後編
「幸空鳥の卵に、魔法の粉。次は何が必要なのかしら?」
屋敷に呼びかけてみるものの、返答はない。
抱えた三つの粉を一度どこかに置こうと、階段を下りる。雪の結晶と星屑は軽いのだが、黄昏の砂が重すぎる。
魔法で軽くすることもできるが、万が一黄昏の砂が変質してしまっては元も子もない。
袋を引きずらないように気を付けながら、キッチンカウンターの上に置いた。
魔力で未だに動いている冷蔵庫を恐る恐る開ける。幸い中に食べ物はなかったが、小さなメモが入っていた。
「命の滴り、光の悲しみ、どちらもアメリアの大好物」
また謎々だ。
先ほどのように夢や幻でヒントでも見えないかと床に転がってみるものの、眠気は襲ってこない。
今回ばかりは、ノーヒントで答えろと言うことなのだろう。
(命の滴りを素直に考えれば、血かしら? でも私は吸血鬼じゃないから、血なんて好きではないし。光の悲しみにいたっては、何が何だか……)
そもそも、光の悲しみとは何だろうか?
光に感情があるとは思えない。感情があるもので、光が関係するもの。そしてそれは、アメリアの好きなもの。
感情のある光、大好物、好物、食べ物、美味しい。
「あっ……! 天使の涙!」
トロリとした透明な液体は、砂糖菓子のように甘い。可愛らしい天使の羽のついた瓶に入っているそれを、子供の時によく舐めては怒られていた。天使の涙は天にも昇るほど美味しいのだが、目玉が飛び出るほど高価なのだ。
「光の悲しみが天使の涙なら、命の滴りは世界樹の雫ね」
生きとし生ける全ての魂を司るとされる世界樹は、定期的に幹から琥珀色の雫を垂らす。濃厚な甘みを持った滴は、天使の涙と並んでアメリアのお気に入りだった。
キッチンの棚にあった天使の涙と世界樹の雫を取り出すと、扉にボンヤリと文字が浮かんできた。
「冬の芸術品を一袋、空の欠片を同じだけ、赤の名残を二掴み。魔法の粉の出来上がり」
アメリアが魔法を唱えれば、それぞれの粉が指定された分だけ空中で混ざり合う。シャンデリアの光を受けてキラキラと七色に輝く粉は、星のようにも雪のようにも見えた。
きちんと粉が混ざったころ、粉の中に淡い光の文字が現れた。
「虹を黄と白に分け、白はバレリーナになる」
「これは……幸空鳥の卵を卵黄と卵白を分けて、卵白に回転魔法をかければ良いのかしら?」
魔法の粉を空中に浮かせたまま、今度は隣で虹色の卵を二つ割り、卵白をかき混ぜる。トロリとしていた卵白が混ざるごとに硬くなり、ゆっくりと形を崩し文字へと姿を変える。
「虹の黄と魔法の粉を合わせ、乙女の守護者からもらえる生命の白を合わせ、螺旋を描け」
前半部分は良いとして、後半部分にまた謎が入る。
最後の螺旋を描けは、バレリーナと一緒で回転魔法のことだとして、その前の部分は何だろうか。
「乙女の守護者に生命の白。もらえるってことは、乙女の守護者の部分さえわかればなんとかなりそうね」
卵白で描かれた文字が消え、ふわふわとした塊だけが残る。
アメリアはキッチンカウンターに置いた天使の涙をこっそりなめながら、必死に考えた。
「乙女の守護者ってことは、乙女だけを守るものってことよね。それとも、女の子を総称して乙女って言っているのかしら?」
女の子だけを守る者。
アメリアの頭の中に、古今東西様々な神の名前が浮かぶが、どれもいまいちピンとこない。
「守護者が判明すれば、おのずと生命の白も分かると思うんだけど」
天使の涙のふたを閉め、今度は世界樹の雫を舐める。天使の涙よりも濃い甘さは、魂を司る樹だからこそ出せる味なのだろうか。
「そう言えば、天使の涙よりも世界樹の雫の方が栄養がたくさん詰まってるのよね。……うん? 栄養?」
アメリアの中で何かが光ったような気がした。一瞬の閃きを逃さないように、集中する。何かをつかみかけていた。
今までで出てきた単語が混ざり合い、クルクルと回る。関係のない言葉が飛ばされていき、残った言葉が一つの形を作る。
「生命の白、栄養、乙女を守護する存在。……一角獣のミルク!」
正解と言うかのように、ポンと音を立てて空中に紙吹雪が舞う。
魔法の紙吹雪は瞬き一つする間に跡形もなく消えてしまったが、カウンターには純白のミルクが入ったツボが置かれていた。
「そう言えばおじいちゃん、ミルクを使うときにいつも、生命の要って言ってたわね」
哺乳類はみんな、ミルクを飲んで命を育む。栄養素がたっぷり詰まった生命の要だと、口癖のように言っていた。
卵黄と魔法の粉を合わせ、一角獣のミルクをゆっくりと入れながら回転魔法をかける。
回るごとに粘度が増していくそれは、アメリアが動かしていないにもかかわらずゆっくりと空中をスライドしていくと、卵白を飲み込んだ。
空中に浮かんでいた材料が一つになり、伸縮を繰り返しながら混ざっていく。
