8.つかの間の――

36.ちょっとご提案がございまして



「――っだあああ! こんなもん、もうどうしようもないだろうがああああ!」


 ばーん! と力いっぱいおととおるに投げつけたのは、地元のゆるキャラ「もっちんげ(LLサイズ)」のぬいぐるみだ。


 座椅子の上で危なげなくそれを顔の前で受け止めた澄は、ついでにそのかるく柔いボディを「ふむ」と持ち上げて「ですってよ」と話しかけた。


 「もっちんげ」のモデルになったのは地元地域に伝わる怪異の一種だ。山中にて霧やら雲状のものに行き会うと、触れた部分の肉体を奪われるという、なかなか壮絶な怪異なのだが、音に関わるらしく、ぬいぐるみじたいは白いもこふわの塊で、なぜかヘッドホンをつけている。表情はシュールで関連グッズも売れ行き好調らしいのだが、つまりは軽くてふわふわなぬいぐるみを投げつけられても、澄には痛くもかゆくもないという話である。


 澄は、受け止めた「もっちんげ」を隣に座っていたもう一人の妹の膝の上に「ん」とおく。音希のひとつ上の姉である菊音きくねは、ふわふわと嬉しそうに「もっちんげ」を抱き寄せた。「ヒトをとろかすクッション」にうずもれるようにして床の上で三角ずわりしている彼女自体が、ある意味ぬいぐるみのようだ。


 色素の薄い、セミロングの髪に、平均身長より低い小柄な体型。今は眼鏡をかけているが、大学に入ってからは外出する時にはコンタクトを使うようになった。


 宮川みやがわ三兄妹がそろい踏みしているのは、音希の自室である。室内の壁には所せましとミュージシャンや映画のポスター、レコードなどが飾られており、一見して女子の部屋とは見えにくい。スタンドに立てられているサックスは三台。うち二台は父親の所有だが、音希は断りもせず勝手にライブに持ち出す。無論、父親自身も暗黙の了解で許していることである。


 音希はデスクに向かってPCの閲覧を続けている。無論、ラストライブ前日に情報が出回ってしまった、Psy死亡に関するSNSでの拡散状況を確認しているのだ。


「いま、反応としては、どんな感じなの? 音」


 菊音の問いに、音希は顔全体を歪ませながらエンターキーを苛立いらだたし気に連打した。


「まず、実は不仲が原因だった解散説」

「あー、ありそうね……」

「Psyの死亡デマ説」

「まあ実際デマだったわけだけどな」


 言いながら澄が菊音の髪を耳にかける。それに向かって菊音は膝を抱えて微笑み返す。音希はデスクサイドに置いていたあたりめを口に加えて噛み締める。


「それから、Psy死亡が事実か、Psyがもうステージには立たないという前提の上での詐欺説」

「え? なんで詐欺?」


 音希がうなりながら画面をにらむ。


「《WESTウェストGOゴー》の客層の規模から考えたら、ラストライブの会場があのハコっていうのはアリエナイわけよ」

「ていうと?」


 小首を傾げる菊音に、澄が「小さすぎるってこと」と、その口元にクッキーを運んだ。それをチラ見した音希が「げっ」と眉をしかめてから、再びモニターに向かいマウスでスクロールしてゆく。


「会場を抑えた時期から考えると、もうだいぶ前からPsyナシのライブになるのは運営もメンバーも分かってたってことになるんだよね。それを発表もなしにチケット販売した上で前日タレコミで情報が拡散したっていうのは、最初からオーディエンスをだますつもりだったんじゃないかっていうね」

「――それは、わりと鋭い考察なのかしら?」


 顎に指先をあてて、クッキーを飲みこみながら小首をかしげた菊音に、「そゆことっ」と音希はエンターキーを「たーんっ!」と軽快に叩いて見せた。


「ついでに、ライブ当選もSNSで公表絶対禁止ってなってたから、実際は誰も当選してなかったんじゃないかとかいうおっそろしい推測も出てるし、何よりテレビ放映と、別の野外大会場でスクリーン同時上映はやるっていうのが、最初から録画素材でお茶にごす予定だったんじゃないかとかさ――」

「それ多分、正解だった、ってことよね? 音が見つかってなかったら」

「ああ。あたしもそう思う」


 苦虫を噛みつぶしたような顔で答える音希を前に「うーん」と菊音はうつむいた。ずる、とわずかに眼鏡がズレる。それを横から澄がすかさず直す。「ありがと、とおるにい」とにこりと笑う菊音に、澄も微笑み返しながら今度はタンブラー入りの炭酸を差し出した。


