第2話 探偵・天田才蔵登場

「離婚は今から何年前のことです?」

「えっと、あ、ちょうど二十年になりますね」

「そんな昔の……」

 首を捻る刑事。顔には失望の色が明白に出ていた。香取はかまうことなく、意見を続けた。

「三人目、これで最後ですが、三人目は斉藤龍輝さいとうりゅうき先生。南北先生と仕事上で、本当に大喧嘩になったのはこの人ぐらいです。元々、同じ題学の先輩後輩で、親しい間柄だったのに、作品や評論を巡るやり取りで、険悪になってしまいました」

「ちょっと待ってください。斉藤さんとは何者ですか? 先生と呼ばれるからには、被害者と同じ評論家か、もしくは……」

「ああ、推理作家です。結構、有名だと思うんですけど、ご存知ありませんでしたか。今年、四十四歳になる本格派です」

「作家と評論家の間で揉めるとなると、やはり書評のことで?」

「まあ、そんなところです。お二人の間には、ミステリに対する考え方の違いが元々あって、斉藤先生の作品を南北先生はあまり認めないでいましたが、一年近く前に、ある作品のことで決定的な亀裂が入りました。斉藤先生の作品についてではないんです。共通の先輩である物故作家の遺作に、南北先生が非常に厳しい評価を下したのがきっかけです。その物故作家を尊敬する斉藤先生が、これに立腹されたようで、三ヶ月ほど月刊誌で言葉の応酬があって、ある意味、盛り上がったんですけど……悪口、罵詈雑言レベルになってきたため、誌上でのやり取りにストップが掛かり、そのまま絶縁状態に」

「殺意が芽生えるほどのもんですか、それって」

 信じられないとばかり、首を捻る刑事。その様を目の当たりにして、香取も同調の意を垣間見せた。

「実際に殺すとなると別ですかね。けど、殺すところを空想するぐらい憎み合っていた時期はあったんじゃないかなあ」

「なるほど。でも、絶縁状態なら、斉藤という作家先生が、被害者のこの家に上がるのは無理なんでは?」

「ああ、それはそうかもしれません。体力的には、若い斉藤先生の方が上回ってたでしょうから、無理矢理上がり込むことはできるでしょうけど」

 編集者が列挙した三名は、いずれも動機があると言えたが、決定的なものではない。それでも名前を出されたからには、調べぬ訳にはいかない。より詳しい個人情報を、香取の知る限り聞き出した。


 南北砕郎の死亡時刻は、遺体発見前夜、つまりは七月二十八日の午後十時からの二時間と推測された。十一時前後が濃厚とされるが、確定には至っていない。

 これに伴い、容疑者として名前の出た三名のアリバイが検討された。

 中見麻里は、翌日に大事な商談を控えていたため、二十八日は馴染みのヘアサロンに午後九時から予約を入れ、時刻通りに姿を現した。ヘアマニキュアを含めた全ての施術が終わったのが二時間半後。それからは車で午後十一時五十分に帰宅。ヘアサロンでの証人は複数いるが、車は自らが運転し、また一人暮らしであるため、十一時三十分以降の行動を裏付けるものはない。ヘアサロンから犯行現場の南北宅までは、車でおよそ十五分あれば行けるので、どうにか犯行推定時刻内に収まる。

 有村吉男は、市役所の勤めを終えていつも通り午後六時に帰宅後、ずっと家族(妻と息子)と一緒だった。無論、家族の証言をそのまま信用することはできない。一方で、近所の住人が帰宅する有村を目撃しており、また、日付が変わって午前0時の時点で、隣家の主が有村と鉢合わせしている。互いにごみ出しに出て来たのだ。そこで重要になるのが、やはり有村の家から南北の家までの移動時間。実測してみた結果、夜でも車を使って一時間二十分は要する距離がある。九時二十分以前に自宅を車で出発し、十時四十分までに犯行を終えれば間に合う計算になる。ただし、有村の家は住宅街にあり、自家用車の出し入れは確実に気付かれる。当夜、有村の帰宅後に車の出ていく音を聞いた者は皆無だったので、もしも彼が犯人であるとしたら、タクシー等を利用した可能性が強い。

 斉藤龍輝は、締め切り間近の仕事を抱えていたとのことで、朝から晩まで自宅にいたと主張した。彼もまた一軒家に独り暮らしだが、証人はいた。午後十時に宅配の荷物を受け取っている。一日中在宅していたのに、受け取りが夜遅くになるのは変だと刑事が突っ込むと、「執筆に差し障りがないよう、インターフォンを切っておいた。休憩時に郵便受けを覗くと、不在のため荷物を持ち帰った旨を告げる通知票が入っており、そこにあった番号に電話して夜十時に届けてもらった」という答が返って来た。斉藤宅から南北宅までは、車で二時間。十時に自宅にいた斉藤が、荷物を受け取ってすぐに出発しても、南北宅に着くのは午前0時を過ぎる。死亡推定時刻に多少のずれがあったとすれば、ぎりぎり犯行可能かもしれないが、いささか無理のある、あるいは警察にとって都合のよい解釈と言えた。ただ、推理作家である斉藤が、何らかのトリックを用いた可能性は捨てきれない。

「死亡時刻をもっと絞り込めればいいんだが」

 ソファに身を沈め、事件の概要を語った刑事は、最後に呟いた。

 窓辺に立っていた天田才蔵あまださいぞうは、これに反応してぴくりと眉を動かした。名探偵を自負する天田は、すでに大きな手掛かりを得ているようだった。

「一つ、教えてもらいたいんだが」

 振り返って問うてくる天田に、刑事は目を輝かせた。難航を予感させる事件に、刑事は早々と天田の探偵事務所に足を運び、相談を持ち掛けたのだ。

「何でも聞いてくれ。今分かる範囲で答えるし、分からなくても調べておくよ」

「被害者は文字を打ち込む際、ローマ字入力だったか、それともかな入力だったか」

「ああ、それくらいは把握している。書きかけの原稿が偽造でないことを確かめるため、入力方法から使用語彙、文章の癖まで検討したが、怪しい点は全くなかった」

「そんなことを言及してるんじゃない。とにかく、何入力なのかを教えてくれ」

「あ、ああ。ローマ字入力だ」

「結構。そりゃ都合がいい」

 にやりと音が聞こえてきそうな笑みを浮かべると、天田は満足そうに手揉みした。刑事の正面に位置するソファに腰を下ろすと、続けて尋ねた。

「それでは、書きかけの文書が保存された履歴についても、細かく調べてあるのかな?」

「自動保存が働いているから、あんまり関係ないとは思ったが、一応は。最後の保存は設定による自動保存で、二十九日の二十二時二十八分。夜十時半頃ってことだな」

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