最初の仕込み

 里藤は月に銀貨七〇枚の日払い、かつ領主館に住み込む条件で契約した。業務内容は毎日三食の食事を領主、領主夫人、領主の嫡男、執事とメイド二名に加えて従士五名の十一名分を用意すること。もっとも、優先すべきは領主一家だけであり。その他の人間は賄い程度でいいとオヴィニットの口から確認してある。ちなみに、一般的な家庭の一か月の収入は銀貨十五枚ほどなのでオヴィニットは里藤のことをかなり買っている。もちろん、物価もわからないのに適当に契約をした里藤はそんなことを知る由もないが。

 肝心の食事の提供時間は初刻の鐘と呼ばれる朝一番の時刻を告げる鐘と共に朝食を提供し、正午を知らせる中天の鐘がなった後に昼食代わりの軽食を用意、夕食は日の入りを告げる終刻の鐘を目安に提供する手筈となった。つまり里藤の勤務時間は朝早くから夕暮れまで、どこの世界も飲食店はブラックなのだ。


 契約も紙にしたためて、オヴィニットに案内された住み込み用の部屋で替えの服へ着替えた里藤は再び厨房へと戻ってきた。先ほど作ろうとしていた料理の続きを仕込むためである。

 今日一日は空けてあるといって共にいるオヴィニットと話しながら、里藤は鶏を慣れた手つきで捌いていく。

 鶏の脚の内股に三徳包丁を入れ少し切り、そこを指で広げて股関節を押してぐるりと外して見えてきた筋に包丁を入れる、脚がもげる一歩前まで準備したら背中側に一直線に切れ目を刻む。そのまま骨に沿って皮をむいていき少しずつ剥いていき、最後にほんのちょっと残った筋を切り落として脚をとる。里藤のあまりの早業にオヴィニットは感嘆の声をあげた。


「見事なものです」

「料理人ですからね、これぐらい慣れたものですよ」


 里藤は同じように反対の脚も解体し、両手羽とむね肉の合体した解体の少し難しい部分もするすると包丁一本でパーツ分けしてささみを取り出して、鶏ガラを上ガラと下ガラに分解して解体を終えた。時間にして五分ほどだろうか、里藤の巧みな鶏解体作業を見学していたオヴィニットは主人のために怪しい男に縋ったが、決して自身の目に狂いはなかったと確信した。そんな確信は次の里藤の行動で一瞬にして吹き飛んだが。


「り、リトー様、どうして骨などを洗っておられるのですか」

「なにって……これを料理に使うからですよ」

「ぼ、ボヌム様の食事に骨を!? さ、流石に看過できませんぞ!」

「いや、こうしないと作れない料理なんで……不味かったらもう作りませんからできあがるまで待っててくださいよオヴィニットさん」


 里藤はあらかた内臓や血合いを流水で洗い流し、木製のバットに鶏ガラを置いて、竈に火を入れようとする。しかし、里藤は先ほどアマレに薪置き場について聞きそびれたので、自分の世界に入ってブツブツと呟いているオヴィニットの肩をゆすり、それについて尋ねた。

 正気に戻ったオヴィニットはご案内しますといって厨房の裏、水場の壁を挟んだ対面に山積みにされた薪置き場へと里藤を誘った。


「こんなに薪を用意して周りの木は大丈夫なんですか?」

「はい、辺境伯領の森林は力場の影響で植物の育ちがとても早いですから。これらはそこから伐採してきたものなのでどんどん使っていただいて構いません」

「そいつはありがたいですが……力場とはいったい?」

「力場とはその土地に宿る不思議な力で、人が手入れをしなければ魔物の温床になる場所のことですが……ご存じありませんか?」

「……初めて聞きましたね。魔物という言葉も聞き覚えがありません」

「さっき捌いていたのはコケッコという魔物なんですが……」


 その言葉に薪を抱えていた里藤は戦慄する。自身が鶏だと思っていたものは得体のしれない魔物という生物だったのだ。

 里藤は他の野菜などは見た目そのままだったので地球のどこかだろうと油断していたが、ここに来て頭の隅にほんの少し置いていた別世界という単語が急に現実味を帯びてきた。

 厨房に戻り、竈に薪をくべた里藤が着火はどうするのかとオヴィニットに尋ねると、したり顔で一番外への扉に近い竈の側面をグルグルと擦り始める。擦り始めて数秒ほどで断続的にボッボッと炎が焚口内の側面から吐き出され続ける。


「どうです? 清水の蛇口と火口の竈は領主館でもここにしかない貴重な魔具でございます」

「……魔具ってなんです?」


 炎を吐き出し続ける竈に薪をくべ、着火したことを確認した里藤はオヴィニットに魔具について聞いた。

 魔具とは魔物の体内で生成される魔石を触媒にして自然現象を任意的に引き起こす道具で、貴族にとってステータスとして一つは持っていないと馬鹿にされるほどの高級品。倹約家の領主は本当は金を払ってまで欲しくなかったが、家が馬鹿にされるのは次代に響くとして、先代の購入した水の出る魔具こと清水の蛇口に加え、先ほど使用した火口の竈を辺境伯を継いだ際に手に入れたと、オヴィニットは簡潔かつわかりやすく、なにも知らない里藤に懇切丁寧に必要のない情報を追加して魔具について説明する。案の定、里藤は便利な水が出る道具と火が出る道具としか認識していない。

 その証拠に熱の入っているオヴィニットの語る辺境伯史など聞き流しながら里藤は沸いた湯に鶏ガラをさっと茹でて再び流水で洗う下処理に入った。

 オヴィニットに教えてもらった道具置き場で見つけた小ぶりの寸胴に鶏ガラ、二分割にしたして十字に切った玉ねぎ、包丁を斜めにあててまわしながら食べやすい大きさにした人参、四センチ幅に切ったセロリを入れて、一リットルほどの容量の木製カップに水を注ぎそれも寸胴に三回分入れる。そう、里藤が作っているのはブイヨンである。

