24.これね、
†
私のプライベートとは関係なく、《
その日、私と
「本番当日って、ステージにはカメラは上げないんだよな?」
澄さんの質問に、音希がドリンクをストローからすすりながら、うなずいて見せる。
「そーゆー条件じゃないと、ヘタしたらあたしがニセモンだってバレるわ」
「カメラ、三台だけ?」
澄さんが、キョトキョトと辺りを見回す。私もその視線を一緒に追う。確かに、見えている範囲では、三台だけみたい。
ちゅぽんっ、と、音希の唇からストローがはじき出された。パールオレンジのティントがよく似合ってる。顔は不機嫌そのものだけど。
「うん。――まあ、そもそも当日ライブ形式でやるワケだから、どこまでガード効かせてくれんだかわかったもんじゃないけどさ」
「それでも、観客人数を最小限にしぼるために、このライブハウスでの決行ってことになったんだろ?」
そう。今私達がいるのは、駅前のライブハウスだ。つまり、偶然にも、私達と《WEST‐GO》のメンバーが初めて出会った場所ということになる。
「うん。ゴールド会員限定からの更に抽選だって」
「あの規模のバンドのラストライブで、それ、客は収まったのか?」
「収まる訳ないじゃん。だから、動画配信の同時上映会を別の大会場でもやるってさ」
「ああ、なるほど」
「こっちでは、当日の身分証明もガッチガチにやるって
澄さんが自分の頬に片手をあてて「あらあら」とわざとらしく目を丸くして見せる。
「なんてことかしら。有名なバンドマンさんお相手に呼び捨て? 一体何時の間にそんな関係に?」
「おい」
「かわいい妹の素行がそんな
「そういうんじゃねぇわ! あんな意味わからん有名人、逆にさんづけで呼ぶ方が気持ち悪いわ! 考えて見ろよ。兄貴だってヨー・ヨー・マさんとかベートーベンさんとかカラヤンさんとか言わねぇだろ」
「ああ、……まあ、言わないな」
兄妹のやり取りをよそに、私は小さく溜息をつきながら全体を見渡した。
今になって思えば、あの日彼らとここで鉢合わせたのは、偶然でもなんでもなく、そもそも、ここがラストライブの会場に選ばれていたからだったのかも知れない。
なぜここを選んだのか。それは知らない。でも結果的に、彼らにも、今の自分達にとっても、ここが一番相応しいような気はしていた。
《WEST‐GO》の音楽の最大の魅力って、多分没入感なんだろうな。正しいだけでも負だけでもない、人間の本音を包み隠さずさらけ出すことで、そのテリトリ内に取り込むという貪欲さ。そういう、心と意識を集中させてゆく表現は、閉鎖空間で行われた方が、より効果的に決まっている。それこそ、この地下みたいな。
ハウスの表に飾られている、ジョン・レノンの写真を思い出した。
不安定な混沌を抱えた、イギリス出身のミュージシャン、ジョン・レノン。麻薬とセックスに塗れた反面と、平和と慈愛を
「――ヤヌスみたい」
「え? 何かいった?」
いかん、口から出てたか。声をかけてきたのは澄さんだった。私は首を横にふって誤魔化す。
ヤヌスというのは、表裏に顔を持つ神の名だ。1月のJANUARYは、このJANUSから取られたものなのだと中学時代に英語の授業で聞いた。ヤヌスが持つ表裏の顔は、本来新年と旧年、双方を向いているという意味なのだけれど、私には、そのヤヌスの姿が境界線上でどちらにも行けず、どちらにも所属できず、ただ途方にくれて立ち尽くすものに思えた。
ぼんやりと、肩から吊り下げたボディの弦に触れる。
私は今日、一本の「相棒」を片手に、この現場に乗り込んだ。いままではPsyの楽器を借りて弾いていたのだけれど、本番は「こいつ」で弾きたかったのだ。
――今回の機会を逃したら、もう二度と、こいつで弾こうという気になれるチャンスは訪れないだろうから。
何か言われるだろうという、覚悟はして持ってきた。ダメならダメで仕方ないけど、頼むだけ頼んでみようと思ったんだ。
だけど、ね?
リハの予定時刻はとうの昔に過ぎているのに《WEST‐GO》のメンバーが、一人も姿を見せていないって、これ、どういうこと?
指定された時刻のきっちり30分前には、私たち三人、楽屋入りしてるんだよね。そんで、大まか勘定二時間ばかり待ちぼうけを食わされているわけよ。取り出したスマホで確認した時刻は、7時10分前。
椅子の上で行儀悪くも膝を抱えて座る音希は、当然
ステージの上では、三井マネージャーがスタッフと一緒に、てんてこ舞いになっている。実際、ここのマネージャーをやることは随分と骨折りだろう。
器材の隙間を、時おり、苛立ちにまみれた声が通り抜けてゆく。もちろん、明日の主役達の不在という大問題のせいだ。それでも同時に「明日への予感」とも呼ぶべきものがひしめいている。なんとかなる、なんとかしてきた、そういうことだろうか。よくわからないけれど。
「なんか、狂乱の宴って感じだな」
ぼそりとつぶやきながら、音希が立ち上がりつつ、ぽん。と私の手の中にドリンクを置いた。
それは、あの日以来の、音希から私に向けられたコミュニケーションだった。
「狂乱、たしかに」
受け取った、という意味で言葉をかえすと、「あーあ」とわざとらしい声で音希は肩をすくめた。
「肝心の連中がいなくっても、こんだけ動くんだもんな。すごいよ。色んな意味で。あたしらみたいなアマチュアとは、やっぱ全然違うのな、商業っていうか、組織化されたイベントってさ」
「そうだね」
音希の視線は、出入口側に向いている。つまり、私からは視線を外しているということ。
「ねえミョウ」
「ん?」
「それ、
「持参?」
「そう」
「あんたがエレキ持ってるなんて知らなかった。それも、結構値がはるものじゃないの? それ」
音希は本当によく知っている。私は、苦笑しつつ、肩から吊り下げた「相棒」の冷たい身体に優しく触れた。見れば、澄さんは目を閉じて舟をこいでいる。
これなら、聞かれなくて済みそうだ。
だから、すぐ隣に立つ音希にだけ聞こえる声で、目はステージを見すえたままで、なるべく普通に言おうと努めた。
「――半年ぶりだったんだ。コイツに触るの」
音希は、視線をこちらへ向けない。そのまま、「ふっ」と笑った。
「弦バスに本腰入れてたってこと?」
そう普通に言ってくれた。この間のことなんて、もう何でもないと言わんばかりに。だから、私も続けて普通に言った。
「これね、親父のなんだ。半年前、音希に出会う直前に死んだんだけど」
音希が息を呑むのが聞こえた気がした。無理もない。彼女には一言も話してなかったし。
「いつか、私にくれって親父に言い続けてたんだよね、これ。でも本当に形見になっちゃったら、指一本触れなくなっちゃってさ」
つと、フレットに指を這わせた。太い弦の、慣れた感触が暖かく伝わる。
「黙っててゴメンね。でも私ずっと考えてたんだ。なんで自分はバスを弾くのか。バスで一体何を弾くのかって。それがやっとわかった。私はね、私の声が届いて、この目が届くくらいの距離にいる人に「音楽」を届けられれば、それでいいの。――そりゃまあ、音希ほど声でかくはないから、ホントにせまい範囲の人に限られちゃうけどさ」
軽く笑ってみせた。音希は笑わなかったけど、自分が笑えたから、いいや。そう思うことにした。
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