第33話

 

 エルシア帝国皇女の誕生日を祝う夜会にて、アレックスは酷い火傷を負った。夜会のホールでセルミヤを誘っていたら、かの英雄アドルフ・シュグレイズの不興を買ったのだ。


(アドルフ・シュグレイズとセルミヤ……。二人に一体なんの関係があるというのだ?)


 両足の裏に負った火傷は深刻な具合で、時間の経過と共に回復するどころか悪くなっていった。熱傷が神経の深いところまで到達しており、組織が壊死しているという。


 神経が損傷しているので痛いという感覚はないが、このところ体調が悪い。傷口に細菌が繁殖し始めたのだ。感染症を起こしているということは、死亡する可能性があるということ。


 アドルフの生じさせた炎は、一瞬でも凄まじい威力があった。


 アレックスは寝台に横たわり、ぼんやりと天井を眺めていた。退屈な時間が永遠と続いていくような感覚がする。


 エルシア帝国では、夜会からすぐにクーデターが起きて、カリストの政権が終焉を迎えた。独善的な政治で横暴を行ってきたのだからこうなるのも当然であろう。まもなく、新しい皇帝の戴冠式が行われるそうだ。


 ルボワ王国でもこの反乱による影響は著しく、宮廷は対応に追われている。しかし、アレックスは政治に全く関心がなく、どこか他人事のように傍観していた。


 すると、そのとき部屋の扉がノックされた。アレックスは「入れ」と促した。恐らく、定刻に訪れるメイドだろう。


「――アレックス殿下。怪我の具合はいかがですか」

「いかがも何も、これを見て分からないか? 最低最悪だ」


 やけに聞き覚えのある声だった。そっと声の主の方へ視線を向け、瞠目する。目の前に――元婚約者のセルミヤが立っていた。


 白い帽子を脱ぎ、サイドテーブルに置く。彼女が頭をさっと揺らすと、鮮やかな淡紅色の髪がはためいた。


「なぜそなたがここに……」

「彼女だけじゃないぞ。俺もいる」

「……! アドルフ・シュグレイズ……!?」


 セルミヤの背後で、冷えた表情を浮かべたアドルフがこちらを見下ろしていた。相変わらず、彫刻のように完成された美貌だ。セルミヤと並んでいると、まるで絵画の一場面のようである。そして、アレックスをこんな状態に陥れた忌々しい相手。


「怪我の具合を見せろ」

「お、おい貴様何を――ひゃうっ!」


 突然の鋭い痛みに、アレックスは情けない声を上げて体を跳ねさせた。アドルフが無造作に上掛けを取り上げ、患部に巻いてある包帯を無理やり引き剥がしはじめた。


「もっと優しく……ぎぇっ……! い、痛い痛い痛いっ!  丁寧にやらんか!」

「ちっ、うるさい。もう少し大人しくできないのか」

「――ん……むぐ……んん!」


 何かの魔法をかけられ、声を出すことができなくなる。


 アレックスは額に脂汗を滲ませて、顔を蒼白にした。一部の感覚神経が壊死しているとはいえ、残っている神経はむしろ過敏になっている。火傷のせいで、そっと触れるだけでも突き刺さるように痛い。口をだらしなくぱくぱくと開閉させるが、懇願は声にならない。


「これは酷い。化膿してるな」

「アレックス様、このままだと死んでしまわれるのでしょうか」

「ああ、死ぬかもな」


 本人がいる前で、よくもそんな物騒な話ができるものだ。アドルフが宙を切るように手を横に振った。すると、封じられていた声が解放される。


「ぷはっ……はぁ、はぁ……。貴様、ここに一体何をしに来た? 報復か?」


 ここまでの深手を負わせておいて、まだ足りないというのだろうか。けれど、セルミヤにした仕打ちは許されるものではない。それに対する申し訳なささえアレックスにはないのだからタチが悪い。彼女は相当憎んでいるだろう。


 いぶかしげにセルミヤを睨むも、彼女は首を横に振った。


「いいえ。報復だなんてくだらないことをしているほど暇じゃないですから」


 セルミヤはショルダーバッグの中を漁って、ガラスの小瓶を取り出した。その中に青色の液体が入っている。


「それは――毒か?」

「まさか。これは回復用ポーションです。アドルフが魔力を付与して精製した強力なもので、酷い火傷跡をすっかり治したこともあるんですよ」

「…………」


 一般的なポーションは、効力に限界がある。死んだ者を甦らせることや、慢性的な病、致命的な傷を治すことは困難とされている。アレックスの火傷は治らなかった。


 不審に思い、怪しげな液体を見ていると、アドルフが言った。


「飲みたくなけりゃ飲まなくていい。個人の自由意志だからな。強制はしない」


 すると、セルミヤが困ったように眉を寄せてこちらに訴えかけた。


「だめです、飲んでくださらないと……。怪我がよくなりませんよ?」

「……そなたは――」


(俺を、心配してくれるのか。あれだけの仕打ちをしたというのに)


 理不尽な婚約破棄を言い渡し、転移魔法で追放したというのに、彼女は自分を心配している。セルミヤの切々とした表情を見て――確信した。


(そうか。セルミヤは俺を愛しているのだな。やはり俺の運命はここに……!)


 間違いない。怪我を心配して遠方から駆け付けるなど、余程の愛情がなければできないことだ。アレックスは思い込みが激しく、自意識過剰な上に短絡的な人間であった。


「セルミヤ。そなたは俺を深く愛しているのだな」

「いいえ……? 世界で一番大嫌いですけど……」

「へ?」

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