産色のカメレオンⅠ
産まれたての頃の色“
私(筆者)は小説家である。これは、現在執筆中の作品の冒頭である。
数年前、とある町にイチという新たなカメレオン野郎が誕生した。殻を破り、まぶしそうにまぶたを痙攣させている。初々しい体のしわは湿っていて、動かす手足はたどたどしい。無意識に動かしているのか、動くことに驚いているのか、皮膚をこするように動かす前足を注視している。
あぁこのカメレオンのみずみずしい肌は生命の煌めきでろうか。
しかし、母親カメレオンは生命の煌めきを素直に受け止めることができなかったようだ。何故ならば、彼女の子どもであるイチは身体の色を変えきることができなかったからである。イチは生まれたままの色で人生を終えるのだ。彼にはカメレオンたる機構がまるで存在してなかった。
「あぁ…なんということでしょう。この子はカメレオンとして生きることはできないのでしょうか」
カメレオンにも神という概念があるのだろうか。母親カメレオンは天を仰ぎ、日光のために瞼を閉じる。身体の色は一瞬純白になったかと思うと瞼の裏と同じ生々しい黒色になった。血の色を含んだ臭うような黒。光を避けて待っているものを言及するまでもない。母の色の変化はイチが生まれた心境を表しているようで彼らの巣からは悲壮感が溢れていた。
みなさんはカメレオン本来の色を見たことがあるだろうか。何色にもカモフラージュしていない、カメレオンの本質を突く色。残念ながら、私は見たことがない。何故ならば、カメレオンは流動的な生き物で、生まれた直後からカメレオンであるからだ。カメレオンとは身体の色を変えて生きるもの。常に新しい姿に生まれ変わるができるのだ。しかし、作中のカメレオンは生まれたてのくすんだ色のまま、生きることになった。そういうお話である。
そして人間もある意味、カメレオンと同様に染まりうつろって行く生き物である。私はこのイチというカメレオンが羨ましい。心の底から、何にも染まることなく生まれ持った色で生きていくイチがどうしようもなく羨ましいのである。もう、無垢な自分の名残は生まれ持った痣しか残っていない。そして、私の意志に反して、我々の先祖が生きた時間分の貯蓄が、そのまま私たちに引き継がれている。長い人類の歴史の蓋を開けてみて、中にあったのは、周りに流される人間性の脆さと、それに付随する飽き性である。実際に、20年前のファッション誌は冗談を言っているようにしか思えないし、ネットミームは愛される前に消費されるようになった。
私もこういった社会に染まり、適合している。人が何か社会から逸脱した行動をとっているのを見て、私は小ばかにするようになった。
そして自分に嫌気がさして、リビングのソファに腰を掛けたまま滝に打たれたい気持ちになるのだ。
ふと気分転換にテレビをつけると、幼稚園児の将来の夢を発表するという番組がローカル局でやっていた。
「わたしの、しょうらいの夢は、ナースさんです」
ゆっくりと、照れくさそうに上ずった声。眼がビー玉のようにつるつるとしていて、小さな波がにあうであろう快活な少女。彼女の身体の全てが色鮮やかに見えた。彼女はタンクトップのような形をしたピンク色のワンピースを着ている。鼻立ちもくっきりっしているこの子はきっとマドンナと言われるようになるだろう。
テレビカメラは次の子に移る。焼けた肌。有名なスポーツブランドの半そでシャツに黒の短パンで顔の細い、まさにサッカー少年といった風貌。
「ぼくは、かっこいい警察官になりたいです!」
「この子はきっとモテるだろうなぁ」彼らより人生を長く過ごした者による品位のないコメント。未来の出来事、人間の性質を勝手に想像する筆者の悪い癖である。
そういえば、僕の最初の将来の夢は「教師」だったかな。中学校教師であった祖父の影響だ。校長になった時の感動や、教え子たちの成長の物語は、まだ何も知らない幼稚園児の目を輝かせるには充分であった。
