第35話

 

 セルミヤの体調は少しずつ回復し、すっかり元の元気を取り戻した。そしてまもなく、オティリオ・エルキエイスの帝位就任を宣明する戴冠式が執り行われた。皇宮敷地内の大聖堂で式が開かれ、大勢の人々が街路に集まった。


「私の人生の全てを、エルシア帝国の繁栄と栄光、民の幸福のために捧げることをここに誓う」


 オティリオの宣誓に始まり、教皇が皆の前で王冠を被せた。オティリオはそれから、皆より一段高いところに座り、参集した貴族や重鎮たちの祝辞を受けた。


 アドルフも戴冠式に参列していた。元皇帝派の者たちが断罪されていく中で、アドルフだけはお咎めなし。この処遇に不満の声もあったが、彼を英雄視する多くの国民は彼の過去の功績を鑑みて妥当だと受け止めていた。


 来賓席から、皇帝の椅子に向かって敷かれた絨毯をアドルフが歩いていく。毅然とした佇まいだが、彼には懐疑的な視線が向けられていた。


(……アドルフ)


 セルミヤが遠くの席から心配そうに眺めていると、祝辞を告げ終わったアドルフの前で、オティリオが立ち上がった。


「セルミヤ・ラインレッツ嬢。私の元に来なさい」


(え……?)


 セルミヤは一瞬戸惑い、同姓同名の別の誰かではないかときょろきょろと辺りを見渡した。しかし、オティリオの視線はこちらに向いており、確かに自分を呼んでいるのだと理解した。すっと椅子から立ち上がり、オティリオの御前まで歩いて、恭しくお辞儀をした。


「二人とも――すまなかった」

「…………!?」


 オティリオは大衆の前で、更に帝位就任の儀の最中に、深々と腰を折ってアドルフとセルミヤに謝罪した。この国で最も高貴とされる皇帝ともある彼が頭を垂れるなど、前代未聞だ。


「オティリオ新皇帝陛下……っ!? どうか頭をお上げください。大勢の方々が見ておられます……!」


 しかし、オティリオはセルミヤの言葉を無視して頭を下げたままに言った。


「シュグレイズ卿もまた、先代の非道の被害者だ。……父がそなたにしでかしたことは、あまりに人道に反していた。にも関わらず、尊いエルシアの民のため長らく忠義を尽くしてくれたこと、感謝申し上げたい。そなたの力は偉大だ。どうか未来の我が国のため力を貸してほしい」


 オティリオの予想外の行動に、聖堂内はざわめき立った。「先代の非道の被害者」という言葉とアドルフへの謝罪に、人々の懐疑は同情に変わっていく。


(……オティリオ様。あのときのお約束を果たそうとしてくださっているんだわ。なんて誠実で律儀なお方……)


 上書き契約の新契約主を引き受ける際に、オティリオに対して「アドルフの立場を守ってほしい」と頼んでいたことを思い出す。この前代未聞の謝罪は、アドルフの名誉挽回と、エルシアにおける立場を庇護する目的だろう。


 アドルフはオティリオの配慮を察したらしく、なんとも言いがたい表情を浮かべた後、オティリオの前に跪いた。


「我が命尽きるまで、あなたに忠誠を捧げ、国に尽くすことを誓おう」


 宣誓の言葉を述べるアドルフ。そして彼は小声で呪文を唱え、どこからともなく魔法の杖を出現させた。そっと下方に下ろして先端を床にトン――と着ける。


 すると、聖堂の天井に七色の淡い光が広がっていく。この国の伝統で、魔術士は誓いを立てるときに、己の魔力属性を示す色の光を発現させることをする。


 アドルフは、土、水、火、光、風全ての属性を完璧に支配する魔術士だ。五色の光はオーロラのように、幾重にも色が重なり合い揺らめいている。誰もが幻想的な光景に感嘆した。


 アドルフが立ち上がれば、その礼服のマントの裾が翻る。妖艶で美しい彼が生み出した光のカーテンに、人々の注目が寄せられる。彼は頭上に杖を伸ばして、杖を円形に動かした。


