19.同じだ。




          †


 部屋まで来て、あらかじめ渡されていたカードキーを差し込んで中に入ったら、内臓に響くようなとどろきがもれ聞こえてきた。片岡さんのドラムだった。


 例の防音扉の向こう側で、身体を揺らしている男の人がいる。全身で、魂をしぼり取るかのように、全てをドラムに叩きつけている人がいる。


 防音扉が、ちょこっとだけ開いてた。だから音がもれてたんだ。


 と、私に気付いて片岡さんが、ひょいと顔をあげた。

 それで、ちょっと笑って見せた。


「あれ? 妙ちゃんか?」


 目を丸くした片岡さんに「はい」と言うと、彼は笑いかけながら私にうなずいてみせた。


「入っといでや」


 ちょいちょいとスティックで手招きするのに、素直に従った。


「さっきまでとおるさん来てはってんで」

「そうなんですか?」

「丁度入れ違いなってもたな。下で会わへんかったか?」

「ええ」

「そうかー。ほんまに綺麗に入れ違いなってもてんな。――しかし、おもろい人やなー澄さんて」


 何かを思い出したのか、くすくす笑い始めた片岡さんに怪訝な表情を向けると、彼は「ああ、ごめんな」と謝罪ついでに事情を説明してくれた。


「あの、ほれ。初めて会うた日にさ、あの人結構キツイ強烈なこと言うとったやん。あの「言葉でやり込めようとするのは、最も醜い女の遣り口だぞ」――言うの」

「ああ、そういえばそんなこと言ってましたね」

「あれ、もしおとが男やったら、澄さんなんて言う気やったかなおもて、聞いてみてん。ほしたらあの人なんて言うたと思う? 「弟だったら多分先に手が出てると思うから、鉄拳制裁で終わりです」やて」

「うええ……」

「澄さんいわくやけどな、音希は自分が「高校生」で「女」や言うのがアイデンティティーの一部で、本人がそれを強烈に自覚しとるんやて。せやから、ワザとああいう言い方をしたらしい」

「器用な人ですよね。澄さんて」

「やろ? あん時、音希とタタラ、えらい険悪になっとったやろ。ああいう場合な、黙らせるためには相手が自身をどう理解しているか把握しといて、そこを的確に突いたら大概たいがい黙るもんなんやて。最近は逆切れするヤツも多いらしいけどな。それに、この間のは喧嘩両成敗みたいなもんやったから」

「そうですね」

「俺やったらああはいかん。すごい人やな。まだ若いのに」

「ねぇ片岡さん。私、質問したいことがあったんですけど――今、聞いていいですか?」

「何や?」

「私、この間ここでインタビュー番組の録画見せてもらったんですけど。Psyが受けてたやつ」

「ああ」

「あれで、Psyがベースも弾いてるのは、いいメンバーがまだ見つかってないからだって言ってたんですけど、多分、本当はちょっと違いますよね?」


 片岡さんは苦笑いを浮かべた。


「ほんま、最近の高校生は鋭いな」

「Psyは、ほんとうは、何故ベースを選んだんですか?」

「ベースってさ、最低の楽器やろ」

「最低……」

「あっ! ちゃうで!? 最低重音楽器やゆう意味やからな!」


 片岡さんの説明によると、Psyは自分の生み出す音楽世界の一番そこの部分は、自分自身で支えたかったんだそうだ。


 なるほど、と思った。


 これはクラシックの話になるんだけど、弦四楽器中、他の三楽器(ヴァイオリン。ヴィオラ。ヴィオロンチェロ)のヴィオール属と違い、コントラバスだけがヴィオローネ属という楽器の進化形態で、いわばご先祖様が違う(時々、ヴィオラもヴィオローネ属なのだという説も聞くんだけど、真偽のほどは私はしらない)。そして、いまだに改良を繰り返され、調弦方法ですら時に異なるものだから、何というか、落ち着くことがない、不安定な楽器なのね。


 で、Psyは、コントラバスのそういう「同人種だけど外国人」みたいな、孤独な未完成さを愛していたのだそうだ。


 では、そんな不安定なもので自身の作り出す音楽世界の基底部分を支えたいというのはPsyという人の精神が不安定なのかというと、これがそういうことでもない。

 これは、前向きな言葉に言い換えれば、「現代においてですら成長する楽器だ」ということになるからだ。


 Psyは、そのことを熟知していた。そして、この二面性こそが、彼女にベースを選ばせた理由だったのだという。


 そうか、そういう意味では、本当に感覚的に近い人だったのかも知れない。


「もしかしてエレキじゃなくて、コンバスを弾くのがメインだったの? Psyも」

「ああ。アップライトのな。こないだ妙ちゃんも一本使ったんやろ」

「うん。借りました」


 アップライトベースっていうのは、フレットのない、立てて弾く「エレクトリックのコントラバスがダイエットした」みたいなやつだ。この間、私が華月さんから借りたのもアップライト。


