曇天は希望に割れる

佐倉有栖

前編

「申し訳ありません、入力されたパスワードが間違っています。もう一度番号をお確かめの上、ご入力ください」


 機械的な素っ気ない言葉にレヴィは小さく舌打ちをすると、目の前に浮かんでいるモニターに指を伸ばした。淡い緑色に発光するそこには三十個の文字が並んでおり、その下には十三個の数字があった。

 触れれば灰色だった文字が赤く輝き、急かすようにチカチカと瞬いた。


「“ミティ”、まだやるのか?」


 足元から抑揚のない電子音が聞こえてくる。感情などない平坦な音声にもかかわらず、うんざりしている様子が伝わってきた。


「一日に五回しかチャレンジできないんだから、やるしかないでしょ。あと、ミティって呼ばないでよ」

「はいはい。そもそもさ、何のあてもなく入力したってどうせまたエラーが出るだけだろ」

「あてがあれば探すんだけど、ないんだからどうしようもないじゃん。それとも、シヴァにはあるわけ?」


 レヴィは苛立たし気にそう言いながら、足元の丸いロボットを見下ろした。

 ツルリとした銀色のボディーには錆が浮いており、足回りのキャタピラは泥だらけ。時折ギリギリと不快な音を立てることからも、パーツが寿命を迎えようとしていることがわかる。それでも、音声周りだけはまだまだ元気らしく、彼の声は明瞭だった。

 シヴァはレヴィがこの星に残されたときから一緒にいるロボットだった。お手伝いロボットとは違い、レヴィの話し相手として作られた彼は五十センチほどしかなく、手のパーツはない。顔の部分には液晶がはめ込まれており、数か月前まではよく表情が変わる顔が映されていたのだが、今は右目と口の一部しか表示されていない。

 その口も数日前から動かなくなっており、目も半開きの状態のまま固まっている。今までは一時間に一回程度は思い出したかのように動いていたのだが、もうこのまま動かないかもしれない。


「ないけど、だからって無策でチャレンジしても突破できるものじゃないだろ? 大体、何文字なのかもわからないんだし」


 眠そうな目のままシヴァがたしなめるように言うが、レヴィは無視して入力を続けた。

 液晶の横幅的にニ十文字以内だとは思うのだが、きっちり二十文字あるのかそれとも数文字しかないのかは分からない。流石に一文字ということはないだろうが、それでもごくわずかながらも可能性は残されている。


「申し訳ありません、入力されたパスワードが間違っています」


 先ほどと一言一句変わらない抑揚のない声が響く。人とのコミュニケーションを目的としていない音声であるにも関わらず、シヴァよりも滑らかで生きた人間に近い発声に余計に腹が立つ。

 その苛立ちをぶつけるように、出鱈目に文字をタッチしてエンターキーを押した。


「レヴィ……」

「申し訳ありません。お客様の入力したコードは正確ではありません。お手数ですが、お近くの施設管理者までお問い合わせを……」


 シヴァが何かを言いかけたが、声に遮られてしまった。

 もう機能していない施設管理者情報を復唱し続けるモニターに盛大なため息をつくと、レヴィは踵を返した。

 数か月前までは綺麗だった道は、今では雑草が生い茂っていた。レヴィも毎日通りかかるたびに抜いてはいるのだが、人間がいなくなったこの星での雑草の繁殖力はすさまじかった。あと一か月もすれば、完全にこの道も覆われてしまうだろう。


(まあ、僕の命がどのくらいもつかは分からないけどね)


 レヴィは心の中でそう呟くと、オレンジ色に染まり始めた空を見上げた。あと数分もすれば厚い雲に覆われ、大粒の雨が落ちてくるだろう。

 偽物の空は、毎日同じ時間に同じ量の雨を降らせるのだ。




 五十年ほど前から、この星は人間が住めない場所へと変化していた。

 真冬は海が凍り付くほど寒く、真夏は鉄が溶けるほどの温度になっていた。地上での生活を諦めた人類は地下へと潜ったのだが、そこでの暮らしも上手くいかなかった。

 人々はこの星で生きることを諦め、広い宇宙へと飛び出して行った。広大な宇宙の中で自分たちが住める星を探し出し、少しずつ引っ越しを進めていた。


 レヴィは、“最後の子供”のうちの一人だった。人々がこの星から去ると決めた年に生まれた子供たちは、特別な存在として慈しまれていた。中でもレヴィは一番後に生まれた子供で、誕生日の一か月後には両親とともにこの星を離れる予定だった。

 しかし、レヴィを含めた数名の子供は、星を離れることができなかった。

 レヴィよりも数か月前に生まれ宇宙船に乗り込んだ子供が、移住先の星に着く前に宇宙アレルギーを発症して死亡したのだ。即座に残された子供たちにアレルギー検査が行われ、レヴィたち十名ほどが重度の宇宙アレルギーを発症する可能性があるとして星に残されることになった。

 大人たちは大急ぎでお世話用のロボットを数体作ると、半年後には迎えに来ると約束して星を離れて行った。この星には、大人が数か月間生きていける程度の食べ物すらなくなっていたのだ。

 宇宙アレルギーは通常、生後半年もすれば発症しなくなると言われていた。事実、レヴィ以外の子供たちは生後四か月もすればアレルギー検査に引っかからなくなっていた。

 約束通り半年後に迎えに来た宇宙船は、複数のロボットを星に置いて行く代わりに子供たちを乗せると飛び立った。

 ただ一人、星から離れられないレヴィだけを残して。

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