第6話すれ違う心 届かぬ想い

『もしもし、美月ちゃん?』

 美月の会社の先輩、速水だった。

 相手の声が微かに穂高の耳まで届いた。

 美月を『ちゃん』づけ呼ばわりする『いけ好かない男』だと、穂高は思った。

「お疲れさまです・・・・・・何か、仕事の不備でもございましたか?」

 盆休みだというのに、会社からの突然の電話に、緊張感が張りつめた。

『否、そうじゃない。お休みのところ悪いね。美月ちゃんいつも頑張っているから、夕食でも奢るよ。今夜どうかなって、思ってね・・・・・・』

 職場の先輩とはいえ、プライベートの誘いに困惑する美月。

 下心丸出しのその男に、不安と憤りを覚えた穂高は美月を見つめた。

 ――誰だ?この馴れ馴れしい男は?美月は俺のものだ

 電話の相手に意識を持っていかれた美月を、じっと見つめる穂高は、突如、彼女を抱きしめた。

 穂高の唐突な行動に狼狽える美月。

「あ、あの・・・・・・今、他県にいるので、お会いすることはできないのですが・・・・・・」

 ――ん?君はここに来ていなかったら、その男と会うというのか?君を他の男になんか渡すものか!

 美月の曖昧な返事に対し、独占欲に火が付いた穂高は、突飛な行動にでる。

 突如、穂高は美月を押し倒し、彼女の両手を掴んで組み敷くと、やや強引に唇を奪った。

『あっ、そうか、そうだね。休み中に悪かった』

「んっ、ん・・・・・・!」

抗う美月だが力強い穂高には敵わない。

口づけの水音が耳に届く。

『もしもし?』

 美月は穂高に抗い続け、身を捩りながら解放を求めた。

 それでも穂高は美月の唇を奪ったまま、両手の拘束を解いてはくれない。

 穂高の激しい口づけに、絆されていく美月。

「・・・・・・」

 ようやく、穂高が美月を開放したため、慌てて携帯電話を手にする美月。

『もしもし?美月ちゃん?どうしたの?』

「・・・・・・あっ!な、何でもないです!

 すみません、ちょっと驚いて携帯を落としてしまいました・・・・・・」

『ハハハ・・・・・・美月ちゃんらしいね。今回は残念だけど、懲りずにまた誘うよ。また、会おう・・・・・・』

 明らかに美月に気があるその男。

 ――この男、美月に俺という存在がいるってわかっての誘いなのか?

