中編

 濡れた石階段に足を取られないように注意しながら、レヴィは洞窟の一番奥の部屋へと入った。昔は世話係のロボットに開けてもらわなければならなかった石の扉も、今では自分の力だけで開けることができる。

 全体重をかけて扉を開き、壁に埋め込まれた巨大な機械の前に立つ。いくつもあるボタンを的確に押し、頭上の赤いランプが緑に変わったのを確認すると、レヴィの顔ほどの大きさがあるマイクに向かって話しかけた。


「定時連絡の時間です」


 大人たちは一日一回定時連絡をするように、世話用ロボットたちに義務付けていた。以前は連絡用のロボットが機械を操作しシヴァが報告をしていたのだが、レヴィが話せるようになってからは彼がシヴァの代わりをしていた。


「こちらレヴィ。応答願います、こちらレヴィ」


 マイクの前で、じっと耳を澄ませる。ザラザラとしたノイズが聞こえてくるだけで、答えは返ってこない。


(やっぱり、今日もダメだったか……)


 今から七年ほど前、宇宙で大規模な戦争が始まった。最初は他の星に散った人々の間で資源を求めて戦っていたようだが、途中から異星人の介入も始まったと聞いている。

 最後に応答があったのは五年前で、それ以降は何度呼びかけてもノイズ以外が返ってくることはなかった。

 それでもレヴィは、毎日欠かすことなく定時連絡を続けていた。

 まだ宇宙のどこかに生き残った人々がいて、レヴィの通信を受け取る可能性がないとは言い切れないからだ。


「今日の報告をします。宇宙アレルギー検査は問題なし。通常通り日中の天候は晴れ、夕方から夜にかけて雨。天候管理システムに問題はありません。地上は人間が生存可能な状態にまで戻っています」


 そこで言葉を切り、耳を澄ませる。ノイズ以外、何も聞こえてこない。

 アレルギー検査は、五年ほど前に問題ないという検査結果が出ている。今でも定期的に検査をしているが、一度も問題ありに変わっていないところを見るに、もうレヴィは宇宙に行っても大丈夫なはずだった。


「今朝、最後のメイドロボットのキャリーが機能停止しました。まだ稼働しているロボットは二体。植物管理用ロボットのラルドと、シヴァのみです。シヴァは短くても二週間程度、長くて一か月ほどは稼働できると思います。ただ、植物管理用ロボットは持って数日でしょう。足回りのキャタピラが完全に壊れて移動不能になり、腕が一本折れました」


 最後の一本の腕で選定を続けているものの、移動が出来ずに同じ植物を何度も切っていること、すでにこちらの言葉に緩慢な反応しかしなくなっていることを報告し、食料の残りと自身の体調のことを最後に付け加え、息を吐いた。


「これで、今日の定時連絡を終わります。通信終了」


 スイッチを切ろうと手を伸ばした時、いつもとは違うノイズの音が聞こえてきた。断続的な音の反復はやけにリズミカルで、透き通っていた。

 人々と連絡が取れなくなった数年後から定期的に聞こえてくるノイズだった。心地よい音ではあったが、意味をなさないノイズに聞きほれているほどレヴィの心にゆとりがあるわけではない。

 レヴィが諦めてスイッチを切ろうとした瞬間、ノイズが意味のある言葉を発した。


「……ら……きゅう……と……す……」


 一瞬だけ、レヴィの手が止まった。必死に耳を澄ませて言葉を聞き取ろうとするが、断続的なノイズ音しか聞き取れない。

 おそらく、ただの気のせいだったのだろう。脳が勝手に言葉を作り上げてしまったのだ。

 レヴィの声がもう誰にも届かないことは、分かっていた。きっと人々は、戦争によって絶滅してしまったか、かろうじて生き残っている人がいたとしても、レヴィのことなど忘れてしまったのだろう。

 どこかにレヴィの声を受け取る人がいる可能性はないとは言い切れない。けれどそれは、限りなくゼロに近い可能性なのだ。




 ガリガリという耳障りな音に、眠っていたレヴィの意識は浮上した。寝ぼけ眼で音の出所へと視線を向ければ、キャタピラが外れかけたシヴァが地面を削りながらこちらへと近づいてきていた。


