり、音もなく予想通りにオヴィニットが入室するとボヌムは破顔する。

「ボヌム様、昼食をお持ちしました」

「中天の鐘はまだなっていないが、朝食が少なかったからな。早速もらおうか、ベリィのところのパンだな?」

 食事を求めるボヌムの様子を見て、オヴィニットは少し笑う。

「パンはそうでございます。しかし、ボヌム様の想像するものとはかけ離れていると思いますよ」

 オヴィニットのなにかを含んだ笑みを疑問に思いながらも、ボヌムは書類を整理していた机の上から左わきにあるサイドテーブルへと食事の邪魔になるものを移す。オヴィニットは手に持った食事の入った盆を柔らかくその机にサーブし、料理名を口にした。

「リトー様曰く、オニオンレタスロティサンドという名前だそうです」

 ボヌムは銀盆の上に一つだけのったパンに視線を向けて、普段とは違う食事に戸惑いながらもオヴィニットへ疑問を投げかける。

「……えらく長い名前だな。それにリトーとは?」

「リトー様は本日より雇い入れた料理人でございます。最近のボヌム様はあまり食事を積極的に口にしていただけないので口に合わないのではと思いまして、私の裁量権の範囲での雇用をいたしました」

「そうか、このパンもリトーとやらが作ったのか?」

「パン自体はベリィのパン屋が焼いたものですが、調理は彼が行いました。ささ、お召し上がりください。大変美味でした。あ、お残しになっても構いませんよ、私がいただきますので」

「オヴィニット、おまえそんなに食いしん坊だったか……?」

 オヴィニットの悦に入ったような笑顔を見て、怪訝な表情を浮かべたボヌムがナイフを手に取ろうとするが、あるべきものが存在しないのでニタリと笑う。

「おまえが失敗とは珍しい。ナイフとフォークがないぞ」

 銀盆にそえられているべきカトラリーがないことに気づいたボヌムはからかうような口調でそれを指摘した。

 だが、オヴィニットは指摘されることが織り込み済みだったと言わんばかりに得意げな顔で告げる。

「ボヌム様、ロティサンドを口に運ぶときは両手で掴んでガブリといただくのが作法だそうで」

 そういってジェスチャーでなにかを噛む素振りをするオヴィニット。ボヌムは初めて見るオヴィニットのひょうきんな素振りが妙に印象に残り、オウムのように聞き返す。

「……ガブリ?」

「はい、ガブリです」

「貴族の私が素手で食事をガブリか」

「作法ですので」

「……作法なら仕方ないな」

 ボヌムはにやりと笑ってむんずと手のひらより少し大きいロティサンドを掴み、大口を開けて伝え聞いたとおりにガブリとそれに噛みついた。

 熱が入りほんの少し柔らかくなっているパンを噛みちぎり、咀嚼をしているボヌムの舌に届いたのは歯触りがいいシャキシャキのレタスに少々の辛みを伴ったオニオン、厚い肉汁が飛び出すパテにそれらをまとめる里藤お手製のマヨネーズ。そのひとくちで、ボヌムの心は満足感で満たされる。美味いとはこういうことだと言外に示され、頭をガツンと殴られたような衝撃がボヌムを襲った。

 咀嚼に集中したあまり硬直してしまったボヌムを見て、オヴィニットはゴホンと一つ咳ばらいをして覚醒をうながす。はっ、と意識を戻したボヌムは顔を真っ赤にして照れ臭そうにもうひとくちロティサンドへ噛みつく。そうして、あっという間にロティサンドはボヌムの胃の中に消えたのである。

「いかがでしたでしょうか」

「素晴らしい。これほどまでに熱中した食事はないぞ。リトーとやらの素質を見抜いたオヴィニットの慧眼には目を見張るな」

「もったいないお言葉です。張り切って仕込みをしているようでしたので夕食もご期待ください」

「……夕食か」

 ボヌムは夕食のことを思い、一気に興奮していた気持ちが沈下する。最近夕食が進まなかったのは味ではなく――。

 言い出せない真実を腹の内に抱え、オヴィニットに礼を言って下がれと口にしようとしたところで、彼が腰を折ってボヌムへと告げる。

「ボヌム様、ご安心ください。今日の夕食に蒸しじゃがいもはございません」

 胸に秘めていたことをオヴィニットに指摘されて、再度ボヌムは硬直する。

 にこにこと笑うオヴィニットを見て全てを悟られていると認識したボヌムはわざとらしいジェスチャーで大仰に降参の意を示す。

「いつ気づいたのだ?」

「実は見抜いたのは私ではなくリトー様でして。ボヌム様の食された夕食のメニューを確認していただいたさいに、彼は一度で食の進まない理由は主食のじゃがいもであると見抜かれました」