 カーテン状に形作られていた光がその刹那、小さな粒子へと変わり、離散していく。まるで初冬の雪のように、光の残滓がゆらゆらと聖堂内に降り注いでいった。


「……わあああっ!」


 ところどころに漏れ聞こえていた感嘆の声はやがて、盛大な歓声に変わった。



 ◇◇◇



「さっきの光……とっても綺麗でした。皆さんも喜んでいらっしゃいましたね」

「……そうだな」


 戴冠式が終わり、アドルフの元には大勢の見知らぬ貴族が声をかけにやってきた。オティリオの謝罪のことで、アドルフとカリストの間にどんな因縁があったのか、皆興味津々だ。


「この後は街の行進に同行するんですよね?」

「ああ。恐らく一日がかりになるだろうな」

「本当に大勢の方が集まっておられますね。どうかお気をつけて」


 皇族の冠婚葬祭を含め、大規模な行事では多くの見物人でごった返しになる。あまりに多くの人が押し合いへし合いするので、怪我人は勿論のこと、死人が出ることもある。


 アドルフは、オティリオの近衛隊として馬車の行進に同行することになっている。これだけの人数では、警備も大変だ。


「あの……それで、アドルフ」

「なんだ?」


 セルミヤは行進にはついて行かないため、ここで彼と少しの別れとなる。アドルフの服を、ちょこんと摘んだ。


「つ、伝えたいことがあります。今……アドルフに」

「…………」


 真っ赤に顔を染めて、潤んだ瞳でアドルフを見上げた。彼もこちらからただならぬ気配を感じ取ったらしく、目を瞠る。


「……私、アドルフのことが好きです。……これは男の人として……その……恋愛感情の好き、だから……っ。アドルフの好きは、家族に対するような好きかもしれないけれど、私なんて……ただのお子さまにしか見えないかもしれないけど……でも、どうしても伝えたくて。アドルフ……あなたが――好き。大好きです」


 ほろほろと涙を零しながら、切なげに微笑んだ。アドルフへの気持ちが溢れて止まらない。ぼやける視界の先で、彼が言う。


「……セルミヤ」


 アドルフが名を呼んだ――その直後。


「…………!」


 アドルフの指に顎を持ち上げられ、互いの唇が重ねられる。時間でいえば、ほんの数秒の間だけだったが、自分のものではない他人の熱と、皮膚とは違う唇の感触が伝わる。


 セルミヤは絶句して、大きな目を皿のように見開いて硬直した。口をぱくぱく開閉させながら、1歩、2歩と後ずさっていくと、アドルフはセルミヤの驚きっぷりを見て満足気に口角を上げ、セルミヤの頭を撫でた。そして、耳元で囁いた。


「早く、大人になるんだな」


 アドルフは礼服のマントをはためかせながら去っていった。その後ろ姿を唖然と眺めながら、セルミヤは脱力してへなへなと座り込んだ。先程までの彼の唇の感触と、耳元で囁かれた甘美な声が未だに鮮明に焼き付いて離れない。


「…………っ!?」


(い、今……な、なななななななな何を……!?)



 ◇◇◇



 エルシア帝国には、かつて人々から恐れられた稀代の天才魔術士がいた。名をアドルフ・シュグレイズ。氷のような美貌を持ち、冷酷無慈悲に戦場で命を狩る彼のことを、人々は――『美しき英雄』と呼んでいた。


 アドルフは後も、帝国軍副総長としてオティリオの国家を支えた。軍務だけでなく、あらゆる国を巡って乾いた土地を潤し、濁水を清め、病を治し、更には災害や魔物から人々を救い続けた。冷酷無慈悲で、『泣く子も黙る冷血副総長』と畏れられていたことは過去になり、救国の英雄として歴史に名を残すことになる。


 そして、その傍らにはいつも、一人の娘がいた。かつて婚約破棄され国を追われた一人の令嬢と、禁呪により支配を受けてきた魔術士。彼らの幸福に満ちた、『美姫びきと英雄』としての物語が――ここから始まる。



-----------------

あとがき


最後までお読みいただきありがとうございました。新連載、『嫌われ者の王子様へ。契約結婚には相応の見返りを要求します。』の投稿を始めましたので、もしご興味があればよろしくお願いいたします…!

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【11月24日1巻2巻同時発売】婚約破棄されまして、この度失踪中の最強魔術士様と訳アリ同居生活をはじめます。山で。 曽根原ツタ @tunaaaa_x

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