「レヴィ、おはよう。昨日はよく眠れたか? 体操をして、朝ご飯を食べよう。……まあ、食事の用意はないけどな」

「キャリーが動かなくなってもう何日経ったと思ってるのさ。流石に自分で作るのにも慣れたよ。そんなことより、その足どうしたの?」

「ちょっと段差に引っ掛けてな」

「もー、気を付けてくれよ。パーツだって残り少ないんだし」


 ぶつぶつと文句を言いながら、レヴィはシヴァの体を抱き上げるとキャタピラを確かめた。一本ボルトが折れてしまっただけで、付けなおせば問題はないだろう。確かまだ、使えそうなボルトがキャリーの指先に残っていたはずだ。


(でも、段差に引っ掛けただけでボルトがこんな風に折れるかな?)


 そんな疑問を抱くが、それ以上深く考えることはなかった。


「次から気を付けるよ。それより、食後で構わないからラルドの様子を見てくれないか?」

「もしかして、とうとう?」

「分からない。でも、少なくとも俺が話しかけたときは反応しなかった」

「そっか」


 レヴィは小さくそう呟くと、その場で簡単な体操をして全身の筋肉を伸ばした。シヴァを小脇に抱え、植物管理室へと急ぐ。

 いくつものビニールハウスが並んだそこは、レヴィがまだ小さいときは全部のハウスに緑の葉が生い茂り、何体もの植物管理用ロボットが忙しく行き来していたのだが、今ではガランとしていた。手前にある数個のハウスにだけ申し訳程度の植物が生えているが、他のハウスは何年も前から使われていない。白く濁ったビニール越しに中はうかがい知れないが、土の入ったプランターが並んでいるだけだろう。


「レヴィ、朝食は良いのか?」

「食べるよ、もちろん。でも、食用葉を摘むついでにラルドの様子を見ようと思って」


 植物管理室の中央で固まるロボットに歩み寄る。もうだいぶ前から、彼は自分の仕事が出来なくなっていた。それでも昨日までは、残った一本の手でハサミをぎこちなく動かして空中を切っていたし、レヴィが声をかければこちらに顔を向けようと首を動かすそぶりを見せていた。


「ラルド、おはよう。調子はどう?」


 いつもと同じように声をかける。植物管理用ロボットに音声機能は搭載されていないためいつも返事自体はないのだが、彼が若いころはその場でクルリと回ってみたり、ハサミをチョキチョキと動かして見せたり、反応があった。

 暫く待ってみても、ラルドが動き出す気配はなかった。持っていたハサミは床に落ち、手は中途半端な形のまま固まっていた。レヴィの声が聞こえている気配はない。

 レヴィはシヴァを足元に置いてラルドの前に歩み寄ると、頭二つ分以上は高い彼の体に腕を回した。体温のない硬い体を抱きしめ、ポンポンと労わるように肩を叩く。


「お疲れさま、ラルド。もう仕事は終わりだよ。今までありがとう。ゆっくり眠ってね」


 最大限の感謝と愛を伝える。今までも、動かなくなったロボットたちに同じことをしてきた。もう伝わらないことは分かっているのだが、今しか伝えられない。彼がラルドとしての形を保っていられるのも、あと少しだ。

 動かなくなったロボットは速やかに分解し、パーツごとに分けること。幼いころからそう教え込まれていたレヴィは、感傷だけでロボットをそのままにしておくようなことはなかった。

 生き物が死んでもその体が他の生命の糧となり、地の養分となるのと同じように、ロボットも他のロボットの糧となるのだ。


「朝食を食べたらラルドのパーツを分けて、そのあとまた天体観測館に行くけど、シヴァはどうする?」


 少しだけ滲んだ涙を悟られないように、レヴィは努めて明るい声でそう言うとシヴァを小脇に抱えた。


「足を直してくれたら一緒に行くよ」


 抑揚のないシヴァの声を聞きながら、壊れたのが彼でなくて良かったと思った。

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