秘密の魔法

佐倉有栖

前編

 アメリア・クロックは真っ青なツインテールの髪を揺らしながら、身長の倍はある大きな扉を見上げた。

 豪華な装飾が施された扉は、記憶の中のそれよりも大分色あせていた。

 脇から伸びてきた蔦が幾重にも絡みつき、侵入者を拒んでいる。

 人が訪れるのは久方ぶりなのだから仕方がないと諦めつつも、華やかな場所だった記憶がある分切なくなる。


「たくましき草花の時よ戻れ」


 扉に手をかざし呪文を唱えれば、スルスルと蔦が引っ込んでいく。植物の成長を戻す呪文は使いどころが限られるが、こういった時にむやみに傷つけないですむのはありがたい。

 木の扉には、古い魔法のカギがかけられていた。

 もしかしたら魔法が崩れたり解けたりしているかもしれないと覚悟していたのだが、杞憂だったようだ。


(さすが大魔法使いウォルシュ。死後十年経っても、魔法は健在なのね)


 覚えている魔法コードを打ち込めば、滑るように扉が開く。

 真っ暗な屋敷の内部に侵入するべく足を踏み出そうとして、ふと思い出して口と鼻を袖で覆う。

 家というものは、住む人がいなくなると荒れる。おそらく、床には厚い埃が層を作っているだろう。

 埃が舞い上がらないように慎重に足を踏み入れると、パチパチと音を立てて明かりが灯っていった。

 予想していなかった展開に身構える。

 無人だと思っていたのだが、もしかして人が住んでいるのだろうか? いや、扉に絡まった蔦の様子からは、誰かが入った形跡はなかった。

 別の場所から侵入した者がいた可能性もなくはないが、あの大魔法使いの屋敷なら、こう考えるほうが自然だろう。


(屋敷の中にかけられた魔法ですら、未だに正常に機能しているのね)


 奥へと伸びる赤絨毯は色鮮やかなままで、大理石の床には塵一つ落ちていない。天井にぶら下がる巨大なシャンデリアも、幼いころに見たままの姿だ。

 何も変わっていない屋敷の内部に、懐かしさがこみあげてくる。

 呼びかければ、吹き抜けの階段からひょっこりと祖父が顔をのぞかせてくれる気がした。

 この屋敷にかつて住んでいた大魔法使いウォルシュ・クロックは、アメリアの祖父だった。




 アメリアは、幼いころから魔法使いになることを夢見ていた。しかし両親ともに魔法使いとしての素質はなく、アメリアもまた、素質なしだと思われていた。

 潜在的な魔力検査の結果、かろうじて素質なしの判定は免れたものの、魔力測定ではいつも最下位のFランク。魔力が皆無と言うわけではないものの、魔法使いになれるほどの能力はない。

 それでも、日々努力を重ねれば祖父と同じような魔法使いになれる。頑張っていれば、叶わない夢なんてない。そう思っていた。

 しかし現実は厳しく。頑張った結果魔力のランクは上がったものの、それでもEだった。大魔法使いなど夢のまた夢、日常生活で魔力を活用できる程度しかない。


(私は、祖父のような魔法使いにはなれない)


 日に日に大きくなっていく現実に打ちひしがれていた時、十年前に亡くなった祖父から手紙が届いた。


「十五歳になったアメリアへ」


 そんな書き出しから始まる手紙には、成長を見守ることが出来なかった悔しさや、それでも健やかに育っていることを願う言葉でいっぱいだった。

 そして最後には、気になる文章が。


「最後に、とっておきの秘密を教えてあげよう。空を抱き地を歩く、白から生まれる虹を二つ持って私の屋敷まで来ること」


 アメリアは何度も文章を読み、頭を悩ませた。


(空を抱き地を歩く? どこかで聞いたような……)


 ふと、幼いころに祖父と屋敷の中庭で交わした会話を思い出した。

 さまざまな植物が生い茂った庭では、いつも真っ白な羽の鳥が歩いていた。

 記憶の中のアメリアが、何かをほおばりながら祖父に質問をする。


「ねえ、おじいちゃん。幸空鳥って、いつもお庭にいるけど、いつ空を飛ぶの?」

「飛ばないんだよ、アメリア。あれは、飛べない鳥なんだ」

「変なの。空ってついてるのに』

「でも、幸空鳥は、空を飛べそうなほど幸せになる美味しい卵を産んでくれるだろう?」

「あの虹色の卵ね。アメリア、幸空鳥の卵大好き!」


 幸空鳥の卵には微力ながら魔力が含まれている。しかし、幸空鳥自身は魔力を持たない。

 それは長年にわたり研究者が解き明かそうとしている謎なのだが、未だに謎のままになっている。


(おじいちゃんは私の魔力が低いのを知っていたから、何か力になるものを残してくれたのかもしれない。魔力を増大させる秘術とか、少ない魔力でも強大な魔法を使えるようになる秘策とか)


 あれだけの大魔法使いだったのだ。孫娘の魔力のなさに気づき、何らかの手を打ってくれている可能性もある。

 かすかに見えた希望に、アメリアは縋りついた。




 幸空鳥の卵を持ったまま、歩き回る。

 記憶の中の屋敷よりも大分狭く感じるのは、アメリアが大きくなったからだろう。届かなかったドアノブも、今はちょうど良い高さにある。

 玄関を見渡し、次のヒントを探すべく一つ一つ部屋を見ていく。綺麗に整ったベッドに、ピカピカに磨かれた鏡。部屋の隅に置かれたサイドテーブルには、時の止まった時計が置かれている。

