9.「顔」と「身体」だけ、貸して下さい
「
まさかの提案に仰天して彼女の名前を叫んだのは私だった。
そこへ「いや、ちょっと待ってよ」と、横から止めに掛かったのはタタラさん。
「その子高校生でしょ? 女子高生の演奏なんて使い物になんないわよ!」
「どうして」
音希が不機嫌な声でタタラさんをねめつける。うわ、不機嫌になったのが目に見えてわかる。音希はこういう、上から一方的に決め付けられるのが大嫌いなのだ。いや、もちろん私も好きじゃないよ? それに、今ここで繰り広げられているのは、なぜか私の話だしね。ていうか、なんでこんな急に巻き込まれた? 私一瞬前まで関係なかったじゃん? 状況について行けてないんですけども? マジでナニコレ?
「――悪いけど、あたし、高校生の感性と技術って評価してないから」
タタラさんは眉を
「あの、あなた個人がどうのって言うんじゃないよ。それはわかっててね」
「あ、はい」
内心(同じことなんじゃなかろうか)と思いつつ、私は首を縦にふった。
「あのねぇ、音楽に限らず、全般的に見ても、高校生って本人達が自称するほど成熟できてるもんじゃないの。感受性どうこうじゃあどうにもならない。商業音楽を表現し得るだけの経験なんか、その年で積み上げられているわけないのね」
――また、脳裏に言葉がよみがえる。
いいか? 妙。
未熟者を見護るのに根性が必要なのは、己自身もガキだからだ。
ガキは成長するごとに、成長していない奴に対して寛容ではなくなる。
半端な成長をした者ほど、他人の欠点が許しがたくなるものなんだよ。
「ふんっ!」
ばさっとわざとらしい音がして、はっとした。顔を向けて見れば、音希がその長い黒髪を背中に流していた。
「悪いけど、それ言ったらあたしだって高校生だよ」
「うっ……嘘っ」
叫んだタタラさんの横で、片岡さんもまた「えっ」と目をむいた。それを見た
「ちょ! あんたらその反応マジか……⁉ つか兄貴!」
「いや、すまん、ちょっとあちらさんの気持ちもわかるだけに……ぶふっ」
「兄貴あとでシバく! ぜってーシバくからな⁉ ――つか、老けて見えんのは知ってるわよ! そんでも、あたしゃこれでも筋金入りのお嬢様私学の女子高生様なんだからね! ――でもさぁ、そういうのって、今関係ないんじゃないすか?」
音希は腕を組んで《WEST‐GO》の三人をじっと見すえた。
「高校生だからって、一口には言い切れないんじゃないデショーか? 同じ年代でも色々経験してるヤツだっているでしょ? 個性なり人生なりだって、そんなちょっとずつの違いで形成されていくものだと思うけど」
タタラさんは、「へぇ」と口許を笑みの形に
「だからって、君達がその個性的な人生送ってて? そんで、なおかつ音楽的に優れた才能持ってて? しかもその才能を研鑚してるヤツだって証明には――なんないんじゃないの?」
「タタラ――」
片岡さんが自分の額を抑えながらタタラさんを止めに入った。一方、華月さんはといえば、何時の間にやら取り出したスマホをスイスイといじってらっしゃる。なんというか、飄々としてるなぁ。
「なあ、タタラお前、依頼主にケンカ吹っ掛けてどないすんねんな」
「そんなの関係ないね」
「関係ないって……大体、代理の言い出しっぺはお前やろーが」
おお……何だか、えらく空気が険悪になってきたな。この
「そんなのは、自分の経過した時代を過去にしてしまった人間の思い上がりだ」
「なっ……!」
吐き捨てたような音希の言葉に、タタラさんは腕組みを解いて表情を険しくした。
「一人一人違う人間なんだから、全く同じこと考えて生きてる訳ないじゃん。見てるものも見えるものも違う。しかもその見えてるステージだって、それぞれの人間の中で刻一刻と変わってくんだよ。前進もすれば後退もする。そんなの当たり前の話でしょ? タタラ――さんが言ってんのは、あたし等はどう足掻いたってタタラさん超えられないってことじゃん。そんな簡単方程式で人間社会が済むんだったら、誰も音楽なんて表現手段使いやしないよ。確かにバカな連中多いけど、日本全国の高校生がみんな同じな訳ないじゃないか。――それともタタラさん、自分が高校生だったころ未熟だったからそう判断してんの? だったらそれって自分の経験下敷きにして、自分の高校時代の未熟さがそのままあたし等他の高校生全部に当てはまるって決め付けてるってことじゃん。それって自他の見分けがつかないってことなんじゃないの? それであたし等を
