05 すき焼き

 血を拭き取り、カーペットを捨て、窓ガラスの修理も終わり、僕の部屋は何とか過ごせる状態になった。しかし、兄のいる和室が心地よくて、あれから一緒に寝るようになってしまっていた。

 調理器具も一新した。今回の騒動でやたらお金は使ったが、父からまとまった額が送金されたので問題ない。そして、日曜日。僕は朝から和室で兄とゴロゴロしていた。


「兄さん……お腹すいたね……」

「ああ……でも今家に何もないな」

「スーパー行かなきゃだけど、寒いね……」


 毛布にくるまり、互いの熱で温め合い、たまにキスをした。いよいよ腹の虫がぎゅうぎゅう鳴り始めたので、観念して這い出した。


「そうだ、兄さん。今夜はすき焼きにしよう。いい肉買おう」

「おっ、いいな。すき焼きなんて久しぶりじゃないか?」


 着替えてスーパーに行き、一番高い牛肉を買った。もう昼前になっていたので、惣菜コーナーでコロッケや唐揚げをみつくろい、冷凍していた米を温めて一緒に食べることにした。

 帰宅すると、ポストに小さな封筒が入っていた。差出人の名前は無かったが、害はないと直感でわかった。


「組紐だ。しかも三本も」

「カズちゃんに今回のこと言ったからな。彼女、器用なんだよ。兄さんにはこれは作れない」

「どうやって作るの?」

「妖狐の毛を編むんだよ」

「へえ……」


 僕は一本身につけた。使いきりのようだが、また何かあれば守ってくれるだろう。昼食を終え、僕と兄はまた毛布をかぶった。予習や復習もしなければならないが、このところの騒動で疲れ果てていた。


「なあ、直春……」


 兄が僕の服の裾から手を入れてきた。僕はくすぐったくて声を漏らした。


「兄さんは何代もこの家に仕えてきたが、あの姿になったのは百年ぶりだ。直春のことはことさら愛しく思えてよぉ……兄さんに身体を預ける気はないか……?」

「えっ、どういうこと?」

「まぐわいたい」

「はぁっ?」


 僕は兄を突き飛ばした。


「いてて……やっぱりダメか」

「ダメだよまったくもう! このエロ狐!」


 兄は唇をとがらして、耳をぴょこぴょこと動かした。


「だってさー、兄さんもご無沙汰なんだもん。直春がもうちょっと大人になったら、いいか?」

「ええ……こわいよ、やだよ……」

「これでも人間を悦ばせる術は心得てるんだぞ? なあなあ、考えておいてくれよぉ」

「考えるだけ、考えとく」


 そして、僕は兄の抱き枕になった状態で、そのまま昼寝した。先に起きたのは僕で、布団を抜け出し仕込みを始めた。


「おっ、いい匂い!」


 着流しから胸も足も出した状態で、兄がキッチンに寄ってきた。


「兄さん、帯締め直してよね」

「はぁい」


 我が家のすき焼きはダシが多めだ。それでいて砂糖もたっぷり使う。母から教えて貰った黄金比で僕は味付けをした。


「やっぱり高い肉はいいなぁ直春!」

「うん、奮発して良かったね!」


 柔らかく、脂の乗った牛肉は、噛めば噛むほど味がした。豆腐やシラタキもダシのお陰でふんわりと甘くいいお味だ。


「締めはうどんだよ、兄さん」

「いいねぇ」


 少し長めにうどんを煮込み、頂いた。濃くて喉が渇きそうだが、それがたまらない。

 片付けも終わり、兄とソファでそれぞれスマホをいじっていると、父から電話がきた。あの鬼の一件以来、よくかけてくるようになったのだ。


「ああ、父さん?」

「直春、変わりはないか」

「うん。知り合いの妖狐さんから、新しくお守りももらってね。心配ないよ」

「そうかそうか。困ったことがあればいつでも父さんに言うんだぞ」

「んーと……困ってることは、あるんだけど……」

「なんだ?」

「父さんって、兄さんにキスされたりまぐわいたいとか言われたりした?」

「はっ? ないが?」

「最近そういうの多くて」

「おい、ちょっとキヨを出せ」

「じゃあスピーカーにするね?」


 僕はスマホを兄にかざした。


「ん、俺だけど」

「キヨ! 何てことしてるんだお前は!」

「だって直春可愛いんだもん」

「志藤家を潰すつもりか!」

「ああ、俺の約束って末代までだもんね。それもいいかもね」

「馬鹿か! 直春に手を出すことは許さん!」

「えー、それは約束にないもんなぁ。直春がその気になったら襲っちゃうよ?」

「直春! ほだされるな! ほだされるなよー!」


 父の絶叫は、兄が勝手にタップしたボタンで終了した。


「あのー、兄さん。父さん怒ってたけど……」

「あいつも小さい頃は、兄さん兄さんって可愛らしくついてきてたのになぁ。子供を持った途端に親らしくなりやがって。人間の成長は本当に早いな」

「あっ、うん、そうなんだ」

「だから、直春がその気になるの、いくらでも待てるぞ? なぁに、心配要らない。何年生きてると思ってるんだ。年長者らしく、優しくするよ」


 そして、僕の耳をはむりと唇ではさんできた。


「あっ……」

「あはっ、可愛い声出た」

「やめてよね」


 兄のおかげで一難去ったが、兄のせいでこれからもひと悶着ありそうである。難儀な家系に生まれてしまったな、と僕は心の中でぼやくのであった。

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狐の兄と今晩の鍋 惣山沙樹 @saki-souyama

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