わらうプレーンオムレツ

「おっ、やってるね」

 里藤が夕食に向けての準備を進めていると、館と調理場を繋ぐ戸口からひょっこりとアマレが顔を出した。

「いらっしゃい。なにかつまみますか?」

「え、いいの? じゃあちょっとだけもらおうかな」

 里藤はアマレの言葉を受け、クアッドに出したように豚の串焼きとシチューを渡す。アマレは見たこともない料理に「おおっ」と驚きながら、ゆっくりとシチューを匙で掬って口に運ぶ。咀嚼を二度三度して、アマレは身体を震わせ、目をカッと開く。

「うまいっ。なにこれ美味しい」

 里藤に称賛を送り、アマレは勢いよくシチューも豚串も平らげた。満足気な表情でアマレは里藤に訊く。

「こんなのが毎日食べれられるってこと?」

「任せてくださいよ」

 自信満々な里藤の返しに、アマレは口笛を吹く。

「凄い自信だね」

「あいにく、これで食ってきたもんで」

「そりゃそっかー」

 にこにこの笑顔で里藤から渡された水を飲むアマレ。一息ついたところでアマレは里藤に訊いた。

「リトーはどこかから流れてきたんだよね」

「はい。気が付いたら辺境伯領でして」

「あ、敬語はいいよ。同僚だし」

「そうか。なら、ありがたくそうさせてもらおう」

 里藤もアマレの提案に同意し、敬語を崩してクアッドと同じような言葉遣いにした。アマレは嬉しそうに頷き、困ったことがないかを里藤に訊く。

「そうだな。アマレは調味料って知ってるか?」

「調味料? なにそれ」

 やはりダメかと里藤は額に手をやり、料理に使う味付けのもとだと教える。アマレは思い当たるものがないのか、「ごめんね」と答える。

「市場でも見たことないからなぁ。たぶん調味料っていうのは存在しないんじゃない?」

「……あぁ、調味料ってのは総称であって個別のものじゃないんだ。砂糖とか醤油とか味噌とか、あとは胡椒とかナツメグとかクミンとか」

「待った待った。一気に言われてもわからないし、市場でも聞いたこともないよ」

 里藤は頷く。

「そうか。やはり一度自分の目で見て見ないことには始まらないか」

「そうだねー。市場に流れてない大森林の植物もあるし、ないとはいいきれないね」

 あるといいねと言いたげなアマレが指を立てて言葉を続けた。

「ま、大森林は危険だからね。行くんだったらアタシたち従士たちが編隊組んで護衛になるだろうね」

「そんなに危ないのか?」

「危ない危ない。大森林は拠点がある場所から前層と中層と深部に別れているんだけどね。中層からは騎士が数人がかりでも勝てない魔獣ばかりになるから、冒険者と騎士以外は必ずパーティを組んで探索しないといけないんだよ」

 里藤はロールプレイングみたいな理由付けをしているなと、どこか他人事のように考えつつ、ひとつの閃きを得た。

「俺がイラストを描いて、それを託すってのはどうだ」

「かまわないけど、紙って高いからとんでもない金額になりそうだね」

 たははと微笑むアマレだったが、里藤が眉を顰めるのを見て訊いた。

「どうしたの?」

「もしかして……いや、なんでもない」

 紙の機械的製法を知っているなどといえば仕事が増えそうなので、里藤は口を噤んだ。本当に賢い人間は余計なことを語らないとこれまでの人生経験から学んでいるのである。





 オヴィニットは夕暮れを告げる終刻の鐘まで、あと二時間といったところで執務を一度止めた。スッと執務机から立ち上がり、厨房へと向かう。

 辺境伯一家が一日の中で唯一集う時間が夕食の時間である。愛妻家であるボヌムにとって、夕食とその後の団欒だけはどんなことがあっても邪魔されることを嫌うほどに重要な時間だった。それ故にオヴィニットは自分の仕事を中断してでも、夕食の出来栄えを確認する必要があった。それは、雇用初日の里藤が困っていないかをサポートするためでもあった。

 オヴィニットが厨房へと歩いていると、正面から辺境伯夫人であるミリアの傍仕えをしているエルイーザに出会った。ミリアの傍を離れることが滅多にないエルイーザが単独でいることにオヴィニットは驚く。

「おや、珍しい」

わたくしも奥様の傍を離れることぐらいありますわ」

 オヴィニットの奇異なものを見たといわんばかりの口ぶりに、少しばかり憤慨する様子を見せたエルイーザであったが、音もなくオヴィニットの近くに寄ってそっと耳打ちをする。

「厨房の新人。あれはいったいなんですの?」

 オヴィニットはピクリと眉を動かし、厨房へと向かう正面の道を見ながら訊く。

「なにか問題でも?」

「そうではなくて、どこであんな逸材を拾ってきましたの」エルイーザは固い表情でいった。「厨房で用意された料理の数々。王都でもあり得ない光景になってますわ」

「ほう。参考までに、元男爵令嬢のアナタならば彼の月給はいくらに?」

 エルイーザは顎に手をやり、深く悩む。そして、数十秒ほどして答える。

「……金貨三枚でスタートかしらね。おそらく五枚でも惜しくないと思うわ」

「ほうほう。これは安い買い物になりましたね」

 月給銀貨七十枚とは露にも考えていないであろうエルイーザにニコリと微笑み、オヴィニットは失礼といって厨房へと再び歩みだす。その場に残されたエルイーザは、いくらで里藤が雇われたのかをしばらく考え込んで立ち尽くした。