「――……。」
タタラさんは音希の言葉を聞いている間、幾度か反論しようと口を開き掛けていたけれど、結局最後まで黙って聞いて沈黙した。垂れ下げた右腕の肘を左手でぎゅっとつかむ。それを片岡さんは気にしながら見護っている。
しん、と静まり返る。
気まずいことになった。論破した(?)音希もまた、気まずい表情を浮かべている。そもそも音希は人を言いくるめて得意がるようなタイプの人間じゃあない。感情を隠せないので、一度引っ掛かることがあったら、それを吐き出すまでは黙れないというのはあるけど。そして、それでよくトラブルけど、別に攻撃するのが好きなわけでもないから、後からへこむんだよなぁ。
やれやれと思いつつ、小さく息を吸い込みながら、ふと何気なく視線を上げて――そして、気付いてしまった。
見てしまった。
――寒気がした。
次の瞬間。
「音希――」
と、場の空気を打ち破るように、澄さんが、静かに目を細めて音希の名前を呼んだ。
澄さんは、両手をスラックスのポケットに突っ込んでいる。表情にも声音にも、気負いというものは感じられない。だのに、仕草の一々に緊張感をおぼえさせられる。あ、これ、絶対怒られるやつだ。
「
「はい! もう、なんだよ‼」
「簡単に人にケンカを売るな。ついでに言葉で防御壁を張るマネも止めろ。言葉で傷付いた分、即時反応して言葉で傷付けかえそうとするなんて、ただの仕返しじゃないか」
「仕返しなんてしてなっ……」
反論しようとした音希を、澄さんは静かな
「お前が今やったことが仕返し以外のなんだ? 言葉をそんな形で使うのは子供のやることだし、それは言語に対しての冒涜だ。反省しなさい。ついでにお前が人間として未熟なのも、「高校生」であるという事実に
黙り込んだ音希に、澄さんは少しだけ、ほんの少しだけ目を
「言葉でやり込めようとするのは、最も
「――それって女性差別なんじゃないの?」
不機嫌そうに音希は言い返したけれど、澄さんは、やっぱり目を細めたまま彼女を
「幼稚な女に見られやすい欠点だと言っているんだ。理論を身につけるなんて然程難しいことじゃないんだよ。ましてや正論なんて口にするのは何より簡単だ。それをあからさまに「はい武器持ちましたー」なんて鼻息荒くやるのは見苦しいって言ってるんだよ。――同じ女でも、
「――どうせあたしは
菊音さん――というのは、音希のすぐ上のお姉さんの名前だ。小柄で、ふんわりとした空気をまとっていて、自分とは180度イメージが異なるタイプだと音希は言っていた。お姉さんのことは好きだけれど、お姉さんと自分を周囲に比較されるのは辛いとこぼしたことがある。それはきっと今みたいなやり方で、まあ親御さんにもやられたんだろうな。私には、澄さんのやり方も、決して上手い
音希は唇を噛みしめて
「でも――そうかも知れない」
項垂れたままの体勢で、ぽつりとこぼしたのはタタラさんだ。音希がそちらへ目を向ける。すると、タタラさんも音希の顔を見た。
「今のは私の言葉が悪かった。ごめん」
タタラさんは、真っ直ぐに音希の目を見て謝罪した。そして絶妙のタイミングで「それでも私は、自分の考えに間違いがあるとは思ってないから」と釘を刺した。まあ、それがいい落としどころなんだろうな。タタラさん、決して言ったことは間違ってないと思うもの。音希もそれで承知したみたいだった。
だがしかし。
「でも、この条件じゃなきゃ、やらないから」
と、次いで音希が言い放ったのに、タタラさんが「はあ⁉」と怒声を発した。
「だから、あなた今の話聞いてた⁉」
「聞いてたから言ってんの!」
いやだから!
