後編

「申し訳ありません。お客様の入力したコードは正確ではありません。お手数ですが、お近くの施設管理者まで……」


 今日もまた、天体観測館はレヴィの入館を拒んだ。聞きなれた音声案内を頭の中で繰り返しながら、来た道を帰るべく踵を返す。

 白かった歩道は茶色く汚れ、凸凹と隆起している。アスファルトに無数に入ったヒビからは雑草が伸びており、何度踏みつけてもたくましく成長するその姿には感動すら覚えた。


「僕が子供のころは、一面赤茶色の土だったのにね。まさかこんなに草が生えるとは思わなかったよ」

「……もともと、この星には緑が多かった」

「らしいね。ウォルター先生に教えてもらったとき、驚いたもん」


 子供たちに勉強を教えていた教師用ロボットは、外との連絡が取れなくなったころに相次いで機能を停止した。中でもウォルターは最初期に動かなくなったロボットだったが、パーツはかなり作りが良く、最後まで稼働していたキャリーやラルドの一部として長い間活躍してくれた。

 今、レヴィの腕の中にいるシヴァの体にもウォルターのパーツは組み込まれている。


「どうしてこの星は、人が住めないようになったのかな」

「星が人を住めなくしたんじゃない。……人が星を住めなくしたんだ」


 数日前から、シヴァのキャタピラは動かなくなっていた。今までは外部パーツを取り換えれば稼働していたのだが、内部の回路に寿命が来てしまったらしい。誤作動で急発進を繰り返し、壁に激突する場面を目撃したこともあった。

 以前、キャタピラのボルトが折れていたことがあったが、それも同じような誤作動でどこかにぶつけて破損したのだろう。あの時、シヴァはレヴィに嘘をついたのだ。

 シヴァのキャタピラはもう、新しい部品に交換しても回ることはなかった。

 一度分解して内部を調べれば原因がわかるかもしれないが、そこまで大掛かりな修理はしたことがない。上手くいってまたシヴァが走れるようになるよりも、失敗して二度と動かなくなる可能性のほうが高いように思えた。


「人は進化しすぎたんでしょう? 星の成長スピードよりも速く成長して、負荷をかけすぎたから星が暴走したんだってウォルター先生が言ってたよ」

「……住めなくなった最終的な原因は、少し違う」

「そうなんだ? じゃあ、最終的な原因って何なの?」

「……レヴィは、なんで天体観測館に入りたいんだ?」


 シヴァの無機質な声が、レヴィの問いには答えずに逆に質問を返してくる。こちらを見ているような気がするが、顔部分の液晶はシヴァが歩けなくなったころから消えていた。長い間表示されていたあの眠たそうな半開きの目が、今では懐かしかった。


「五年前……最後に父さんと連絡が取れたとき、言ってたから。天体観測館へって」


 宇宙戦争の影響によって、七年前から通信が不安定になっていた。レヴィは毎日定時に連絡をしているのだが、呼びかけても応答がない日があった。時間が経つにつれてその日は多くなり、戦争が始まった翌年にはほとんど連絡が取れない状態になっていた。

 五年前のあの日だって、連絡が取れたのは半年ぶりだった。久しぶりに聞く父の声に喜んだ瞬間、激しいノイズにかき消されてしまった。

 かろうじて聞き取れたのは、天体観測館へという言葉だけだった。

 空に瞬く無数の星々を眺め研究するために作られた天体観測館は、この星にとっては重要な施設だったらしい。どんな施設だったのか、何がそれほど重要だったのか、教師用ロボットは教えてはくれなかった。ただ、この星にとって必要な場所だったとだけ繰り返していた。


「……レヴィ、この星は人の争いによって住めなくなった。相手を倒すために作り出したものによって、自身の住む場所を失ったんだ」

「それは……ウォルター先生は教えてくれなかったことだね」

「この先ずっと住めない星になると思われていた。また住めるとしても、何代も後になると思われていた。……でも、星は人よりも強かった。こんな短期間で、元の姿を取り戻した」