この頃は、転んだ人を見て駆け寄り、抱擁することができた。しかし、今はどうだろう。冷たい通行人を気にして自分まで冷たくなってしまいそうになる。
見えぬ圧に対して、「大丈夫ですか?」という一応の行動はしておくのだ。
小者臭い。それが筆者の今の本質である。
しばらくぼんやりとみていたテレビ。周りの物の輪郭がぼやけ、思考は次第に停止していた。テレビから元気な坊主の声が部屋に広がる。その声は、はっきりと聞こえた。
「おいらの夢はドロボウになることだぁ~」
まさに声が物質的になったかのようだった。坊主の声が立体的な文字となって頭に入ってくる。造形物がぶつかった衝撃で脳が振動する。
気が付けば、私は笑っていた。そしてよく見れば、坊主は手をピストルの形にしてこちらを撃ち抜いていた。
「ばーん」
私の頭の中で反響する銃声。
他人に会った数が少なく、何色にも染まっていない自分本来の夢。そして声、顔。
自分勝手に「あぁ、社会の渦に飲み込まればいいのに」という誰かの糞尿を固めた沼にはまる。なんと、あさましいことであろうか。
茶色く異臭を放つ僕は、澄んでいた頃どんな思いをいだいていたのだろう。情報にあふれ、日々変わり続けている僕たち。実はカメレオンに似ている。もちろん、彼らのように色鮮やかではない。だが、生まれた瞬間から色が変わるカメレオンたちは、元々自分の体が、どんなに美しい色をしていたのか知らないかもしれない。
このように私は性格がひねくれており、友人も多く作らない。だが、古い友人に機械屋という発明家がいる。彼は奇想天外な発明品ばかり作ってしまい、中々発明家として売れきれない天才肌の人物だ。私は毎月20日に彼のラボに行き、彼の発明品に触れる。時には持ち帰り、その発明品が筆者に影響を与えてくれるのを待つのである。
今日は暑いのか寒いのか分からない、そんな20日だった。
自分の本質を見失い、なにか物足りなさを感じながら、私はついに腰を上げ、機械屋の工場に向かうのであった。
「やぁ機械屋。今月も来たぞ」
「待っていたよ小説家」
機械屋は椅子に浅く腰掛けて足を汲んでいた。機械屋はそんなに悪くない顔立ちなので、そこそこ様になる。しかし、もっと気になるのは彼がつけている眼鏡だった。無色でつるつるとしたガラスのような材質であるのだが、透明感が全くない。キャンバスに油絵の具で描かれた瓶のような奇妙さ。そして特筆すべきは、そのメガネの形であろう。大海に囲われ、水平線の枠から僅かにはみ出し、はらはらと揺れる波。そのような流動性を感じるフレームだった。富嶽三十六景の神奈川沖浪裏をみているような気分になる。
「君がつけると、その変な眼鏡も最先端のファッションに見えるな」
「いいだろう?」
機械屋は微笑みを見せた後、サッと立ち上がり、私を歓迎するように手招きした。
「あぁ、いいと思うが…君に珍しく、やけにおしゃれじゃないか」
「何故そう思う?」
機械屋は僕の言葉から間を置かずに、問いをこちらに投げてきた。
「そ、それはだな。そうだな…」
何気ない言葉を突かれ、なんとも急に罪を宣告されたような気分だ。
「やはり、君の顔面がそこそこ良いのと…」
私が少し言い淀んでしまうと機械屋は「ほう?」と首をかしげ、少し不機嫌になってしまった。これはいけない。
「あ、あと、独創的だからじゃないかな。ほら、その眼鏡はまさに誰とも被らないって感じでさ」
機械屋は手を私の肩に置いた。急な接触は私を縮こまらさせた。
「小説家よ。君もやはりそう思うか!」
やっとのことで、機械屋を至近距離で眺めると、彼の目はその言葉を待ってましたと言わんばかりに輝いて見えた。
「あ、当たり前だろう?」
「そう言ってくれると思っていたよ」
私の背中に、ちっぽりと汗が垂れている。
「実はだな、この眼鏡、本当に誰とも被らない眼鏡なのだ」
「君が作った眼鏡ということか?」
「そうだ。しかし、もちろんこれはただの斬新な眼鏡ではない。未来永劫オンリーワンなのさ」
未来永劫…?