「はい。では、また会社で・・・・・・」

 通話が切れたのを確認すると、脱力する美月。

 穂高の顔を見て睨んだ美月は「なんであんなことするの?」と彼を責め立てた。

「・・・・・・君が悪い」

「どうして私が悪いの。仕事の電話だよ」

「ふ~ん。仕事ね。休暇の夜に彼氏のいる女を夕食に誘う男なんて下心しかないだろう?」

「穂高、聞いていたの?」

「嫌でも聞こえるよ。それに何故、僕と会っていることを話さなかった?」

「それは、職場の人にプライベートなことまで話さない方がいいかと思って」

「だからだよ・・・・・・」

「それに、今日君はここに居なかったら、その男と会っていたんだろ?」

「どうして決めつけるの?だったらどうだっていうの。仕事で仕方がないことだってあるでしょ」

「また仕事・・・・・・じゃあ、聞くけど。美月はその男と二人で会って、夕食のその後は?それで済むとでも思っているのか?」

 今日の穂高はやけに冷たかった。いつもの穂高ではなかった。

「速水先輩は、そんな人じゃない・・・・・・」

「へ~、随分とその男の事を信頼しているみたいだね。じゃあ、その男のところへ今すぐにでも会いに行けば?」

 らしくない・・・・・・。こんな穂高を見たのは初めてだった。

「穂高?どうしちゃったの?いつもの穂高じゃないよ。久しぶりに会ったんだから、もう喧嘩はやめよう」

 久しぶりに会ったというのに、重たい空気に包まれた。

 二人は初めて喧嘩をした。



 ややあって、今度は穂高の携帯電話が鳴った。

 端末に目を落した穂高は、血相を変えて言った。

「美月、悪いが今夜は戻れないかもしれない。適当に休んでいてくれ」

 それだけ言うと車でどこかに出かけてしまった。


 その後、ニュースを見て知った。

 穂高連峰で下山中の二人パーティーが相次いで滑落し、安否不明。山岳遭難救助隊が行方不明者の捜索、救助活動にあたっていると。

 ――穂高・・・・・・ああ、神様、山の神様・・・・・・穂高を、遭難者をお守り下さい・・・・・・

 美月は山に向かって穂高の無事を祈ることしかできなかった。



 主のいない部屋で一人、穂高の無事を祈りながら待つ美月。

 もともと几帳面な穂高は、部屋の中も綺麗に整理整頓されていた。

 ふと、目に入った収納ボックスに穂高宛ての無数の手紙が詰め込まれていた。

 どうやら穂高宛てのファンレターのようだ。

 大学時代から女の子にモテモテだった穂高。

 むしろ彼らしいと、想定内のこととして受け止めた美月は思わず笑みが零れた。

 その中に一通だけ読みかけの手紙が無雑作に入れられていた。

 何故か切手のない送り主不明のその手紙が気になり、その手紙に目を通した。


 それは、穂高への想いが綴られた女性からの手紙のようだった。

 そのまま読み進めてもいいものかと逡巡したが、内容が気になってしまった美月は、ついにパンドラの箱を開けてしまった。

 内容から推測できたのは、穂高は手紙の女性に彼女がいることを伝えていたようだ。それを知ってのこの手紙らしい。

 えっ?どういうこと?

 更に読み進めると、意外な事実を知る。

 手紙の女性と穂高の出会いは、登山中の女性が足を怪我して穂高に救助されたのがきっかけだったらしい。それから穂高に背おられて無事下山。その出会いがきっかけとなり、女性は穂高に恋してしまったらしい。

「うーん。わかる気がする!」

 美月は、何故かうん、うんと頷きながら読み進め、手紙の女性に親近感すら覚えた。

穂高のことを片恋慕だった頃の自分が懐かしく感じたからだ。

だが、その後の手紙にはこう綴られていた。

『彼女がいてもいいから、私と付き合って欲しい。遠くにいる彼女より、いつも傍に居る私ならば、あなたを幸せにしてあげる自信がある。あなたは必ず、彼女より私を選ぶことになるでしょう』と。

 女性の強気なその手紙は、美月には宣戦布告のようにも感じられた。

 まるで二人の未来を見据えたかのような内容の手紙に、言いようのない強い不安を覚えた。

 特に気になる文面に目がとまる。『いつも傍に居る私』この女性はただの登山者ではない。

 切手のない送り主不明の手紙・・・・・・。

 美月は胸のざわつきを覚えた。

 手紙が詰め込まれた収納ボックスの中が気になりはじめた美月。いけない事だと思いながらも、同じ送り主の手紙を探し始めた。

 すると、やはり切手のない送り主不明の手紙が二通見つかった。

 穂高は手紙に目を通したらしい。既に開封済みだった。

 手にした手紙を恐る恐る読み進めるたびに、心臓の鼓動がスピードを増して行く。

 美月は、その内容に衝撃を受け言葉を失った。


『私は、あなたと過ごしたあの夜のことをいつまでも忘れることができない。あなたの温もりを、その優しさを忘れることなんてできない。あなたにとっては一夜の出来事かもしれないけれど、私には永遠に感じられたから。あの日から、私の心にはあなたしかいないの』


 そう綴られた女性の手紙。

 ――穂高?どうしてこんなことになってしまったの・・・・・・?ねぇ、どうして・・・・・・

 気づけば涙が後から後から零れ落ちていった。


『二人で幸せにならないか』

 星降る夜に穂高は私にそう言った。

 美月は、あの日の穂高を思い出しかぶりを振った。

 ――違う。私ではない・・・・・・穂高を幸せにしてあげられるのは私ではなかった・・・・・・

 思い知らされた瞬間だった。

 美月はその日のうちに穂高のアパートを後にした。



 遭難者は無事救助され、安堵の表情を浮かべる穂高。

 美月にもう何通目かもわからないメールを送信するが、既読すらつかない。

 穂高の心に濃い不安が影を落とす。穂高は、美月の待つアパートへ急いだ。

「ただいま、美月!一人にしてごめん!」

 そこには美月の姿はなかった。

 穂高は掌に乗るほどの小さな包みをじっと見つめると、ぎゅっと握りしめた。

「・・・・・・ごめん、美月・・・・・・僕が悪かった・・・・・・」


 すれ違ってしまった二人の心。

 想いを伝えられないまま、二人は離ればなれとなった。


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