狐の兄と今晩の鍋
惣山沙樹
01 白湯鍋
僕には兄がいる。
正確には血は繋がっていない。人間でもない。僕の一族につきまとっている妖狐の一種だそうだ。
僕は産まれたときから兄と一緒だったので、そういうものかと納得して生きてきたのだが、さすがに高校生ともなると彼の存在の異様さに気付き始めてきた。
「おう、
兄は毎日高校まで迎えに来る。短い黒髪に黒いスーツという格好で。手にはトートバッグを持っており、僕を見つけると空いた方の腕をぶんぶん振ってくるのだ。
「兄さん、恥ずかしいからもう少し人目につかないところで待っててって言ってるでしょう」
「見失ったらどうするんだ」
僕に兄がべったりとくっついているということは、学校中に知れ渡っている。なので放課後誰かに誘われることもない。まあ、僕にはそもそも友達と呼べる人はいないんだけど。
「まあいいよ。行こうか兄さん」
「さーて、今夜は何がいいかな」
徒歩十分ほどの距離にあるスーパーに僕たちは向かった。夕飯の材料の調達だ。兄がカートを押し、僕が放り込んでいく。
「鶏肉が安いのか。兄さん、白湯鍋にしよう」
「おっ、いいねぇ。鶏肉は大好物だ」
「兄さん何でも食べるくせに」
締めはラーメンがいいだろう。二人分の麺も買った。両親は仕事でカナダに居るから、僕はこの兄と二人暮らしなのだ。
「あっ、冬限定のチョコ売ってる! 直春、これも買っていいか?」
「どうぞご自由に」
会計は僕が、トートバッグに食材を詰めて持つのは兄がやった。すっかり冷え込んできた十一月。乾いた風を受けながら、坂道を登っていった。
帰宅すると、兄はスーツを脱ぎ、紺色の着流しに着替えた。帯を結ぶと、黒かった髪は真っ白になり、腰の辺りまで伸びた。そして、ぴょこんと愛らしい耳が髪の間からのぞいた。これが妖狐としての兄の姿だ。
「じゃあ、兄さん、ゆっくり待ってて」
「うん。ゲームでもしとくよ」
兄はソファに横になり、スマホをいじり始めた。最近は美少女が戦うRPGがお気に入りらしい。彼の好みは影のあるお姉さんキャラなのだとか。
僕はキッチンに立ち、白菜やネギを切っていく。家事なら小学生の頃からやらされていたので得意だ。今じゃ両親の腕も超えたのではないだろうか。
「うわー、ガチャ全然いいの来ない。直春、課金していい?」
「ダメ。無駄遣いはしないように母さんからも言われてるでしょ」
ダイニングテーブルの上にIHヒーターを置き、それに鍋を乗せた。蓋をしてひたすら煮込む。僕は兄のところに行き、スマホを覗き込んだ。
「あれ? ゲームやめてるし」
「ああ、知り合いから連絡きたから。近いうちにこいつ呼んでもいい?」
「いいけど……また妖怪?」
「うん。同じ妖狐なんだ。もう五十年くらい会ってないなぁ」
画面には、カズという名前の人物……いや、妖狐か、とやり取りしている履歴があった。兄はキヨちゃんと呼ばれていた。確かもっと長い本名があるのだが、それを呼ぶことは僕にはまだ許されていない。僕が二十歳になったら教えてやると父から言われている。
白湯鍋ができた。僕は兄の皿に、バランスよく野菜と鶏肉を入れてやった。スープもたっぷりだ。
「はふぅ……やっぽり鶏もも肉はたまらんな。ネギとの相性もいい。おっ、直春、豆腐が入っていないぞ」
「はいはい」
両親が二人ともカナダに行ってしまったのはつい最近。元々父親がそちらでメインで仕事をしていて、僕が高校生活に慣れるのを待って、母親が着いていったのだ。二人とも英語は堪能だし上手くやっていけているのだろう。
対する僕は、日常会話程度の英語すら怪しい。背伸びして入った高校だから、勉強についていくのも大変で、今夜も宿題におわれる予定だ。
「じゃあ、そろそろ締めにいこうか」
「待ってました!」
麺を入れて、しばらく煮込む。兄は自分の髪をくるくると弄びながら鍋を見ていた。僕はその間に麦茶をそれぞれのコップに注いでおいた。
「もういいかな?」
「ふわっ、いい匂いだな直春!」
ちぢれ麺に、白いスープがよく絡む。ずるずると音をたててすすり、堪能した。兄は食べるのが早いので、あっという間に麺はなくなり、夕飯はおしまいとなった。
「兄さん、片付けの間にお風呂入っちゃってよ」
「いや、今夜は一緒に入らないか?」
「ええ……」
「背中流してやるから」
仕方がないので、兄の望み通りにしてやった。兄の左肩には傷痕があった。猟銃で撃たれたときのものらしい。石鹸を泡立て、そこをなぞった。
「なんだ、気になるのか」
「まあね」
「直春に話すにはまだ早いからなぁ……まあ、そのうちな」
「うん」
風呂場を出て、バスタオルで身体を拭いていると、兄がじっと僕の顔を見つめてきた。瞳は金色に光り、それを見つめ返すと吸い込まれそうな感覚に陥った。
「……直春」
そして、僕は兄に顎を掴まれて、口づけをされた。
「に、兄さん!」
「あははっ。これから宿題だろ? 景気づけ」
僕はごしごしと口元をぬぐった。
「初めてのキスだったのに……」
「ん? 違うぞ? 直春が赤ん坊の頃に兄さんが何度もしてるからな」
「聞きたくなかった」
まったく、妖狐というものはイタズラが過ぎる。僕はしばらく口を聞いてやらないことにして、宿題をするため部屋にこもった。
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