03 寄せ鍋

 高校の体育の授業はサッカーだった。僕は勉強だけでなく運動も苦手だ。なるべくボールがパスされないよう、端の方でもそもそ動き、やり過ごしていた。

 しかし、突然飛んできたボールを顔面で受けてしまい、僕は鼻血を出した。あえなく保健室送りだ。大したことないから、と一人で行った。


「すみません……その、鼻血が出ちゃって……」


 中に入ると、黒いロングヘアーを肩に垂らした若い女性の養護教諭がいた。保健室に入るのは初めてだったので、こんな人だとは知らなかった。美人だ。


「あらあら。志藤さんとこの。そこに座って」


 なぜ僕の名前を知っているのだろう、と思いながら、彼女の言うとおりにした。


「小鼻を押さえて、下を向いて。そう。しばらくそのままにして」


 窓の外からは、やかましい同級生たちの声が聞こえていた。例え養護教諭とはいえ、女性と二人きりの状況というのはどうにも緊張してきた。


「首を叩いたりなんかしちゃダメよ。安静にしておくのが一番なんだから」

「はい、ありがとうございます」


 五分くらいして、収まった。養護教諭は温かいお茶をいれてくれた。


「ふふっ、志藤さんとこの長男さんとは一度話してみたかったの。あたしも妖怪よ」

「えっ……そうなんですか?」

「ほら」


 彼女はくるりと後ろを向くと、髪をたくしあげた。頭の中央らへんから、がぱぁと大きな口が開いた。


「二口女さん、ですか」

「そうよ。さすがね、驚かないのね」

「まあ……ろくろ首だの、一つ目小僧だの、色んな妖怪とは小さい頃から会ってましたから」


 僕はお茶をすすった。二口女さんは、髪の毛を器用に使い、コップを後ろの口に持っていって飲んだ。


「その、そっちの口からの方が美味しかったりするんですか?」

「こちらからしか食べないのよ。だから保健室にこもりっきりの養護教諭はうってつけってわけ」


 二口女さんはまんじゅうも出してくれた。どうせ次の授業は化学だし退屈だし、僕は彼女と話すことにした。


「キヨさんともお話したことあるのよ。志藤家が使役している妖狐でしょう? 妖怪の間じゃ有名なのよ」

「僕の家ってそんなに凄いんですか?」

「そうよ。だから、その末裔たるあなたも注目されてるわ。気をつけてね、と言いたいところだけど、キヨさんがいるなら、まあ大丈夫かな」


 まんじゅうは、僕の好きなこし餡だった。それを二つも平らげて、放課後のベルが鳴るまでそこにいた。それから、教室から制服を取ってきて、着替えさせてもらった。


「じゃあ、志藤くん。キヨさんによろしく」

「はい。今回はありがとうございました」


 校門では、多少苛ついているような兄がいた。いつもより遅くなったのだ。


「もう、どうしたんだよ直春」

「ごめんごめん。今日はね……」


 スーパーへ行くまでの間に、僕は二口女さんのことを兄に話した。


「そりゃあきっと紅子べにこさんだな。まさか養護教諭になってたとは。兄さんちょっと安心したよ」

「そうなの?」

「害がないし、献身的だからな」


 そういうものなのか。確かに二口女が人を襲うとは聞いたことがない。ただびっくりするだけだ。まあ、僕は彼女がまんじゅうを食べる様子を興味深く観察させてもらったのだけど。

 このところ肉が続いたので、今夜は魚にすることにした。タラの切り身やエビを選んだ。寄せ鍋だ。兄は期間限定増量中のポップコーンをカゴに入れた。


「直春、骨はよく取ってくれよ。兄さん苦手だから」

「わかってるって」


 帰宅して、早速リラックスしはじめた兄をよそに、僕は食材を切っていった。そういえば、兄が料理をしているところは見たことがない。仕事もしていない。ゲームばかりだ。妖狐というよりぬらりひょんだな、と考えながら、僕は丁寧にタラの骨を取った。


「おお! 海鮮のいい香りだー!」


 僕は言われる前からエビの殻を剥いてやり、兄の皿に入れた。狐は昆虫も食べると調べたことがあるのだが、少なくともうちの兄はこういうものが苦手だ。


「はい、兄さん」

「直春、ありがとうなぁ」


 もぐもぐとエビを噛む兄の唇に、どうしても目がいってしまった。最近なぜかスキンシップが多い。キスだって頻繁にされる。決して嫌ではないのだが、僕だって純情な男子高校生だ。あまり弄ぶのはよしてほしい。


「雑炊作るね」

「うんうん、ダシのきいた雑炊は旨そうだ」


 今日は刻みのりも買ってきた。ぱらりとかけると香ばしくて食欲をそそる。汁も最後の一滴まで飲み干して、完食だ。

 洗い物をしていると、兄が寄ってきて、後ろから僕を抱き締めながら囁いてきた。


「なあ、しばらく夜は一緒に寝ようか」

「なんで?」

「カズちゃんも言ってたけど、兄さんも胸騒ぎがするんだよ。直春を夜に一人にするのは不安でな」


 他意がないならいいか、と僕は兄の申し出を受けた。しかし、兄は身長が高い。百八十センチを越えている。絡み付いてくる足が邪魔だなぁと辟易しながら、眠りにつこうとしたその時だった。

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