「そういえば、ちょっと思ったんですけど」

「ん?」

「そもそも、Psyの歌も、すごくトーン低いですよね」

「ああ。――ここだけの話なんやけどな、ウチの曲のシャウトって、かなりハイトーンやろ?」

「ええ。私、音希があそこまで首に血管浮かせて歌ってるとこ、はじめてみましたもん」

「実はな、あのシャウト、六割は華月がやってんねん」

「ぶはっ」

「これはマジで秘密な」


 まさかの種明かしだ。片岡さんがウインクしながら口許に人差し指を当てたので、私も笑ってうなずいた。


 ダカダンッ! と唐突に、スネアに数発が入った。それでぴんとくる。


「【支配】だ、【5月15日の支配】でしょ? イントロ終わってすぐのとこの」


 片岡さんが嬉しそうに目元を細める。


「おお、わかるか」

「うん。私、暗譜あんぷ得意なの。ライブでやる予定の曲も、もう全部頭に入ってるよ」

「――マジか?」

「マジマジ」

「ほな、あと二小節おまけや」


 ダダン、ダダン、ダダン、ダダンッ! ダダン、ダダン、ダダン、ダダンッ!

 続くフレーズが実に収まりよく響いた。【支配】のベースとドラムスは、この出だし二小節を同じリズムで刻むんだ。二人して目配せして笑った。まるで口裏を合わせるかのように。


 「ふ」と息を吐いて、そっとハイハットのスタンドに指先をすべらせる。冷えた感触が指先から伝わってきた。


「――やっぱり、すごいドラム」


 言うと、彼は迷ったような、どこか不思議に歪んだ顔をした。


「それは、ドラムセットが凄いゆう意味やろーか?」

「片岡さんが叩くドラムの「音」が凄いっていう意味」


 即答すると、少しの間をあけてから、片岡さんは、にいっと唇の端だけで笑った。


「俺がもらえる賞賛はな、いつも「凄い」ってだけやねん」


 とっさに、しくじったかと後悔する。知らずに地雷を踏むとかいやすぎる。


「や、あの。音希とかだったらスネアがどうのハイハがどうのって言うんだと思うよ。私バンド音楽は専門外だから、印象で見るしかなくて、だから、単純な感想しか言えなくて……ごめんなさい」

「や、別に謝らんでもエエんやけどな。……そうか。クラシックやったもんな。高校、爾志にしなんやて?」

「そう」

「オーケストラ部なんやもんなぁ。そらウチの音楽やるのについてこれるはずや」

「どういうこと?」

「Psyはクラシック好きやったからなぁ。どんな音楽でも好きやったみたいやけど、一番影響が深いんはクラシックなんやと思う。俺がメンバーに採用されたんも、音にどことなく西洋音楽的なにおいがあったからなんやて。俺には何のことなんかサッパリやったけど」

「ああ、やっぱり」

「やっぱり?」

「片岡さんの音ってね、確かにどこかそんな感じなの。イメージ的にはチャイコフスキーに近いかな。個人的な対話をするタイプの音楽っていうか」

「チャイコなぁ……」


 略称が出たところで、私は笑った。


「あとハチャトゥリアンとか。無茶でも「剣の舞」とか叩かせてみたくなる」

「――俺のセンスってロシア系なんや」


 愕然がくぜんとした顔が、あまりにおもしろくて、しばらくお腹を抱えて笑ってしまった。


「妙ちゃん笑いすぎや」

「ごっ、ごめんなさい。でも、でもあのね、本当はそういう、ジャンル分けできる類いの音じゃないんだと思う、片岡さんのドラムって」

「ほな、どういう感じなんや?」

「もっと根幹的なの。電子的じゃなくって、でも若い力だけの突っ走りもない。でも冷めてるわけでもない。――涼しげな青い炎って感じした。見た目は涼しそうなのに、さわると一番熱いみたいな」


 そこまで言った途端、片岡さんの顔色が変わった。


「――妙ちゃん。君それ、どっかでそんな話聞いたんか?」

「ううん。今そう思ったの。どうして?」

「いや……Psyがな、俺のドラムに対して言うた感想と、おんなしやってん」


 乱れた片岡さんの髪が一筋、ぱらりと落ちた。


「Psyがそう言うてくれたから、俺はドラムを続けてこれたんやと思う。Psyがおらんかったら、俺にはこの世界なんて、今の半分も見えてへんかった」



 今、音希の言ったことの意味が、すごくよくわかった。



 片岡さんは音楽を前提として、つまりPsyの存在を前提として世界を見ている。そして、片岡さんがそういうふうにしかできないのと同じように、私もまた音楽越しにしか彼を見ていない。


 わかってしまった。

 私と片岡さんは同じだ。


 私もまた、音楽というフィルターを通してでなければ、本当に人を見ようとはしていない。音楽をもってしか他人を解釈することができない。なんてことだろう。私は音希に対してだってそうしていた。彼女は、あくまで私にとって「歌」という存在だった。私はこの半年、彼女を友人として見ようとしていなかった。


 なんてことだろう。今頃気付くだなんて。


 そんなやり方をされれば、誰だっていつかは嫌になるだろう。それは人間と人間のコミュニケーションじゃない。


 でも仕方なかった。それが私だった。そしてこの人もそうなんだ。


「私、片岡さんのドラム、好きだよ」


 片岡さんは、ただ静かに笑って、「ありがとうな」と言って、うつむいた。





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