02 キムチ鍋

 今夜は以前兄が言っていたカズさんが来る日だ。辛いものが好きだとのことで、キムチ鍋にすることにした。

 キムチ鍋といえば、豚バラ肉だ。僕は食べやすい大きさに切って鍋に入れ、カズさんが来るのを今か今かと待っていた。

 インターホンが鳴った。兄が出て、カズさんを部屋に招き入れた。


「どうも、初めまして。和乃かずのと申します」


 名前から、てっきり男性だと思い込んでいたのだが、現れたのは黒いワンピースに身を包んだ小柄な女性だった。髪は黒く、肩の辺りで切りそろえられていた。


「初めまして。直春です」

「今夜はどうもありがとうございます。これ、手土産です」


 そう言って、カズさんは紙袋を渡してきた。有名な洋菓子店のものだ。


「お気遣いありがとうございます」

「いえいえ」

「カズちゃん、本当に久しぶり。楽にしなよ」

「では……」


 カズさんの髪も白く長くなり、耳が飛び出てきた。兄以外の妖狐と会うのはこれが初めてだが、これが彼らの標準の姿だということなのだろう。


「カズさん、こちらに座ってください。もう少しでできますから」

「ふふっ、楽しみです」


 ぐつぐつと煮えたぎる赤い液体。美味しそうだ。僕はそれぞれの皿に取り分けた。カズさんは白菜を頬張った後、目を細めてうなった。


「んー、辛い! いいですねぇ、辛いものは。病み付きになりそうです」

「カズちゃん、どんどん食べな」


 例え妖怪でも、作ったものを褒められるのは気分がいい。垢舐めがきたときは、飯はいいから風呂場に行かせろとせがまれ、ピカピカにしてもらったっけ。

 そして、僕は以前から疑問に思っていたことを口に出した。


「兄さん。兄さんとカズさんは、どうしてまた連絡を取るようになったの?」

「ああ、妖怪のコミュニケーションもIT化が進んでいてな。妖怪しか入れないコミュニティサイトがあるんだよ。そこに登録してたら、カズちゃんからメッセージがきたってわけ」

「そうなんだ」


 さらに深く二人の関係を掘り進めることにした。


「二人の出会いは?」

「戦後間もない頃だったな。食べ物もないし、狐の姿でほうぼううろついていてな。カズちゃんは紡績工場の奥様に飼われてて」

「そうそう。優しい奥様でしてね。わたしの同胞が餓えていると言ったら、キヨちゃんの分の食事も出してくれたんです」

「まあ、妖力さえあれば死にはしないんだがな……一度人間の食事を覚えてしまった後じゃあ、ひもじくてよ」


 妖狐の生態について、僕は父ほど詳しく知っているわけではない。兄についても、なぜ我が一族につきまとっているのか、まだ話してくれていない。けれどまあ、兄は兄だから。こうして鍋を囲めるだけで幸せだ。


「それよりキヨさん。こうしてお会いしたのは、このところ妙な気を感じるからなんですよ。志藤しどうのお家と何か関係があるんじゃないだろうかって」


 志藤というのは僕の苗字だ。兄の方を向くと、彼は顔を引き締めていた。


「カズちゃんが言うのなら、間違いはなさそうだね。気をつけておくよ」

「はい。念のため、これも作ってきたんです」


 カズさんは白い組紐を取り出した。ブレスレットになるくらいの長さだ。


「直春さん、これをつけておいてください。万が一のときのために」

「はっ、はい……」


 僕は左手首にそれを巻き付けた。不思議と落ち着く。きっと妖力が込められているのだろう。


「さて! 堅苦しい話はこれくらいにして。わたし、遠慮なくいただきますね!」

「どうぞ! 締めは雑炊ですよ!」

「楽しみー!」


 ふんわりと卵を混ぜた雑炊で満ち足りた僕たちだったが、やっぱりお菓子も食べたくて、カズさんが持ってきてくれたクッキーを頂くことになった。僕はコーヒーを三つ用意して、カズさんに尋ねた。


「今もどこかの家にいらっしゃるんですか?」

「そうなんです。キヨさんと同じように、とあるお家をお守りしています。赤ちゃんが産まれたところでしてね。もう、可愛いの何の」

「へえ、直春が赤ん坊の頃も可愛かったなぁ。今じゃこんなに大きくなっちまった」

「ふふっ、人間の成長は早いですからね」


 それから、兄が僕のアルバムを引っ張り出してきて、思い出話大会になった。僕は身体の発達が早かったらしく、一歳になる前には歩いていたと兄が言い、公園に連れ回すのが大変だったとか。

 そんな話をしていると、カズさんのスマホが振動した。


「あらいけない。お迎えを頼んでいたんでした」

「お迎えですか?」

「ええ、ここまでは天狗に連れてきてもらったんです。帰りも頼んでいて」

「はあ……天狗ですか。仲が良くないイメージがありましたが」

「ネットの麻雀で意気投合しましてね」


 妖怪の世界も変化を迎えているんだなぁと思いながら、僕と兄はカズさんを見送った。


「兄さん、今夜は楽しかったね」

「そうだな。もっと楽しいことするか?」


 兄は僕の耳にふうっと息をふきかけてきた。


「もう! やめてよね!」

「接吻くらいいいじゃないか」


 僕は兄を押し退けて、さっさとお風呂に入ることにした。

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