 オヴィニットが厨房に入ると、そこには目を疑う光景が広がっていた。

 館全体の管理をするメイドのライシーとサボり魔のクアッドが里藤の指示を受け、冷水に手をつけてトマトの皮むきをしていたのである。この屋敷で雇ってから料理などするところを見たことがない二人が、である。

 オヴィニットは一歩踏み出して存在を示す。その音に気付いた里藤が顔をあげた。

「あ、二人借りてます」

 ライシーとクアッドを無許可で借りたことを里藤は謝罪しつつ、目線をまな板の上に戻して、尋常じゃない勢いでニンニクを刻んでいく。

 里藤の言葉でオヴィニットがいたことに気づいた二人は、震える手でトマトの皮を剥きながら助けを求める。

「オヴィニット様。助けてくださーい」

「さっきからずっとトマトの皮むきさせられてるんですよっ」

「俺は人材を好きに使っていいと聞いていたので扱き使っていただけです。あっ、オヴィニットさんも暇ならトマトの皮むきお願いしていいです?」

「待て待て待てっ」

「私たちがやるんでオヴィニット様を巻き込まないでくださいっ」

 遠慮なくオヴィニットも使おうとする里藤にライシーとクアッドがストップをかける。里藤は慌てる二人に「はははっ」と笑いかけ冗談だといった。

「それで、なんの御用でしょうか? 夕食の準備は終わっていますが」

「終わっている? では、今はなにをしているのですか?」

「これは時間があるのでトマトソースを作って、彼らに試食をお願いしようかと思って」

「トマトソース、ですか」

 里藤は頷いて、貯蔵庫にあった匂いのない食用油をフライパンに落として火を入れる。

「トマトソースはトマトを使用したソースの総称です。有名なところではサルサ・ディ・ポモドーロでしょうか」

 火が通ったオイルにニンニクを入れ、竈の薪を減らして弱火にし、焦がさないようにしてじっくり熱する。その間にライシーとクアッドが泣きながらみじん切りにした不揃いな玉ねぎを、里藤は適量フライパンに投入した。オイルとニンニクが混ざった香ばしい匂いが厨房に広がる。

「腹減ってくる匂いだなぁ」

「だろう?」

 トマトソース作りと並行して、里藤は別のフライパンを取り出してオイルを垂らす。そして、ボウルへ器用に卵を割り入れ、適当に薪を削って作った箸でかき混ぜる。

 里藤はかき混ぜ終わった卵液を作業台に置き、ライシーとクアッドが剥いたトマトを手のひらでざく切りにして、透明になった玉ねぎとニンニクが混ざったオイルへ油が跳ねないように丁寧に加えて混ぜた。

「めっちゃ手際いいな」

「これで飯食ってるからな……アマレにも言ったな、これ」

 ナハハと笑う里藤とは対照的に呆然とするオヴィニットら三名、あっという間に出来上がっていく料理に誰かの腹が鳴った。

「もうちょっと待ってな」

 トマトソースのほうに気を配りつつ、フライパンに垂らしたオイルが回り切ったのを確認した里藤は、ボウルの卵液をグルグルと混ぜて適量の塩を入れる。チャッチャッチャとかき混ぜる音を響かせ、熱したフライパンに卵液を適量注いだ。里藤は三つ並んだ竈の一番右端、強火にしている竈にフライパンを移し、左手でフライパンを振るい、右手で菜箸を使って卵液を混ぜて半熟状にする。そのままそれを半月状に整えて、手首のスナップを使って綺麗にひっくり返す。黙ってみていた三人の「おおっ」という声が里藤の耳に届いて、得意げになった里藤は仄かに笑った。

 火が通ったプレーンオムレツを平皿に落とす。オヴィニットたちはそれをジッと見つめた。

 彼らを無視して煮詰まっていくトマトソースへローリエの風味を持つ葉を一枚入れて、里藤は待つ。それから二分ほどして、里藤は匙を使ってトマトソースを味見した。

「うん、及第点」

 そういってトマトソースの入ったフライパンを火から降ろした里藤は、お玉でプレーンオムレツにトマトソースをかけた。

「三等分にすれば晩飯には影響しないだろ。さぁ、おあがんなせぇ」

 里藤は一本の食事用金属製ナイフと三本の木匙を置き、大鍋を竈へセットして大量のトマトソースを仕込み始めた。

 目の前の美味しそうなお宝に、三人の瞳が交差する。

「私が均等に切りましょう」

 オヴィニットが有無を言わさぬ態度でナイフを握り、ライシーとクアッドの頷きを確認すると、素早い手つきでプレーンオムレツを見事な三分割にした。そして、オヴィニットはナイフを木匙へと持ち替えて、三分割された左端にある部分を半分ほど掬って口に運んだ。

 一度二度咀嚼し、オヴィニットは左手を口にやって、なにかをこらえるように震えた。

「んふふ……」

「ど、どうしたんですかオヴィニット様っ」

「そんなにヤバいんすか」

 丁寧に分割したオヴィニットとは対照的に割り当て部分を一気に口に放り込んだクアッドも咀嚼をするたびに口角が緩んでいく。そんな二人に恐怖を覚えながらも、ライシーは三分割ほどにしたオムレツを食べた。

 ほのかに感じる甘み、口当たりのいいフワフワした卵の優しさ、飾らない僅かな塩気。それらが凝縮された旨味がライシーの舌を襲う。なるほど、これは笑ってしまうとライシーは納得した。


「えっ、なんか笑ってる……こわ」

 なお、そんなプレーンオムレツを作った男は彼らの料理漫画じみた反応にドン引きしていた。


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