第4話 別の事件
「別に、天田さんの能力を見限った訳ではありません。今回は、勇み足だったというだけで、頼りにしています。何か思い付いたら、是非ともご一報をお願いします」
慇懃丁寧に告げると、刑事はここで油を売ってはいられないという風に、そそくさと出て行った。
* *
一ヶ月後、ミステリ評論家殺人事件は、まだ解決を見ていなかった。
管轄内では、別の殺人が何軒か発生し、捜査員の再編成を行わざるを得なくなった。
「そういう訳で、主婦殺しの班に回されましたんで、お伝えに」
天田の事務所に立ち寄った刑事は、軽い調子で用件を述べた。
「君が担当を外れたから、南北砕郎殺しは解かなくていいと? 私が難事件から解放されて、ああよかったと安堵するとでも?」
「そんなことは言っちゃいませんよ。事実を伝えたまででして。ほんと、面倒臭い質なんだから」
「私は名探偵・天田才蔵だ。名と誇りにかけて、解いてみせる。評論家殺しも、その主婦殺しとやらもだ」
「まあ、元気になったようで何よりです」
「話してくれ」
「ミステリ評論家殺しなら、有村の奴、お気に入りの赤いシャツをなくしたとかで、奥さんに当たり散らしていたとの報告が上がってましたね。それが、私の知った情報の最後です」
「違う。今は先に、主婦殺しだ」
「え、主婦殺しの件ですか。確かに、天田さん好みの事件ではあるんだが、今はミステリ評論家の方に集中してもらいたいのが、本音でして。あれには皆、手こずっている」
「ならば、なおさら、私が努力せねばならないな。だが、その前に主婦殺しだ。ウォーミングアップだ」
主張が支離滅裂になってきた。刑事は密かに嘆息し、話すことに決めた。
「亡くなったのは、
言い淀む刑事に対し、天田は手を振って急かした。刑事は声を低め、しかし親しげな口ぶりになって、続きを話す。
「現時点で全く公にされていないので、絶対に内密に願いますよ。実は、被害者は絞め殺されたあと、鋸で切断されてた。頭や腕、足といった六つの部分に。ここまでなら、必要に応じて聞き込み時に漏らしてもよいとされてるんですが、さらに犯人は手を加えていた。遺体のパーツを利用して、机のような形を作ったんです」
「机?」
天田は眼前のテーブルに視線を落とし、次いで、自ら愛用のデスクを振り返った。
「どんな形なのか、詳しく知りたいねえ」
「写真は見せられないので、言葉で説明しますと……家庭用の脚を折りたためるテーブル、あれの脚の代わりに、切断した手足を宛がって、無理にバランスを取ったような具合でした。頭部と胴体は、そのまま浴槽に放置されていた」
「そんな作業をやり遂げるのに、どのくらいの時間が掛かるんだろう?」
「ええっと、人体の構造を知る者が手際よくやれば一時間、そうでなくても二時間あればできるだろうとの見立てが出てる」
「有力容疑者はもう? これだけ猟奇的な特徴があれば、絞り込むのは早そうだ」
「それがまだでして。押し入った形跡がないからと言って、顔見知りの犯行とは限らないようで。被害者と面識のない異常者が、善人面してうまく上がり込んだんだとしたら、突き止めるのに時間が掛かります」
「……時間が掛かると聞いて思い付いたんだが、机にされた手足は当然、死後硬直が進んでいたんだろう? 柔らかいままだと、机を支えられまい」
「ええ。家の中の気温がどのように変化したのかが特定できないので、完全に正確だとは言えませんが、どんなに短くても死後十時間の経過は確実だと」
「犯罪者の心理として、おかしいんじゃないか。殺害後、十時間も現場に留まるなんて」
「なるほど、確かに。八時に殺されたとしても、十時間後と言えば午後六時。夫の帰宅はその三十分後だから、きわどいタイミングです。犯人の逃走がちょっとでも遅れていたら、鉢合わせだ」
「いや、むしろ、夫が犯人とは考えられないか?」
「それはあり得ない。渡部太一のアリバイは完璧です。誰かを雇って代わりに殺させた、なんて言わんでくださいよ。殺し屋がわざわざ遺体をばらばらにして、テーブルをこさえる意味なんてあるはずがない」
「うむ。しかし、それならば……渡部太一の犯歴や病歴、特に精神疾患の有無を調べるべきだ」
「どういう狙いで?」
「太一が人間の死体を弄ぶ性癖の持ち主だとしたら、どうかな。これまでは空想するだけだったが、事件の日はゴルフから帰宅して、思いも掛けず、妻の他殺体と遭遇した。彼はすぐさま、己の妄想の実現に走った。遺体を鋸で分解し、机をこしらえたあと、警察に通報した……。時間的に成り立ちそうなら、是非とも調べるべきだ」
「待ってくださいよ、今当たりますから。――夫・太一の帰宅は、本人は六時半を回った頃と証言しているが、他にそれを証明する者はなし。同僚らと別れた時刻から計算すると、小一時間ほど早く帰宅できる。太一自身は、書店で立ち読みして時間を取ったと言っているが、確証はない。それから、通報があったのは午後七時十分。六時半に帰宅したのが事実なら、四十分も後ですが、このタイムラグについて、太一は『死んだ妻を見て、呆然としていた』と述べています。一応の筋は通っているものの、疑おうと思えば疑える」
「そら見ろ。帰宅が仮に五時四十分だとしたら、一時間半も使える。夫が妻の遺体を分解し、机を作る時間はあったと言えるだろう」
得意満面に語る天田。すっかり自信を取り戻したようだ。刑事も感心したように首を何度か縦に振り、「進言してみます」と答えた。
「でも、遺体で机をこしらえたのが夫だとして、殺したのは誰かという謎は残る訳で」
「そっちの方は、まだ分からん。猟奇性のない、単なる絞殺だとしたら、交友関係をまた一から調べ直す必要が出て来るんだろ? 私が推理能力を発揮するのは、その調べた結果が出てからだ。いやー、それにしても久々に気分がよい」
天田は声を上げて笑った。自信だけでなく、警察を自分の手駒のように思っている、かつての尊大さも戻って来ていた。
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