第5話それぞれの道
この春大学を卒業し新社会人となった二人は、それぞれの職場で新たな生活を始めていた。
美月は企業のOLに、穂高は彼のその名のもとに山岳遭難救助隊となって今日も過酷な訓練を行っていた。
今年も間もなく夏の登山シーズンが到来する。
夏山登山は、一年で最も登山に適した時期であるが、初心者や冬山登山に比べ軽装で準備不足な登山者が多く、遭難すると死に直結するような危険性が高まる。
雨にうたれて身体が濡れた状態で遭難すると、昼夜の寒暖差により急激に体温が奪われ低体温症に陥り、最悪心肺停止状態で発見されることもある。
夏登山は、冬登山とはまた違った遭難のリスクが潜み、残念ながら毎年少なからず犠牲者が出てしまうのだ。
そんな不幸な登山者をなくすために、今日も山の安全を見守る、穂高の所属する山岳遭難救助隊。
その時一報が入った。
耳を澄ませた隊員たちに緊張感が張り詰める。
「救助要請。単独登山中の男性一人、滑落した模様」
目撃情報によると、要救助者は一人、カメラで撮影中滑落したとみられる。
穂高の所属する山岳遭難救助隊は、救助のため直ちに現地に向かった。
滑落したと思われるポイントに到着すると、滑り落ちた痕跡と要救助者が身に着けていたであろうキャップとタオルが途中の崖に引っ掛かっているのが見えた。
開けたその場所は、連なる近隣の山々を望める撮影にはもってこいの絶景のポイントだった。
だがそこは、岩肌が向き出た足場の悪い場所で、おそらく撮影に気をとられた登山者が足を滑らせ滑落したと推測された。
――間違いない
隊の誰しもがそう確信した。隊長の命令の元、直ちに救助活動を開始した。
いつになく落ち着きのない穂高。先程から時計ばかりを気にしている。
「何だ?穂高、ソワソワして」
「え?否、決してそんなことはないです」
穂高は一分一秒でも早く帰りたかった。
「お先に失礼します!」
穂高にしては珍しい。今日の彼は誰よりも早く職場を退出した。
お盆休みに入った美月が、今日穂高に会いにやってくる。
駅の改札口で美月の到着をまだかまだかと首を長くして待つ穂高。
彼女の姿を捉えると、穂高の心臓は高鳴った。
肩までだった髪は背中まで伸び、澄んだ白い肌を惜しげもなく覗かせる淡い水色のノースリーブワンピース。
暫く会わないうちに、美月は艶っぽい大人の女性の雰囲気を醸し出していた。
「美月!久しぶり!」
穂高に気づいた美月は喜色満面の笑みを浮かべ、大きく手を振って応えた。
「穂高!元気だった?何か前よりたくましくなった気がする!」
日々過酷な訓練で鍛えられた穂高の身体は、ひとまわり大きく見えた。
社会人になってから久しぶりに逢う二人。
数カ月の間にそれまでの印象と変わっていた。
あまりにも見つめ合うものだから、こそばゆくなり互いに頬を朱に染めた。
穂高は美月のキャリーバックを受け取り、車で穂高のアパートへ向かった。
穂高の暮らす家は、三階の角部屋1LⅮK。
田舎のため周囲に高い建物がほとんど見当たらないこのアパートは日当り、風通しともに良好。
窓から美しい穂高連峰を望めた。
キッチンに立つ美月。
一纏めに束ねられた長い髪。白く綺麗な首筋から項に目が奪われる。細いウエストにキュッと結ばれたエプロンが美しい身体のラインを強調していた。
「何か手伝おうか?」
「大丈夫。それより穂高はお風呂にでも入ったら?」
手慣れた包丁さばきで、手際よく夕食の下ごしらえをする美月。
そんな無防備で隙だらけな美月を、穂高は後ろから抱きしめた。
不意を突かれた美月は、思わず肩をすくませた。
「危ないじゃない」
狼狽する美月に悪戯心を抱いた穂高は微笑んだ。
「美月・・・・・・一緒に入らなくていいの?」
美月の耳元で甘く囁く穂高。
耳が敏感な美月は身体をピクリと震わせ、わかり易いくらい頬を真っ赤に紅潮させた。
「もう、穂高ってば・・・・・・」
そんな美月が愛おしく感じる穂高だった。
鼻腔をくすぐるスパイスの香り。
「お腹ペコペコだよ。美月のカレー早く食べたい!」
まるで子供みたいな穂高を見て美月は「ふふふ」と微笑んだ。
二人は会えなかった時間を埋めるように、社会人になってからこれまでの状況を話した。
いわゆる花形と呼ばれる企画商品開発部に配属された美月。
会社の戦略、コストなど様々な視点に立ってアイデアを持ち出しゼロから生み出すことは決して楽ではないけれど、得られるやりがいは何にも替えがたい部署でもあった。
時には行き詰まり挫けてしまうこともあるけれど、前を向いて頑張る美月。
穂高はそんな美月の話に耳を傾け、一喜一憂しながら聞き入った。
その時美月の携帯電話が鳴った。
携帯端末に目を落した美月は、表情を変えた。
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