 焚口の薪を隣の空いた竈に移したりして竈の火力を弱火に保った里藤は、まだまだ辺境伯領の歴史について語っているオヴィニットを見て、まだまだ語り続けるであろうと思い、一つ溜息を吐いた。





 じっくりコトコト二時間ほど煮込んだスープを使用していない竈に置いてある別の鍋へお玉で大きな具材を濾しながら注ぎ入れる里藤。煮詰めたおかげで体積が三割ほど減ったスープへ新たに切った玉ねぎ、セロリ、にんじん、コケッコのひき肉、卵白を入れてよく混ぜて粘りが出た肉だねを入れて攪拌、再びスープを煮立たせて肉だねが浮き上がってきたら、鍋の全体に広がっている肉だねの中央部分をお玉分だけこじ開けて弱火で二時間煮るだけだ。

 そこまでやって、里藤はきゅるきゅると鳴る腹を認識して空腹を覚えた。少し前にオヴィニットは所用で席を外しており、自身の昼食に地下食糧庫の食材を自由に使っていいのかを確認することを忘れていたのだ。賄いを作るにしても賄い用の食材は別にあると言われたら困るので、里藤は空腹と闘いながらスープと睨み合い、しばらく待っていると、


「ただいま戻りましたリトー様」


 両手に木で編んだ蓋つきの箱を抱えたオヴィニットが戻ってきた。籠から漂ういい匂いから察するに、オヴィニットは昼食をどこからか調達してきたらしいと里藤は理解する。

 里藤が一人で調理を行うには広すぎる作業台にオヴィニットが弁当箱と思われる籠を置き、ゆっくりとそれの蓋を開けるとそこには、


「平焼きパンの山……」


 詰め所の牢の中で口にした小麦の味しかしないロティのような平焼きパンが籠二つ分に目一杯に詰まっていた。


「……多くないですか?」

「このパンは私とリトー様にメイド二人、辺境伯様と御方様に坊ちゃま全員分の昼食ですから。このパンに季節の野菜のサラダが領主館の一般的な昼食です」


 小麦だけで焼いたであろう無味の平焼きパンにドレッシングもなにもないサラダが昼食だと聞いて里藤は天を仰いだ。発展途上国でももう少しまともな食事をとっていると知っているからだ。これを昼食で出すのは料理人としていかがなものかと思い立った里藤はオヴィニットの肩をつかみ、あるものについて尋ねる。


「オヴィニットさん、こう、酸っぱくなったワインってありますか?」

「ございますが……どうされたんです突然に」

「突然必要になったんです。昼食を美味しくいただくために!」


 力強く語る里藤に気圧されたコクリと頷いたオヴィニットは逃げるように厨房から館内へと駆けだす。里藤はそれを見送り、再び食糧庫から卵と追加のレタスに玉ねぎ、先ほど見かけたブロック肉と拳二個分ほどの大きさのオリーブオイルが詰まった木樽を作業台へ陳列する。

 次に洗ったボウルを複数準備して、レタスをロティもどきに合ったサイズへちぎってボウルに入れる。玉ねぎはヘタとひげ根を切り落として皮を剝き、半分に切り分けたものを繊維に沿って薄切りにし、流水にさっとさらしてレタスとは別のボウルに入れる。

 最後にブロック肉を手ごろなサイズに切り分けてミンチ肉にしていると、オヴィニットが一本の小さな木樽を手に持って帰ってきた。


「お待たせしました。ご所望の酸っぱく飲めないワインです」

「どうもどうも。……うん、ワインビネガーだ。助かりましたオヴィニットさん」


 里藤はそういって、先ほど肉だねを作ったときに余った卵黄、少し色の悪い塩、多めのワインビネガーをボウルへまとめて入れて木製のスプーンでぐるぐると混ぜ合わせる。シャカシャカと木製のボウルとスプーンがこすれる音を聞き続けてしばらく、もったりとしてきたボウルの中にオリーブオイルを少し注いでは混ぜ、少し注いでは混ぜを繰り返してボウルの中身を乳化させると、


「よし、マヨネーズの完成だ」


 と、いってボウルを置いてミンチ肉作りへと戻る。ワインビネガーを持ってきた手持ち無沙汰のオヴィニットが恐る恐る、人の変わったように調理を行う里藤に対して一つ尋ねた。


「リトー様、この白くなってしまったものはいったい?」

「これはマヨネーズっていうものです。これから作る食事を美味しくする調味料ですね」

「……不勉強で大変申し訳ございません。リトー様、調味料とはいったい……?」


 順調にブロック肉をミンチにしていた里藤はオヴィニットのその言葉にギョッとして顔を向けた。


「ちょ、調味料ですよ? こう、あるでしょう? 塩とか砂糖とか香辛料とか」

「塩は存じておりますが、砂糖と香辛料ですか? それはどのようなものでしょうか」


 絶句。思わず包丁を落とした里藤を誰も責められまい。料理の基本のさしすせその内、しとすしか認知されていないと来たのだから料理人としてはもうなにも言えない状態である。


「砂糖ってのは、白っぽい、舐めたら甘い粉状の……香辛料ってのは赤っぽかったり茶色っぽかったりして苦みや辛みがある植物で」

「甘味は蜂蜜しか聞いたことがありませんな。香辛料とやらにいたってはとんと思い当たりません」


 申し訳ないと再び頭を下げるオヴィニットに、おぉ……と引きつった声で呻くことしかできない里藤だった。


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