困惑する私を見て、満足そうな機械屋は眼鏡を掛けなおし、横にある機械を触り出す。白い二つの箱を横に並べて組み合わせたような形状をしている。右側の扉を開けると中は赤色の光で満たされていて、まさにハイテクであった。
「この機械はな、スキャナー機能を持った最新鋭の3Dプリンターだ。右の箱に物体を入れると、たった数十秒で左の箱に寸分違わず複製される」
機械屋は己の子供を撫でるようにプリンターをさすっているが、私には赤い光が不気味に笑っているように見えた。
「そしてだな、この眼鏡を入れるんだ」
機械屋は眼鏡を外し、右の箱に入れた。
機械屋が箱の扉を閉め、側面をさするとプリンターがガガガッという音と共に動き出した。左右の箱は同時に動き出し、忙しなく振動している。
何かを造る音にも聞こえるが、何かを壊す音にも聞こえる。騒音と言ってよい、音の不規則な羅列と、その大きさ。それは数秒間続いた。
気が付けば、右の箱では、咀嚼を終えたようで、騒音と振動は幾分か収まってきた。しかし、左側はより騒がしくなってきた。
何かのアームが動いているのだろうか。ウィーンという機械音が聞こえる。
白いくせにブラックボックス。プリンターは未だに微動し続けている。
箱にくぎ付けの私をみて、機械屋はほくそ笑んでいるのだろう。
「もうすぐ、完成するようだぞ」
「なんと、もうできるのか…?」
なんという技術革新、そして、価値の転覆であろうか。この二つの箱があまりに便利であるがゆえに今後、我々はいくつの手間を省くのであろう。
やかましく忙しない機械音も次第に緩和されていき、遂に機械屋のラボに静寂が舞い戻ってきた。
機械屋がプリンターの左側の箱に立ち、扉を開けた。
箱の沈黙が破られたとき、冬のため息ほどの白い空気が飛び出した。漂う吐息は渦を巻き、私たちの顔にあたる。少しばかり、異臭もする。半田ごてを使ったときのような、刺激的で脳が何かで詰まるような匂いだ。
「ほら、中を見てみろ」
機械屋が箱の中を指さし、完成品を見ろと私を促している。
私は首を縮めて箱を覗く。
「う、うーむ…」
苦しい唸り声。驚異的な再現度、美しさがそこにあった。機械屋は眼鏡を手に取り、微笑んだ。
「しかし、このプリンターは君の発明ではないのだろう?」
「そうだな」
「じゃあ、この時間は何の時間だったんだ?君の発明を楽しみに来たのに」
今まで機械屋のペースに飲み込まれていた私は意味もなく強がった。いや実際に楽しみでもあるのだが、自分の価値観が砕けていくようで恐ろしいのだ。
「まぁまぁ、右の箱を見てみな」
「あ、あぁ。分かった」
機械屋に促されるまま、私は右の箱を開けた。
箱の中身は眼鏡だったものと言っていいだろう。先ほどまで、富嶽の雄々しさを表していた、あの眼鏡は跡形もなく液状になっていた。
「溶けているじゃないか。どうやら、眼鏡がレーザーに耐えきれなかったようだね」
そうやって機械屋に目線を移すも、機械屋は口角を上げたままであった。
「まぁ、もう少し待ちな」
すると、溶けた眼鏡のフレームは波立ちはじめ、一滴ずつ地を離れていく。やがて一つの球体となって、いまも波立ちながら浮いている。
私の両足は、枷を付けられたまま檻から解き放たれた囚人のように前進していた。歩くとは言えない。あえて詳しく言うならばズリズリと這うようにだ。そして私の脊髄から言葉が漏れる。
「な、なんと神秘的な…」
「新たなものの誕生の過程さ」
この球体、まさに水の星という美しさ。地球に匹敵する、私はそう感じた。まぁ本音を言えば、実際比べてみると地球には全く敵わないかもしれないとも思う。しかし、この手のひらサイズの小さな星に、星の住人として何かのシンパシーを感じるのである。
やがて、その星は分裂を開始した。水滴は七色に光り、規則性に従って滴り落ちていく。光りながら落ちていく様は、さながら彗星である。一方、彗星の母星はみるみる小さくなってく。
落ちた先では、新たなる創造が起きている。落ちてくる光を先達たちは受け止め、少しずつ体を作っていく。受け止めるごとに光りがより丸みを帯びた波長に代わり、生まれ変わって光が消えていく。私は「この水滴ひとつひとつに誰かの魂が宿っているようだ」と愛を叫びたくなった。しかし、私の感動が高まるとともに眼鏡のフレームのような姿が見えてくる。
そして、水滴が落ちきった後、箱の中全体が光で満ちた。一秒に満たるかも怪しい、短い光だった。
この世に初めて生まれたものに祝福を…
私はそう思うことにした。
機械屋はプリンターに手を入れ、それを私にかけさせた。
「人に模倣されるたびに、そいつは自ら生まれ変わる」
なんと悪趣味な機械屋だろうか。この美しい転生の果てが眼鏡だなんて、何の冗談であろうか。
「君は小説家を困らす発明をしていることを自覚した方がいい」
「だが、アイデンティティを重視する君たちにピッタリだろう?」
実際、産まれたての珍妙な眼鏡に鼻を通して、私はなにかに満たされた気分になっていた。
SF短編集『機械屋』〈気ままに更新〉 山本鷹輪 @yamamoto_takawa
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