 洞窟の奥の部屋に入り、シヴァを近くの椅子に座らせると機械のスイッチを入れた。


「……レヴィの両親は、天体観測館の職員だった。あそこでは、星を研究していた。そして同時に、この星のことも研究していた」

「職員だったって言うのは初めて聞いたな。シヴァを含めた何体かのロボットは両親が作ったんだって言うのは聞いたけど。ウォルター先生とキャリーもそうだったっけ?」

「……そうだ。あの時は、こんなことになると思わなかった。星の力を、信じていなかったんだ。……だから天体観測館の職員たちは、星を守るための装置を作ったんだ。外の星から守るために、星の周りに偽物の空である天候管理システムを作ったんだ」


 流暢に言葉を発してはいるものの、シヴァの声には雑音が混じり始めていた。口調も平たんで、昔聞いていた教師用ロボットと同じような話し方をしていた。

 受け答えもおかしく、シヴァの寿命が近づいているのがわかる。

 今までは、ロボットがいたからこの星に独りぼっちでも生きていくことができた。教師用ロボットやメイドロボットとは簡単な会話ができたし、言葉を話さないロボットとも身振り手振りでコミュニケーションをとることができた。特にシヴァは他のロボットたちとは違い個性があって、少し口調が乱暴な部分もあったが、レヴィの良き話し相手だった。


「定時連絡の時間です」

「……でもいつか、星は元に戻ると信じていた。だから、守ろうとしたんだ」

「こちらレヴィ。応答願います、こちらレヴィ」

「まさか……最後の子供たちが、重度の宇宙アレルギー……になるなんて」


 後ろでポツポツと話しているシヴァの声は、まだ聞き取れるが雑音が酷くなっていた。数刻前と比べて格段に酷くなっているところを見るに、こうして話せるのも今日までかもしれない。


「今日の報告をします。宇宙アレルギー検査は問題なし。通常通り日中の天候は晴れ、夕方から夜に駆けて雨。天候管理システムに問題はありません。地上は人間が生存可能な状態まで戻っています」

「……しかも、レヴィに……こんなに長い間、アレルギーが出るなんて。……まるで、星が……子供を、奪われないようにするみたいだ……」


 シヴァの言葉に、レヴィは振り返った。


「シヴァ、今定時連絡をしているから、少し黙ってて」

「……外からの干渉がなければ……星は治ると思った。……人は、間違っていなかった。……でも、やはり人は間違った。……彼らは、星をダメにした理由を、忘れてしまった。……だからまた、争った。……そして、“ミティ”を残してしまった……」

「もう! 黙ってて!」


 徐々に途切れがちになる言葉に、シヴァの終わりの時を感じる。少しでも先延ばしにしたくて、シヴァに黙っているように要請するが彼の耳には届いていないようだった。


「……“希望”を残すことは、星なりの……抗議だったのかも、しれない。……自分の力で立ち上がれるのに、過保護に閉じ込めようとする、人に対し……」


 中途半端な部分でシヴァの声が途切れる。

 人に寿命があるように、ロボットにも寿命がある。けれど、シヴァの寿命が来てしまったのだと認めてしまえば、レヴィはこの星で一人になってしまう。

 これから先、レヴィは命尽きるまでたった一人でこの星で過ごさなくてはいけない。ゼロに等しい可能性にかけて、応答がないと分かっている連絡をし続けるだけの毎日。それはもはや、人と言えるのだろうか。

 湧き上がってきた疑問を押し殺し、マイクの前に座りなおすとレ報告を続けた。


「先ほど、残っていた会話用ロボットのシヴァが機能を停止しました。稼働しているロボットはなし。現在の食料は、保存食を含めて……」

「……ちら、ち……。……とう、ねが……ます」


 こちらの声を遮るように、ノイズが割り込んできた。部分的に言葉に聞こえるそれを、今までは無視してきた。しかし、シヴァがいなくなった今となっては、藁にもすがりたい思いで必死に聞き取ろうと耳を澄ませた。


