チグハグなツギハギ

小石原淳

第1話 あるミステリ評論家の死

 南北砕郎なみきたくだろうは七月二十九日の午前十時頃、原稿を受け取りに来た編集者によって、自宅の書斎で冷たい骸になっているのを発見された。その妙な筆名とともに辛口のミステリ評論家として知られた人物だが、殺されるほどではないはずだった。

 背後より二度、背中を刺されており、他殺以外の何ものでもない。遺体や現場の状況から、デスクに向かっていたところを襲われ、逃げようとするもとどめを刺されたらしかった。

 玄関に鍵はかかっておらず、特段の防犯システムもなかったので、誰でも出入り可能だった。ドアノブや電灯のスイッチその他めぼしい箇所の指紋は、布か何かで拭われた痕跡があった。

「――ところで、弊社がお願いしていた原稿はできていたはずなんで、プリントアウトするか、データをコピーして持って行きたいんですが」

 はからずも第一発見者になった香取敬造かとりけいぞうは、鼻を利かせる鼠のような仕種から、書斎の方に首を振った。細面かつ小柄なこの人物は、まさしく鼠を連想させた。

「ああ、パソコンですか」

 発見時の様子を聴いていた刑事が、察しを付けて応じた。思案げに眉を寄せ、独り言めいた声量で続ける。

「どうしよう。私の一存では決められないので……」

「頼みます。上の人に聞いてもらえませんですかね」

 殺人現場の書斎には、ノートパソコンが一台あった。やや旧い型ではあったが、個人は気に入っていたらしく、使い込んだ形跡が見られた。問題は、発見当時、その画面に映し出されていたものである。

 ワープロソフトが起ち上げられており、次のような書き掛けの文章が表示されていた。

<本格推理小説におけるトリックの内、最も魅力的で、最も飽きられやすく、それでいて最も寿命の長いものといえば、やはり密室トリックになるだろう。

 「また密室か」と好事家の読者にまで飽きられるほど、繰り返し描かれてきた謎なのに、未だに用いられている。本格推理の読者達が、密室に飽きて読むのも嫌だと心の底より思ったのなら、不買運動なり、密室禁忌読者連盟を起ち上げるなりすればよい。しかし、そんな行動が起こったとは、寡聞にして知らない。ジョークとしての行動ならあったかもしれないが、実際的な、換言すると、「新作ミステリで密室を絶対に使ってはならない!」なんて声は、巻き起こってはいない。そんなこと、誰も本気で願っていないからに違いない。それどころか、彼らはきっと頭の片隅で、「ひょっとしたらあっと驚く素晴らしい密室トリックが、まだまだ出て来るかもしれない」と淡い期待を抱き続けているのだ。

 さて、そんな密室トリックだが、ここひと月に刊行された諸作の中に、少しばかり目新しい物が散見された。あっと驚く素晴らしい密室トリックには届いていないが、そこへと通じる何らかのヒントを秘めた可能性はある。

 たとえば、泥田冷泉どろたれいぜんの『キーロック』(活談社)。この作品に描かれた密室トリッ>

 文筆を生業としたためか、南北はパソコンのトラブルに備え、文書の自動保存機能を活用していた。原則的に、執筆中の文書が五分おきにHDDとUSBフラッシュメモリに保存されるよう、彼は設定していたと判明している。ソフトの仕様で、五分前の時点と文章が変わっていなければ、自動保存の命令は働かない。また、自動保存がいつ行われたかが記録され、その履歴を利用し、過去の文書を復活させることもある程度可能。

「やっぱり無理だな。解析が終わるまで、触らないようにと言われてるので。え、プリントアウトやデータをコピーするくらいなら、影響はないと私も承知していますよ。でも、もし何か不審な点が出て来たら、あなたも疑われるかもしれませんよ。調べ終わるのをお待ちください」

 若さもあってか、刑事は理解を示しつつ、やんわりと断った。

「どうしても無理ですか? しょうがないなあ」

 香取の方も案外あきらめよく引き下がった。「いざとなれば、追悼文で埋めればいいんだし」と小声で続けたところをみると、特に困っている訳でもなさそうだ。

「それよりも、話の続きですが、南北さんと揉めていたような人物に、心当たりはありませんか。あるいは、昨日一昨日辺り、ここを訪ねる予定になっていた人とかでも」

 刑事は香取への聴取を再開した。

 被害者は五十を目前にした独身で、自宅の一軒家にも一人住まい。希に、家事代行業者を依頼することがあったらしいが、年末の大掃除のときぐらいで、夏の盛りに呼びはしない。

「恨みどうこうっていうのはすぐには思い浮かびませんけど、知り合いの多い人でしたから、ひょっとしたらいたかもしれません。それに、家を訪問するほどの仲となると、限られてきますよね……」

 顎先に片手を当て、考える仕種になる香取。やがて、被害者と特に親しい者として、三人の名を挙げた。

「真っ先に浮かんだのは、南北先生がお付き合いしている女性で、中見麻里なかみまりさんという方です。どこかの料理屋で店員をしていたのを見初めたんだと言っていましたが、ほんとはホステスだとか。外見は、こう言っては語弊がありますが今風の遊び優先って感じの若い子なんですけれど、実際は頭の回転がなかなかよく知識も豊富で、先生と話が合ったようです。今はホステスを辞めて、アクセサリーのデザインをやっているそうですが、詳しくは知りません。根掘り葉掘り聞くようなことでもないので」

「ホステスを辞めたのは、南北さんと結婚する約束でもあったとか?」

「いいえ、そんな話は一向に」

 香取は顔の真ん前で、片手を左右に振った。目の驚き具合からして、想像すらしていなかったようだ。

「端で見てる限り、今の関係を楽しんでおられるようでした。名前を出しておいてなんですけど、彼女が先生を殺すなんて、考えられません」

「ふむ」

「次は、有村吉男ありむらよしおといって、彼なら動機があると言えるかもしれません。というのも、彼の姉、美津子みつこさんという方と南北先生は、かつて結婚されていましたが、確か四年目に別れたんです。離婚後、三月ほど経った頃、美津子さんは交通事故でお亡くなりに……。あとから聞いたんですが、離婚で美津子さんは精神的にちょっと不安定な状態が続いていたらしく、事故に遭ったのもそのせいだと、少なくとも弟さんは考えていた節がありました。美津子さんが亡くなってから二年近く、先生のところに文句を言いに行ったり、電話をしつこく掛けてきたりしていたという話です。ただ、そんなストーカーまがいの行動は、とうの昔に収まってるんですけど。南北先生が警察沙汰にせず、話し合いで納得してもらったようです」

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