裸の王様

 おしるこ、冬の代名詞。自販機が缶を産み出す音がする。ペットボトルとは違う、硬い音。「あったかい……」


 冬の刺々しい風は厚手のコートさえも切り裂いていく。どれだけ重ね着しても、まるで効果を示さない。マフラーが風に煽られ、地団駄を踏んでいる。役に立たない布。口から白い息を吐き、着ているコートの前立てを掴み、私(筆者)は腹を覆い隠した。


 機械屋の工場からの帰り。奴が渡してきた発明品は紙袋に入れてある。これを、すっぽり入れるには紙袋が小さすぎた。マネキンの頭部の形をしたものが紙袋から筆者を見つめていた。不気味な視線に寒気を感じる。だが、機械屋は涼しい顔をして、「自宅で体感してみろ」と言ってきたのだ。


 しかし、あまりにも寒い。おしるこを買ってよかった。手をじんわりと温めてくれる。そうこうしてるうちに、指先の感覚は氷が水に戻っていくのように筆者の元に帰ってきた。そろそろ、家に戻ろうか。筆者は目の前の自販機に踵を返し、歩き出したその時、足に感触。




カァアン、カアラカラカラカラ......




何かを蹴った音と金属が転がる音。赤い空き缶だ。筆者のせいで缶が若干ひしゃげている。だが、転がることは造作もないようだ。未だ転がり続ける缶をじっと見つめる。筆者は不満げに口を尖らせた。気付かなければ、無関心でいれたであろうに。


 蹴ってしまったのに捨て置くことは、罪の意識が私に譲渡されるような感覚がする。小心者の筆者は放っておくことができない。筆者は更に口を尖らせた。


 筆者はもう動かなくなった缶の傍まで行く。コーラの缶だ。筆者は手を伸ばし、拾い上げた。自販機の横にあるゴミ箱まで歩く。捨てる口は二穴。右が缶用。左の穴から溢れたペットボトルが斜めに突き刺すように入れられてあった。筆者は怖いもの見たさで、まだ隙間がある右穴から中を覗いた。様々な飲料が混ざった臭い。ちょっとした衝撃が走る。だが臭いのせいだけではない。中でペットボトルと缶が一緒になっていた。ゴミ箱内は区分けされておらず、我々がせっかく分別しても意味がなかった。筆者は何も見なかったように右穴に缶を捨てた。


 すると、紙袋から声が聞こえた。


「貴方は良いことをしましたね。捨てられて放置されたゴミを貴方の正義感を裏切ることをせず、ゴミ箱に捨てた。素晴らしい行いです」


機械音声だ。


 家に帰った後も、自分の書斎で執筆していたら、机の傍に置いた紙袋から声が聞こえてきた。


「貴方は勤勉ですね。執筆を怠ることがない。人は度々驕るものです。初心忘るべからず。素晴らしい」


機械音声が部屋に響く。些細なことでも、褒めてくれる機械に筆者の顔は緩みつつあった。


 そろそろ機械屋から貰った発明品を取り出してみようか。筆者は紙袋からマネキンの頭部の形をしたものを手に取った。その名も『貴方は天才だ君』だ。これは、目の部分に搭載しているカメラで対象者を監視し、隙あらば褒めてくれるという、人類にとって非常に都合の良い機械だ。先ほどの通り、『貴方は天才だ君』は少し文を書くだけでも「貴方は勤勉だ」と言ってくれるため、筆者は得意げな顔で筆を持つことができた。これをはじめて見せられたときは、ロボットに褒められることに違和感を覚え、言葉の嘘臭さに対する嫌悪感を拭えなかった。だが、不思議なことに徐々に優越感が生まれるてくるのだ。


 とはいえ、何故か日常の所作全てに、根拠のない自信がついてくる奇妙さは表現しがたい。では、一例として、暖房の設定温度をさげてみよう。すると、『貴方は天才だ君』はこう言った。


「貴方は環境への配慮が素晴らしいのですね。地球温暖化が進む今、たとえ微量の気遣いだとしても、行動することが大切なのです。小さき一歩もいずれ大きな進歩となるでしょう」


ただ単に暑かっただけであったとしても、筆者の行動に意義をもたらしてくれるのだ。


 筆者は部屋に籠る時間が人よりも多い。今のように小説を書いたり、音楽を聴いたり、映画を観たりする。筆者は自己満足に生きているのだ。だが、時たま、社会の一員として不安に感じることがある。古くの日本社会には井戸端会議という言葉があったように、人と会話する場所があった。しかし、今は水を汲むのは人間の仕事ではなくなり、人は蛇口をひねるのみだ。私たちは人の顔を見なくても水を汲むことができるようになった。便利さとの引き換えに得た、交わりの喪失は我々に孤独感という重しを与えたのであった。


 だが、この機械があれば日々の孤独感も薄まる。社会との関わりを見つけ、賛辞してくれるからだ。これは素晴らしい働きだ。鬱や暴飲暴食になりがちな現代日本人にとって偉大な発明になるだろう。実は私の奥さんも、その現代日本人の一人だ。


「そうだ、奥さんにも見せてやろう」


私の顔は明るい。


「貴方は慈悲深い。恵を独占せず共有しようとする精神は後世に受け継ぐべきものです」


この機械も、こう言っていることだし、筆者は奥さんに『貴方は天才君』を見せてやろうと二階の書斎から飛び出した。


「なんと誠実なひとなのだ。貴方は良いと思ったことを実際に行動に起こすことができる。貴方のように意識的に人に尽くせる人間は、めったにいないでしょう」


私は笑みを浮かべた。


 私の奥さんは一階のリビングで映画を観ているのだろう。階段を下りていると、眼鏡の魔法使いが魔法を放つ音や、名前を出してはいけないスキンヘッドの悪役の声が聞こえてくる。