 完全に距離感を間違えている兄と姉の姿に、げっそりしながら音希は椅子の上で胡坐をかいた。ついでに背中を丸めて机の上にあごをあずける。


「ほんと……いちゃつくならよそでやってくんないかな……」


 澄が菊音に向けて小首をかしげる。


「らしいぞ? 菊。どうする? 部屋うつるか?」

「いやー、いまは一応、おとの話を聞いてあげたいから、まだここにいようかな?」


 澄はにっこり笑いながら菊音の頬をなでた。


「そうか。菊はやっぱりやさしいな」

「――マジで出てってくれていいよ二人とも……」


 音希の半ば本気での物言いに、しかし菊音が「ねえ音」と話しかける。


「その、マネージャーさん? からは、地下のライブハウスは閉鎖しちゃったからって、昨日のうちに連絡、あったのよね?」


 小首をかしげて瞬きをする菊音に、「ああ」と不機嫌を滲ませた声で音希は答える。


「危なすぎるからって、そらそうだろうけどさぁ‥…」

「うーん、音はさぁ、そもそも代理がやりたかったわけ?」


 菊音の問いに、はた、と音希はまばたいた。


「え、っと……それは、」

「あたしね、音が誰かの身代わりとか、なんかヘンだなって思ってたの。だって、音は、音じゃない? 音の考えと、心と、表現があるわけでしょ?」

「う、うん……」

「なんで、そんな馬鹿みたいなこと、甘んじて受け入れてるの?」


 まっすぐな視線で問う姉の言葉に、音希は言葉を失った。


「音は、音自身の表現のために音楽をやっているわけでしょう? 第一、そのPsyさんだって、自分のフリをした他人に、それまで自分が築き上げてきた人生を横取りされるようなこと、されたくないと思わない?」

「あっ……」


 ふわふわとした姉の言葉の中に、一歩、まっすぐな声を聞く。



「表現者でしょう? あなたたち。譲るなら、自分自身の道じゃなくて、残してきた作品にするんじゃないの?」



 音希の胸のなかで、何かがぎゅっと掴まれた。


「うん……そうだ、そうだよね」


 菊音が眼鏡の奥で目を細めて笑う。


「受け継がれるものは、その時点で未来に手渡すために、手放すものなの。自分を続けてほしいっていうのは、エゴだからね。そういうのは、あたしはよくないと思うわ」

「やっぱり、菊音は賢いな」


 目を細めて微笑みながら、澄は菊音の頭をなでた。音希は菊音の方へ身体を向け直す。姉の目は、今日もやわらかく、まっすぐだった。


「だからね、音」

「うん」

「音は、音の信念で、行動を決めていいのよ」

「――ありがとう」


 じわりと目頭が熱くなった。

 そのつぎの瞬間、ぷるるるる、と、地味で小さな音が室内に響いた。澄がポケットから自分のスマホを引き抜き画面を見た。


「三井さんだ」


 スワイプして「もしもし」と応答する。


『あ、宮川さん、おはようございます』

「おはようございます。そちら、どうなってますか?」

『ダメです。本社事務所周りも人だかりで戻ってくるなと言われています』

「ああ、それは……」

『スクリーンを用意していた野外会場も、周辺に警備を増やして対応していますが、さっきも小競り合いで負傷者が出たとか……「ジョン」はもうファンに完全にマークされてしまって、楽器の運び出しもできません』


 菊音がもれ聞こえた声に「ジョン?」と小首を傾げると、澄が小声で「ライブハウスの名前」と答えた。それから視線を宙に投げて通話に集中する。


「ああ……それは困りましたね。スタッフの方達は? まだ中に残ってらっしゃいましたよね?」

『はい。――本当にもう、どうしたものか……』


 通話先で頭を抱えているのが気配で分かる。音希も眉間に皺を寄せて前髪を両手でかき揚げた、その矢先だった。


とおるにい、ちょっと」


 突然、菊音が澄のスマホに手を伸ばした。


「え」


 さすがの澄も面食らうが、菊音はにこにこと、澄の手にやさしく触れてから、さらりとスマホを抜き取ってスピーカーをオンにした。


「もしもーし。おはようございまーす」

『――え? はい?』

「はじめましてー。あたし、おとの姉で、宮川みやがわ 菊音きくねと申しますー」

「ちょ、きくねえ……?」


 呆気にとられる音希と澄を目の前に、菊音はスマホの画面を天井に向けたまま、通話口をやや自分の唇によせて、「ふふ」と笑った。


「大変なところだとは存じ上げますが、ちょっとご提案がございましてー」

『は、はあ……』


 小首を傾げながら、にっこりと眼鏡の奥で細められた目に、澄が「あ」と声をもらした。



「あのですね、今から、うちの音希に、オーディエンス向けで、動画配信させません? 《WEST‐GO》のボーカル枠の後継者としてラストライブに出るから、あなたたちがその席に相応しいかジャッジしろって」



 直後、音希の口から二度目の「うっそやろおおおお⁉」がほとばしったのは、言うまでもない。




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