04 味噌鍋
ドン! ガシャリンガシャガシャ!
大きな音がした。バッと跳ね起きると、窓ガラスが割れ、破片が散らばっている床に、一つの黒い影があった。
「直春!」
僕は兄に抱き締められた。影は伸び、大きくなっていく。
「グギャァァァ……」
とてもこの世の者が出したとは思えないおぞましい声。僕はひぃ、と小さく悲鳴をあげた。
「直春、そこにいろ!」
兄が影に飛びかかっていった。彼の爪は長く伸び、影を切り裂いていった。しかし、後から後から新しい影が兄を襲った。
「グギャッ、グギャァ!」
よく見ると、角の生えた小さな生き物が仁王立ちしていて、そこから影が伸びている様子だった。そいつはモゴモゴと口を動かした。
「シドウ……マツエイ……コロス……」
兄が払いきれなかった影が、僕に鋭く伸びてきた。僕は思わず顔を覆った。
キィン……!
僕の左腕が白く光った。カズさんから貰った組紐だった。僕はその光に全身を包まれた。柔らかな毛布のような感触がした。
「直春、この姿じゃダメだ。俺の真名を呼べ。
「キヨノ……?」
「そう、浄之丞。いいから早く! 俺に命令してくれ!」
「い、いけ! キヨノジョウ!」
兄の身体も光に包まれたかと思った瞬間、大きな白銀の狐が姿を出した。尾が何本もあり、ふさふさと揺れている。これが……兄の本来の姿?
「ウォォォン!」
兄が吠えた。そして、生き物目掛けて大きく口を開けた。影が兄を突き刺そうとするが、弾き返されている。
ガブリ!
鋭い歯が首をとらえた。血飛沫が舞い、部屋中を染めた。
「ギャギャ……」
力ない断末魔を最後に、影は消え、生き物も動かなくなった。白銀の毛並みに返り血を浴びた兄の姿は、とても残忍に思えた。
「フーッ、フーッ……」
僕は激しく呼吸する兄の背に手を置き、撫でた。姿はこんなに変わってしまったが、金色の瞳は同じだ。僕と目が合うと、優しくそれを細めた。
「もう安心だ、直春。こわい思いをさせたな」
「う、うん。僕は大丈夫」
また、まばゆい光が兄を包み、一糸まとわぬ姿になったいつもの姿の兄が立っていた。口元から胸の辺りまで赤黒くなってしまっていた。
「兄さん、その……とりあえずお風呂入る?」
「そうだな」
僕は風呂場で兄の汚れを優しく洗った。部屋も酷い状態だ。カーペットなんかは買い替えなきゃいけないだろう。
兄の着ていた着流しは破れてしまっていて、彼は替えを身につけた。そして、床に転がったままの死骸を二人で睨み付けた。兄は言った。
「まあ、鬼だな。恨みを持った鬼。本体はこんなのだが、恨みの念が重いとああやって妖力を操るようになる。志藤家と関わりがあったんだろう。まだ生き残っていたとはな」
「それで……これ、どうしよう?
埋める?」
「いや、勿体ない。食おうか」
「えっ」
兄はビニール手袋をして鬼を掴むと、洗面器に入れて洗い始めた。そしてまな板に乗せて……そこからは見ていない。僕は父に電話をかけた。
「父さん? その、鬼に襲われて。兄さんに倒してもらったんだけど」
「大丈夫か? ケガはないか?」
「うん。他の妖狐から貰ったお守りもあってね。僕も兄さんも大丈夫だよ」
それから父は、兄――浄之丞が、うちの一族を守るようになった経緯を話してくれた。
僕のご先祖様は、神職の家系だったらしい。妖怪に懐かれており、弱い妖怪を保護していたらしいが、その一方で人に危害を与える妖怪を祓っていたらしく、恨みも受けていたのだとか。
そこに、猟師に猟銃で撃たれて瀕死だった妖狐が現れ、ご先祖様は手当てをしてやったらしい。恩義を感じた妖狐は、浄之丞と名付けられ、末代まで志藤家を守ると約束したそうな。
「……この話は、直春が二十歳になるまではしないでおこうと思っていたんだがな。襲われたとなっちゃ仕方がない。その、まあ、そういう一族なんだ」
「そうだったんだ。それでさ、父さん。兄さんが鬼を食べようとしてるんだけど……大丈夫かな?」
「言っただろう。キヨは妖狐だ。人じゃないんだよ」
電話を切ると、もう兄は解体を終えたところで、鍋に肉片を放り込んでいた。それから水をぶっかけ、温めた後、味噌を入れた。
「これなら直春も食べられるかもしれない。どうだ?」
「いや……僕はいいよ……」
そして、美味しそうに鬼の味噌鍋にかぶりつく兄を見て、今更ながらに人ではないというのを実感した。そして、僕は鍋をはじめとした調理器具も新しく買おうと決めた。
窓ガラスが割れ、風が吹き込んでくるので、僕の部屋では眠れない。兄の部屋である和室にお邪魔することになった。
「やっぱり一緒に寝ておいてよかったな。これからも兄さんが守ってやるからな」
「うん、ありがとう。その……カッコよかったよ」
僕はお礼にと思い、自分からキスをした。兄は固く僕を抱き締め、頬と頬をすりつけた。兄のふさふさの耳を撫でながら、僕は眠った。
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