「奥さん、これを見てくれないか」


「いま、映画を観ているのだけれど…」


「早く見てほしいんだ」


「貴方は親切な人なのですね。奥さんのためを想って…」


奥さんは筆者の手元で話すマネキンの頭に驚きながらも不服そうな表情を浮かべた。


「いま、すごい良いところなのよ。今じゃなきゃだめ?」


筆者は落胆した。せっかくこの体験を共有してやろうというのに、何故奥さんは価値を理解せずにいつでも観れる映画を重視するのだろう。


「こんな馬鹿馬鹿しい映画はいつでも観れるだろう。せっかくこの偉大な発明品を見せてやるというのだ。こっちを優先してほしい」


奥さんは目つきを変え、まるで筆者を見下げるように問うた。


「あなた、そんな傲慢な人だっけ」


「そんなことはない。僕は謙虚な人間だ」


「そうですよ、貴方は謙虚な人間です。おごり高ぶらずに自分を見つめ直しながら生きているではありませんか。私は見ていましたよ」


人と会話をするたびにこの機械は褒めてくれる。だが褒める回数が多いと機械も大変なのだろう、『貴方は天才だ君』のボディは熱を帯び始めた。湯気を出しそうなくらいの高熱だった。『貴方は天才だ君』はカメラのピントが合わないのか、しきりにレンズを動かしている。


「おお、大丈夫か。体が熱いぞ」


「貴方はお優しいですね……ロボットにも体を気遣ってくださ…る」


このセリフを『貴方は天才だ君』が放つと、ついに彼は熱に耐えきれずにスリープ状態になってしまった。実際には、彼に胴体や手足はない。だが、筆者にはぐったりと横たわる『貴方は天才だ君』の姿が見える。


「ほら、お前が素直に話を聞かないから、偉大な発明品が情報を処理しきれずに固まってしまったではないか」


「どこが偉大な発明品よ。ただのガラクタじゃない」


奥さんは吐き捨てるように、早口で言い放った。力を抜き切り、こちらを見る意思もないように横たわっている。私から見ると、その姿は実に醜いものだった。


「なんで分からないんだ。なんでこの素晴らしさが分からないんだ」


筆者は落胆を通り越し、怒りまで感じていた。奥さんは視線をテレビに戻し、再び筆者を見ることはなかった。


 理解されない悲しみを感じながら『貴方は天才だ君』を冷やす氷を取りにキッチンに向かった。再利用のために残しておいたスーパーマーケットのレジ袋に氷を詰める。アイスコーヒー好きの筆者といえど、冬になってからは氷を使うことはほぼない。当然、過度に冷やされた氷は群をなすように固まり、くっついていた。力づくで取ろうとするも、思うように取れない氷に怒りを感じる。だが、悪戦苦闘の末、袋に少々重みを感じるようなくらいまで取り出すことができた。半分ほど飲んだペットボトルくらいの重さ。最初に見積もった氷の量より少ないが、これで良いだろう。


 筆者は氷を詰めた流れで、冷蔵庫の扉をあけた。小腹がすいていた。冷蔵庫には相変わらず甘味が多い。奥さんは甘味によってストレスを解消している。このまま全て食べてしまったら奥さんは太ってしまうだろう。彼女の健康のためにも、どれか食べてやることも必要であろう。筆者は仕方なくプリンを手に取り、氷の入ったレジ袋に隠した。最近のレジ袋は色がついていて中が見えないようになっていて都合がよかった。


「これは、奥さんを想ってのこと。親切心だ」


だが、筆者の顔が目の前のプリンに、くぎ付けであったことは言うまでもない。


 部屋に戻り、レジ袋の氷嚢で『貴方は天才だ君』の熱を冷ます。『貴方は天才だ君』が復活するまで、筆者はプリンを楽しむことにした。


 五分も経っていないが、『貴方は天才だ君』は再び起動した。機械らしくピピピと鳴る。筆者はその音だけが不愉快だった。


 すると、一階から奥さんの叫ぶ声がした。


「ちょっとー!私のプリンを食べたでしょう!」


「しまった…もうバレてしまったか…」


まだプリンは手元にある。このままでは、言い訳すらできないだろう。奥さんが階段を上る音がだんだん強まっていく。怯えた筆者は机の引き出しにプリンを隠す。整理整頓されていない引き出しに無造作に入れる。プリンが他の内容物に飛び散っていたが関係ない。


 ついに奥さんが筆者の書斎の扉を開けた。


「私のプリン知らない?」


敢えて、奥さんは筆者に質問しているのだろう。だが、奥さんの目つきは、筆者を犯人だと決めつけているかのような鋭さだった。


「何のことだか。昨日酔っぱらっている時に食べたんじゃないか?」


筆者はもっともらしい嘘をつき、この追い込まれた状況を脱却しようとした。


しかし、『貴方は天才だ君』はいつものように称賛した。


「貴方は天才です。大切な人の食生活を慮ることで彼女の健康を守った。それだけでなく、適切な理由をつくり、奥さんが納得できる形で事を済まそうとする。素晴らしい頭脳です」


予想外の裏切りである。スリープ状態でも、耳は動いていたというのか。奥さんは顔を歪ませて言い放った。


「余計なお世話よ」


奥さんは筆者を睨み、筆者は『貴方は天才だ君』の皮肉を恨んだ。


『貴方は天才だ君』には悪気というシステムはないのか、次に褒めるところを求めて耳をそばだてて、筆者の次の行動を待っていた。


私を褒めてくれるだけの機械が、私を追い込んでいる。

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