「ちょっと待ってよ音希! だから、なんで私まで参加するって話になるの?」
音希が私のほうへ顔を向ける。うわ、すごい顔。
「だって、あんたほど
いや、その評価はうれしいよありがとう、でも絶対今じゃない! 聞くならなんかこう、タイミング違っててほしかったな⁉
「話も今一緒に聞いたんだし好都合じゃん。Psyって弦バスも弾くベーシストなんだよ。あんたのことだから知らなかっただろうけど」
確かに知らなかった。知らなかったけども、そういう問題じゃない! ――でも、何か、何かこう、私自身の考えを言わなければならないのはわかっているんだけど、でも、何を言えばいいのかわからない。でも黙っていちゃだめだと、そう思ってやっと口を開きかけたのだけど、それは未遂に終わった。
音希がやっと最後まで言い
「貴女の
一瞬で、部屋全体の温度が下がった。タタラさんが言ったことも、音希の紡いだ理屈も、双方同時に100%意味を失う、実にあっさりとした結論だった。それから、サングラスの奥の眼差しが私の方に向いた。
「彼女のベースも同様です。たとえ実力があろうと、オーディエンスにPsyの音だと聴かせられない「他人の音」は使えません。Psyの
「――……。」
サングラスの奥の左目が冷え冷えとしていて、背筋が薄ら寒くなった。私でさえそうなのだから、あの冷えたセリフをまともに向けられた音希は、一体どんな心地だったろう。
だけど、彼は何一つ間違ったことを言っていない。彼等は初めから「代理」に立ってくれと依頼してるんだから、こっちもそのつもりで掛かるのは当然だった。そして、それが嫌なら私達には断る道が残されているので、それを選べば良い。それだけの話なんだ。
「妙ちゃんは、どうしたいんだ?」
「え?」
はっとして声が掛かってきた真横を見やると、問うていたのは澄さんだった。そして、その向こう側からは音希が注視してきている。初めて出会った時と同じような、逸らさず、逸らさせない眼差しで。
これ……。
今度は私がげっそりする番だった。
この目付きの音希は、助けを求めてるんだ。――一番頼みたいことを言葉にしないヤツなんだ音希は。わかるのが嫌だけれどわかってしまう。こいつは何時も目で訴えるか歌で訴えるかのどちらかなんだ。
今室内で注目を浴びているのは私だった。《WEST-GO》の三人も私を見ている。いや、なんでこんなことになってるんだ? 冗談じゃない。私はれっきとした部外者だったはずなんだ。でも、音希はきっとこういう展開になるのを見越していたんだろう。だから私を引っ張ったんだ。
騙まし討ちみたいに引きずり込まれた感は否めない。けれど、だからといって彼女を見捨てられはしない。
嘆息して、あきらめた。
「――いいよ。取りあえず、私の音聴いてみてよ。あなた達の音も聴き込みたいし、二・三日くらいなら学校もサボるよ」
「いや、それはあかんやろ」
言ったのは片岡さんだった。あ、意外と良識人なんだな。けれど、私はあんまり良識的な人間ではないので、気にしていただかなくても結構ですよ。
「これって大事なことなんでしょう? だからこんな非常識なこと音希に頼むんでしょう? どうせ話はもう聞いちゃったんだし、別に、ネットに情報さらしたりなんかしないので安心してください」
絶句した片岡さんとタタラさんを尻眼に、華月さんがこくりと首肯する。
「そうしていただけると助かります。こちらも調べさせていただいた貴方方の個人情報を嫌な形で使わずに済ませたいので」
「――は?」
「ライブのチケットを取る時に入力する情報、というものがありますよね?
うおおお怖えええ、油断ならねぇこの人おおお‼ あっ、さっきスマホでやってたのまさかそれ⁉ やだぁ!
私の形相に気付いたのか、華月さんがちらりと視線を向けてきた。うつむきがちにちらっと見上げるので、サングラスの隙間から目が見える。その目が「ふふ」と細められた。
「お互いに、よい出会いと別れにしたいものですね」
はい。絶対ケンカ売りません。
なんにも聞かなかったことにするんで、もうウチに帰して下さい。
「じゃあ、明日ここへ来てください。貴女達の音を聴かせてもらいます」
嘘やろ⁉(あ、関西弁うつった) ほんとにやるワケ⁉ 貴方以外の誰がこの話、御破算にできんのよ! やるなら今でしょ⁉
愕然とする私と
澄さんが受け取った名刺には、
ああ、そうですか。ほんとにヤルンデスネ……。
†
三人でライブハウスを出てから、音希はようやく「すまん!」と両手をぱちん! と顔の前で叩き合わせて謝った。
「いやほんとよ。なにしてくれてんのあんた」
「だからすまんって。あんなん一人じゃ怖すぎるんだもん」
「――でも、やってみたいが勝っちゃったんでしょ」
「へへ。……うん」
にへらっと笑って、音希は悪戯気に顔を上げる。安心した目をしてた。それがわかるのも嫌だった。多分、音希は目で訴えてるんじゃなくて目で内心がバレてるんだろうな。
「しゃーないもう、明日でダメだと思われたら、それで終りね」
「うん」
私は手につかんだままにしていた鞄を肩に背負いなおすと、「じゃ、今日はもう帰るね」と、音希と澄さんから視線をはずした。
「早く帰って、〈姫〉にごはん、あげなきゃいけなきゃいけないから」
「ああ、犬かなにか飼ってるの?」
澄さんが、ふわっと笑って問うので、私もふわりと笑って返す。
「ええ。真っ白でカワイイ女の子を」
光溶かす、貝がらのような白が、目蓋の裏に浮かんだ。
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