チグハグなツギハギ
小石原淳
第1話 あるミステリ評論家の死
背後より二度、背中を刺されており、他殺以外の何ものでもない。遺体や現場の状況から、デスクに向かっていたところを襲われ、逃げようとするもとどめを刺されたらしかった。
玄関に鍵はかかっておらず、特段の防犯システムもなかったので、誰でも出入り可能だった。ドアノブや電灯のスイッチその他めぼしい箇所の指紋は、布か何かで拭われた痕跡があった。
「――ところで、弊社がお願いしていた原稿はできていたはずなんで、プリントアウトするか、データをコピーして持って行きたいんですが」
はからずも第一発見者になった
「ああ、パソコンですか」
発見時の様子を聴いていた刑事が、察しを付けて応じた。思案げに眉を寄せ、独り言めいた声量で続ける。
「どうしよう。私の一存では決められないので……」
「頼みます。上の人に聞いてもらえませんですかね」
殺人現場の書斎には、ノートパソコンが一台あった。やや旧い型ではあったが、個人は気に入っていたらしく、使い込んだ形跡が見られた。問題は、発見当時、その画面に映し出されていたものである。
ワープロソフトが起ち上げられており、次のような書き掛けの文章が表示されていた。
<本格推理小説におけるトリックの内、最も魅力的で、最も飽きられやすく、それでいて最も寿命の長いものといえば、やはり密室トリックになるだろう。
「また密室か」と好事家の読者にまで飽きられるほど、繰り返し描かれてきた謎なのに、未だに用いられている。本格推理の読者達が、密室に飽きて読むのも嫌だと心の底より思ったのなら、不買運動なり、密室禁忌読者連盟を起ち上げるなりすればよい。しかし、そんな行動が起こったとは、寡聞にして知らない。ジョークとしての行動ならあったかもしれないが、実際的な、換言すると、「新作ミステリで密室を絶対に使ってはならない!」なんて声は、巻き起こってはいない。そんなこと、誰も本気で願っていないからに違いない。それどころか、彼らはきっと頭の片隅で、「ひょっとしたらあっと驚く素晴らしい密室トリックが、まだまだ出て来るかもしれない」と淡い期待を抱き続けているのだ。
さて、そんな密室トリックだが、ここひと月に刊行された諸作の中に、少しばかり目新しい物が散見された。あっと驚く素晴らしい密室トリックには届いていないが、そこへと通じる何らかのヒントを秘めた可能性はある。
たとえば、
文筆を生業としたためか、南北はパソコンのトラブルに備え、文書の自動保存機能を活用していた。原則的に、執筆中の文書が五分おきにHDDとUSBフラッシュメモリに保存されるよう、彼は設定していたと判明している。ソフトの仕様で、五分前の時点と文章が変わっていなければ、自動保存の命令は働かない。また、自動保存がいつ行われたかが記録され、その履歴を利用し、過去の文書を復活させることもある程度可能。
「やっぱり無理だな。解析が終わるまで、触らないようにと言われてるので。え、プリントアウトやデータをコピーするくらいなら、影響はないと私も承知していますよ。でも、もし何か不審な点が出て来たら、あなたも疑われるかもしれませんよ。調べ終わるのをお待ちください」
若さもあってか、刑事は理解を示しつつ、やんわりと断った。
「どうしても無理ですか? しょうがないなあ」
香取の方も案外あきらめよく引き下がった。「いざとなれば、追悼文で埋めればいいんだし」と小声で続けたところをみると、特に困っている訳でもなさそうだ。
「それよりも、話の続きですが、南北さんと揉めていたような人物に、心当たりはありませんか。あるいは、昨日一昨日辺り、ここを訪ねる予定になっていた人とかでも」
刑事は香取への聴取を再開した。
被害者は五十を目前にした独身で、自宅の一軒家にも一人住まい。希に、家事代行業者を依頼することがあったらしいが、年末の大掃除のときぐらいで、夏の盛りに呼びはしない。
「恨みどうこうっていうのはすぐには思い浮かびませんけど、知り合いの多い人でしたから、ひょっとしたらいたかもしれません。それに、家を訪問するほどの仲となると、限られてきますよね……」
顎先に片手を当て、考える仕種になる香取。やがて、被害者と特に親しい者として、三人の名を挙げた。
「真っ先に浮かんだのは、南北先生がお付き合いしている女性で、
「ホステスを辞めたのは、南北さんと結婚する約束でもあったとか?」
「いいえ、そんな話は一向に」
香取は顔の真ん前で、片手を左右に振った。目の驚き具合からして、想像すらしていなかったようだ。
「端で見てる限り、今の関係を楽しんでおられるようでした。名前を出しておいてなんですけど、彼女が先生を殺すなんて、考えられません」
「ふむ」
「次は、
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