「こ……ら……きゅう。おう……、……います。……します。こちら……きゅう。……うとう、願います」


 どんなに頑張っても、レヴィの耳ではこれ以上の聞き取りは出来なかった。しかし、このノイズに似た音が意思の疎通ができる相手だと信じるには十分だった。


「こちらレヴィ。通信状態が悪く聞き取れない部分がありますが、聞こえています!」

「……ませ……少し、ゆっくり……って、さい。わたしは……ち……じん、です」


 聞き取れない部分が多いが、もっとゆっくり話せと言うことだろう。

 レヴィは大きく深呼吸をすると、ゆっくりはっきり話した。


「失礼しました。通信の状態が悪く、聞き取れない部分が多いです。でも、聞こえています」

「……かい、ました。……みじかに、つめい、ます。その星……エネルギー……壁、……消す……に、天体……館に……入れば、天候管理……消えます。入……ワード……最後の子供……じょうび……まえ……」


 途切れ途切れの言葉を、なんとか頭の中でつなぎ合わせる。

 シヴァの言っていたことも合わせると、やはりこの星は天候管理システムによる偽物の空によって守られているのだろう。それを消すために、天体観測館に入館する必要があるらしい。そこに入るためのパスワードも言ってくれているが、そこだけノイズが酷くて聞き取れない。


「すみません、パスワードをもう一度」

「パス……は、最後の……誕生……な……え。くり……ます。……ワードは、……たん……まえ。……誕生日……名前……」

「パスワードは、最後の子供の誕生日と名前で良いんですか?」

「……で……いい……」


 ノイズが酷くなる。それ以上は、どんなに必死に呼びかけても、応答らしい応答はなかった。

 それでも、天体観測館に入るための足掛かりが見つかったのだ。

 今が何時なのか正確には分からないが、だいぶ長い間通信していたように思う。


「シヴァ、もしかしたら日付が変わってまた入力ができるようになってるかもしれない。行こう」


 いつもと同じ調子でシヴァに声をかけるが、反応はない。レヴィは彼の丸い頭を優しく撫でると、ここに来た時と同じように彼の体を抱き上げた。

 滑りやすい洞窟の中を慎重に歩き、大粒の雨が降りしきる中を急ぐ。雑草が生い茂って先が良く見えないが、何度も通った道を間違えることはない。


「シヴァ、さっき話してた人、僕たちと同じ人間だったと思う? なんだか話し方がおかしかったから。……でも、話せたってことは意思の疎通ができるってことだよね?」


 激しい雨音が、誰も答えてくれない問いを攫って行く。

 雨に隠された夜道は恐ろしく、話し相手のいない道は心細かった。気を紛らわすようにシヴァに声をかけ、まだ彼が動いていたら返したであろう言葉を想像しているうちに、天体観測館の外壁が見えてきた。

 窓一つないコンクリートの壁を目指して走り、いつものモニターの前で立ち止まる。

 一度シヴァを足元に下ろし、急いで誕生日と名前を入れるが、いつもと同じ音声が流れるだけだった。

 今度は名前誕生日の順に入れるが、どこか楽しげな声が告げる。


「申し訳ありません、入力されたパスワードが間違っています」


 自分の誕生日と名前なのだ、入力を間違えるはずはない。

 パニックになる頭を落ち着かせようとシヴァを見下ろしたとき、懐かしい彼の声が脳裏によみがえった。


「ミティ」


 彼だけが呼ぶその名前を、レヴィは好きになれなかった。ミティとは、この星の古い言葉で希望を表していた。

 希望ミティなんておよそ見いだせないときに生まれたのにと一度文句を言ったとき、彼は確かに言っていた。


「でも、お前の名前だろ? レヴィ・ミティ希望・シグナス」


 自分では一度も名乗ったことのない名前を入力する。

 間違えないように慎重に、一文字一文字願いを込めて。


 今までに聞いたことのない音を響かせて、一度も開くことのなかった扉がゆっくりと震えだした。

 レヴィとシヴァを強かに濡らしていた雨が、天体観測館を中心に二つに分かれていく。

 曇天の雲が割れる。その隙間から、眩いほどの星のきらめきが幾つも見えた。

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曇天は希望に割れる 佐倉有栖 @Iris_diana

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