それは徐々に見たこともないような大きなモンスターの形になると、アメリアに襲い掛かってきた。
「秘密の魔物を、小麦色に変えろ!」
モンスターの頭上に、そんな文章が浮かんでいる。
子供のころの悪夢に出てきたモンスターにそっくりだと思いながらも、アメリアは慎重に指先に魔力をためた。
白いモンスターを小麦色に変えるためには、火が必要だろう。しかし、火力を間違っては上手く色が変わらないかもしれないし、逆に真っ黒になる危険もある。
自分の魔力の低さも考えて、全力よりもやや弱いくらいに調節すると、短い詠唱の後に炎を放った。
真っすぐに向かっていった炎は、モンスターを一気に包み込んだ。チリチリと焼かれ、徐々にモンスターが小さくなっていく。見上げるほどに大きかったモンスターがアメリアの両手に乗るくらいにまで縮んだとき、懐かしい甘い香りが漂ってきた。
まだ祖父がこの家で元気に過ごしていた頃に何度も嗅いだことのある、懐かしい香りだ。
アメリアは空中に浮かぶ小麦色の小さなモンスターを前に、遠い昔にした約束を思い出していた。
この屋敷に来ると、アメリアは必ず祖父にお願いすることがあった。
「おじいちゃん、今日も秘密の魔法を見せて!」
そう言うたびに、祖父はお腹を抱えて笑い、大きな手で頭を撫でてくれた。
「魔法が見たいと言うより、秘密の魔法でできたパンケーキが食べたいんだろう?」
「別に、パンケーキのためだけじゃないよ。アメリアももしかしたら魔法が使えるようになるかもしれないから、その時のために見ておくの!」
「大丈夫、アメリアもいつか、おじいちゃんと同じように魔法使いになれる日が来るよ」
かろうじて素質なしを免れただけのアメリアは、魔法使いにはなれないだろうと言われていた。実際、魔法を使おうとしても上手く発動しないことが多かった。全力で魔力を注いでも、一滴の水しか生み出せないこともあった。
それでも、自由自在に魔法を操る日が来ることを夢見て、地道に努力を重ねていた。
「いつか、おじいちゃんを超える大魔法使いになるんだから。そのために毎日、魔力を高める練習してるんだよ!」
「毎日少しずつでも鍛錬していれば、いつか必ず実を結ぶよ。アメリア、一生懸命努力を重ねる人には、きっと報われる日が来る。それを忘れずに、頑張りなさい」
人よりも遅い進みかもしれないが、小さな努力を積み重ねれば、いつか大きな成果となってアメリアを助けてくれる。
「簡単に手に入るものよりも、頑張って手に入れたものの方が価値は高いんだよ」
優しくそう諭しながら流れるように魔法を使いパンケーキを作り上げると、アメリア専用のお皿に綺麗に盛り付けた。
「アメリアが魔法使いになったら、秘密の魔法を教えてあげよう。その時は、おじいちゃんの代わりにアメリアがパンケーキを焼いてくれるかい?」
「もちろん! 約束だよ」
指切りをする。
大きくなって秘密の魔法を教えてもらったら、祖父よりも美味しいパンケーキを作って驚かせてみせるんだ。
幼いアメリアは、そう強く思った。
「さあアメリア、今日は天使の涙と世界樹の雫、どちらをかける?」
「どっちも!」
透明な天使の涙と琥珀色の世界樹の雫が、踊るように円を描いて絡みつきながらパンケーキの上に滴る。
甘い香りに思わずお腹が鳴り、現実のアメリアのお腹もグーっと鳴った。
懐かしい記憶の世界から、意識が今へと戻ってくる。
「そうだね、確かに約束したね。おじいちゃんは覚えてたんだね」
パンケーキをお皿に乗せ、天使の涙と世界樹の雫をたっぷりとかける。
ふわふわのパンケーキをフォークで一口サイズに切り、口に入れる。
思い出の中の味と、全く同じだった。
ゆっくりと噛みしめるうちに、この屋敷に来る前まで感じていた重苦しい絶望感が消え、小さなころの熱いひたむきな心が蘇ってきていることに気づいた。
(確かに私は、おじいちゃんのような大魔法使いになるのは難しいかもしれない。でも、生まれながらの魔力がFだったのに、今はEになっている)
魔力のランクを上げることは、並大抵のことではない。
毎日必死にコツコツと頑張った成果だ。
今はまだEでも、これから先AやSになる可能性だってある。未来には、無限の可能性が残されているのだから。
「それに……この秘密の魔法を教えてくれたってことは、おじいちゃんは私のことを魔法使いとして認めてくれたってことで良いんだよね?」
虚空に向かって話しかける。
返事はない。
しかし、いつの間にかパンケーキの端が少しだけ欠けているのに気付いた。
まるで、誰かが一口こっそりと食べてしまったかのようだった。
秘密の魔法 佐倉有栖 @Iris_diana
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