第34話
「セルミヤ。そなたは俺を深く愛しているのだな」
「いいえ……? 世界で一番大嫌いですけど……」
「へ?」
きょとんとした顔で、ごく自然に大嫌いなどと答えたセルミヤに面食らう。こんなにストレートに悪意を伝えることがあるだろうか。
「私はね、思うんです。人が人を裁き罰を与えるものではない……と。私がこれまであなたにされてきた仕打ちと、あなたの怪我は全く関係ありません」
セルミヤは――深々と頭を下げた。大嫌いな相手に。
「この度は、アドルフが怪我をさせてしまって、ごめんなさい。お詫び申し上げます」
アレックスは思い知った。セルミヤ・ラインレッツという娘が、どれだけ清廉高潔な娘なのか。アレックスのようなのらくら者を婚約者に持って翻弄されようとも、愛情のない複雑な家庭で育とうとも、その心の崇高さは少しも損なわれることはなかったのだ。
「……その薬、貰ってもいいか?」
「はい。もちろんです」
セルミヤは瓶の蓋を開けた。
しかし、アレックスの口元に添えようとしたその刹那――寝台で足をつまずかせて、中身の液体をばらまいた。
「きゃぁっ! 私ったら貴重なポーションをだめに……」
そう。この娘は、少々――いや、かなり抜けたところがある。セルミヤは青ざめた顔で悲鳴を上げた。後ろでアドルフが呆れた様子で額に手を当てる。
「ミヤ。お前はそそっかしいにも程があるぞ。ほら、予備だ」
「ありがとうございます。……さぁ、アレックス様、お口を開けてください」
セルミヤの粗相のおかげで、顔も髪もずぶ濡れだ。しかし彼女は、無駄にしたポーションを惜しむ気持ちはあっても、濡れたアレックスに対して申し訳ないという感情は微塵もないらしい。
にこやかな表情のまま、ポーションを口にあてがわれる。ポーションを彼女の手ずから飲み干した。すると、失くなっていた足の感覚が戻り、傷が癒えていった。
半身を起こして確認すると、火傷は完全に治っていた。さすが、稀代の天才の魔術士が調合しただけある。怪我が治ったのを確認するとセルミヤが言った。
「用は済んだので、私たちはこれで失礼します。――お元気で」
「ああ。またな」
「私はもう二度と会いたくないので、またなんて言わないでください。不愉快です」
「……そなたはその……物をはっきり言うのだな」
「もう守らなければならない立場もありませんから」
にっといたずらに微笑む彼女。そのまま踵を返し、長い髪を揺らしながらさっさと部屋を出ていった。アドルフがこちらに侮蔑の眼差しを向けている。
「俺は生涯お前を許さない。今すぐにでも地獄の底に落としてやりたいところだが、彼女に免じて見逃してやる」
「……そなたは、セルミヤのことを想っているのだな。彼女との関係は?」
アドルフは小さく息を吐き、妖艶な声で答えた。
「訳あって一緒に暮らしているただの同居人だ」
そう言い残し、颯爽と部屋を出ていった。しかし、明言されずとも、アドルフが彼女を特別に想っていることは傍から見ていて分かる。
(彼女のような女には、一国の王子の妃より、世界の英雄の隣が相応しい――か)
◇◇◇
怪我が治ったその後も、アレックス・ファーガンの遊び好きは続いた。自由奔放で救いようのないろくでなし。国民からは非難され続け、上辺だけの愛に溺れた。派手な女関係のせいで感染症を患い、長くは生きなかった。
その最期は、惨たらしく悲惨だったという。王族でありながら、彼の死を嘆く者も、供養する者もいなかった。
そんなアレックスだが、夜会を歩き回る中で、いつも耳にしたのは――輝かしい功績を上げ続けるかの国の英雄の話ばかりだった。
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