 半信半疑でしたが、そのご様子ですと事実だったようですなと、いってオヴィニットは今一度深く腰を折る。

「ながらく食事の席でご不快な気持ちにさせてしまい大変申し訳ございません。申し開きなどございませぬのでご自由にわが身をお裁きくださいませ」

 そういって、誠心誠意の謝罪をボヌムへ行う。生真面目なオヴィニットは自身の判断を後悔し、叱られて当然であると認識しているのだ。

 そんなオヴィニットにボヌムはナプキンで口元を拭いながら軽快な口調で笑う。

「そのような些事で忠臣のおまえをどうこうするつもりはないぞ。むしろ、腕のよい料理人を引っ張ってきたオヴィニットに別当を与えてやりたいぐらいだ。残念だが、そのような余裕がこの家にないがな」

「食うものには困らずとも、金に変わりますのは大森林で使用される武具や防具などばかりございます。領の貯蓄は減りはしませぬが増えもしませぬ。ここで一手なにか布石をうつべきかと私は愚考します」

「然り。だが、この領には産物がほとんどないからなぁ……もうすぐ三十になるが、日に日に頭が固くなっていると思うよ」

「ボヌム様の頭が固いのでしたら、四十七の私は固すぎでひび割れているでしょうね」

 執務室に二人の取り繕わない笑い声が響く。

「さて、そろそろ仕事に戻るとするか。リトーとやらには夕飯も期待していると伝えておいてくれ」

「承知しました。では失礼します」

 入室したときと同様に執事の作法として満点のお辞儀を行い、オヴィニットは執務室から退室した。





 時を少し戻して、オヴィニットがロティサンドをボヌムの元へ給仕しに行った後、里藤が一人になったことを見計らったのか、赤い髪の即頭部を刈り上げたなかなかに物理的に尖った髪型の男性が厨房の戸口に現れ、まるで往年の親友のように親しげに里藤へ話しかけてきた。

「よう。俺はクアッド、ボヌム様の従士だ。アンタがアマレの言ってた料理人かい?」

 里藤は馴れ馴れしいなコイツと思ったが、世界各国を回っているときに妙に距離を数段すっ飛ばして話しかけてくる奴もいたと思い出し、クアッドがその類の人種だと判断してタメ口で返す。

「ああ、俺は里藤。今日からここで世話になる料理人だ。よろしくな」

「お、話が分かる奴だなアンタ。俺の喋り方は品がないからやめろってよく言われるんだが、俺に合わせて砕けた喋り方にしてくれてるんだろ?」

「世界を回っていればアンタみたいにフランクな人間なんか山ほどいるから気になどならんさ」

 里藤は何故か感激しているクアッドを適当にあしらいながら自身のロティサンドを作りあげていく。その鮮やかな手さばきをみてクアッドは、ほうっと一つ感心の息を吐く。

「たいしたもんだな」

「これで飯食ってるからな……物欲しそうな顔をするな、昼飯は食ったんじゃないのか?」

「俺たち従士は昼飯がでないからベリィのパン屋に買いに行くか、厨房で適当に野菜食うかしかないんだよ。オヴィニットさんがいつも気を遣って厨房を好きに使えと言ってくれているんだが、従士は誰一人たりとも料理ができないからなぁ」

 たははと屈託のない笑みをこぼすクアッドに毒気を抜かれた里藤は嘆息し、作りおいていたロティサンドの準備を始める。

「……材料はあるから急いでパンを買ってこい。時間もあるしサンドを作ってやる」

「はっはー、ねだってみるもんだな。人数分買って来るからよろしく頼むわ」

 弾かれたかのようにどこかへ駆けていくクアッドに白々とした視線を送り、里藤は完成したばかりのロティサンドを一齧り。

 そして、わずかに咀嚼して嚥下し、苦虫を潰したような表情でつぶやく。

「……二十点」

 眉を吊りあげながら、苦々しい表情で自らの料理を採点したのだった。


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