 あの時計は確か、長針が十二のところに来ると中からバレリーナが出てきて踊る仕掛けがあったはずだ。可憐なダンスが見たくて、何度も時計の針を回してはウォルシュに怒られていた。


(確か、おじいちゃんが魔法をかけて、動かないようにしたのよね)


 人差し指で長針を動かそうとしても、ピクリとも動かない。

 アメリアは指先に魔力を込めると、長針を十二の位置まで動かした。

 時計の上部がパカリと開き、ピンク色のチュチュを着た女の子がオルゴールの音に合わせて踊りだす。

 

(昔は、彼女と一緒に踊ったっけ)


 いつも踊っていた場所に立ち、つま先立ちになる。クルクルと回り、右に一歩、左に三歩。

 右へ左へと動き、最後のポーズを決める。伸ばした右手の指先のさらに向こうに、キラリと光るものが見えた。

 魔法で引き寄せてみれば、それは祖父の残したメモだった。


「赤の名残に空の欠片、冬の芸術品を合わせて作る魔法の粉」


 また謎々だ。前回のものよりも、今回の方が難しい。

 アメリアはベッドに倒れこむと、目を閉じた。きっとこの謎も、幼いころの祖父との思い出の中にヒントが隠されているはずだ。

 ベッドの上で横になるうちに、だんだんと頭がぼんやりしてくる。寝ている場合ではないと分かっているが、甘いまどろみに意識が引きずり込まれていく。



 はっと目を開けると、アメリアは宙に浮いていた。寝ながら浮遊魔法を使ってしまったのかと解除の言葉をつぶやくが、体は浮かんだままだ。

 かすかな違和感に首をひねっていると、扉が開いた。

 廊下から青い髪の小さな女の子が、深緑色のローブを着た男性の手を引いて現れる。


「おじいちゃんの出した謎々、解けたよ! ちゃんと、ママとパパには頼らずに、メイドのマリーのヒントだけで解いたのよ!」


 自慢げに胸を張るその子は、幼い日のアメリアだった。


「それじゃあ、答え合わせをしようかね」

「まず、赤の名残ね。マリーは時間の事って言ってたわ。空を見てれば分かるって。だから、朝早くに起きてずーっと空を見てたの。朝か夕方かで迷ったけど、きっと夕方ね! だから、黄昏の砂!」


 祖父がパチパチと手を叩く。アメリアの顔がさらに自慢げに輝く。


「次、空の欠片ね。これは簡単、マリーのヒントももらわなかったのよ! だって、おじいちゃんと前に話したことあるものね。これは、星屑のことよね」

「よく覚えておった。アメリアがもっと小さいとき、星屑のことをお空の欠片と呼んでいたんだよ」

「最後、冬の芸術品。これはマリーのヒントは“冷たい物”だったから、色々と悩んだわ」


 氷細工だろうか、雪だるまの事だろうか。それとも、冬の女王が奏でる曲の事だろうか。

 うんうんと悩んだ結果、アメリアは祖父が言っていた言葉を思い出した。


「雪の結晶のことよね。おじいちゃん前に、雪の結晶は一つとして同じもののない芸術作品って言ってたものね」


 どうだと言わんばかりの幼いアメリアと目が合う。

 子供の頃の自分と目が合うなんて不思議な経験だと思っていると、ふっと視界が暗くなった。



 目を開ければ、真っ白な天井が見えた。どうやら軽く眠ってしまっていたらしい。

 夢だったのか、幻だったのか。どちらにせよ、魔法の粉の材料が分かった。

 この場所が、祖父が亡くなったときのままで時間を止めているならば、すべての材料はあそこにある。

 アメリアは反動をつけて起き上がると、吹き抜けの階段をゆっくりと上り、二階へと向かった。



 突き当りの壁が見えないほどに長い廊下の両側には、無数のドアが並んでいた。全部同じ赤い扉に金色のドアノブだったが、プレートに彫られたルーム名だけは違っていた。

 紺碧の海に、煉獄の炎、深海の宝玉に、天空の剣。室内はそれぞれ、名前通りの内装になっている。一度、全部の部屋が見たくて端から順番に開けて行ったことがあるが、途中で飽きて止めてしまった。

 そもそも、祖父ですら二階の客室が全部で何部屋あるのかは分かっていなかった。一度かけた魔法が延々と発動し続け、無限の空間を作っているのだと言っていた。

 アメリアは“鏡の迷路”と書かれた部屋の前で足を止めると、コンコンと二回ノックをした。

 暫く待つと、扉の向こうから二回ノックが返ってくる。

 今度は五回ノックをし、返ってくるのを待つ。次は七回、一回、三回。

 三回のノックの後、扉がゆっくりと音を立てて開いた。

 “鏡の迷路”は普通に入れば壁中に鏡がかかっているだけの少々不気味な部屋だが、特別な合図をすると祖父の実験室に行くことが出来た。

 薬品のツンとしたにおいの中、アメリアは目当てのものを素早く見つけると部屋を後にした。

 祖父は化学も好きだった。毎日のように何か実験をしては、失敗して爆発していた。

 残念ながらアメリアは化学には興味がなかったため、あの部屋の大半の薬品が何なのかは分からなかったが。

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