8.代理




        †


 《WESTウェストGOゴー》と言うのは、ロックバンドの名前だ。結成は五年ほど前。当初は、ボーカル兼ベースのPsyサイと、ギターの華月かげつ、この二名で構成されたユニットだったらしい。メジャーデビュー後、セカンドシングルからドラムスの片岡かたおかが、フィフスシングルからキーボードのタタラが加入し、以降この四名で活動している――のだと、とおるさんがおとから手早く説明してもらっているのを、私も横から黙って聞いていた。


 私もさすがに、《WEST‐GO》というバンドがこの世に存在していて、そこの男性ボーカルが、えらく人気があるということぐらいは知識として知っている。でも、私の中に情報としてあるのはそれだけ。同じ音楽屋だと言ったって、クラシックとバンド音楽とでは、畑違いも、はなはだしいじゃない? 街中で曲や映像が流れていたとしても、私にとってそれは景色のレベルにとどまってしまう。他の人たちはどうだか知らないよ。私があまり多くのものに興味がないってだけだから。


 それに対し、音希はもちろん彼等のことを知っていた。彼女がしてくれた説明には「あまり詳しいワケじゃないけど……」という前置きが付属していたけれど、ジャズとロック両方に脚を突っ込んでる音希だもん。私達より詳しくないワケがない。大体、メンバーが見間違えるほどボーカルに酷似しているんだ。音希の周囲の人間達が、その事実に気付かないワケもない。音希自身が意識しなくても、周りが勝手に騒いでいただろうことは、彼女のうかべる複雑な表情から、簡単に察しが付いた。



 音希が今日の対バン出演者だった特権で、私達は楽屋裏を一室借りて話を聞くことになった。とおるさんが保護者代行として付き添うのは当然として、何故私まで同行するのかは、わからなかったのだけれど、音希が私抜きでは話は聞かないと断言したのだ。なんだろ、不安なのだろうか。


 扉を閉ざすや否や、タタラさんはジーンズの尻ポケットからシェルピンクのカバーに包まれたスマホを取り出し耳に当てた。どうやら、最後のメンバーに連絡を入れるつもりらしい。

 しばらく間が開いた後。


「今どこ⁉」


 受信先の相手の耳を心配するほどのボリュームで、タタラさんは叫んだ。心なしかぴぃん、と音が響いたような気がする。思わず耳を手で塞いでしまった。あ、澄さんも。


「ああ⁉ 違うよ見付かってないって!」


 ――見付かってない?


「そうじゃなくて、ラストライブの件だよ! ――ああもう何であんたってこう話が通じないの! そう。話があるってゆーか案があるから、とにかく来てみ……だーかーらー見ればわかるからっ!」

「――見る……って、やっぱあたしのことなんだろーな」


 横でぼそりと音希がつぶやいた。すでに衝撃を通り越してげっそりとしている。


 そうこうするうちに、とにかくここに来るようにと言い切って、タタラさんはそのまま通話を切ってしまった。鼻息を荒くしたまま振り返ったタタラさんは、一部始終を見ていた私達に気付くと、苦渋に満ちた苦笑を浮かべた。


「奴に了解を得ないと、うちのバンドは機能しないのよ」


 私と澄さんはお互いに顔を見合わせ、二人で同時に音希のほうを見やった。


「――そうなの?」


 小声で問うと、音希はちらりと視線を向けてこっくりとうなずいた。声をひそめて説明する。


「《WEST-GO》ってメンバー全員、我が強いことで有名なんだけどね。その取りまとめ役がリーダーなんだ」


 澄さんも一層声を低めて、音希と私にだけ聞こえる声で妹に問うた。


「最後のメンバーなのか? 総勢四人?」 

「そう。ギタリストでリーダーの華月かげつって人だよ。さっきも説明したじゃん」

「イマイチよくわからないんだ。すまないな」


 笑ってみせる兄に、音希は嘆息した。


「四人が把握できないってどういうこと? オケ団員なんかよりも断然人数少ないじゃんさ」


 兄と妹がこそこそと話をしている横で、私はちいさく溜息をついた。手狭てぜまで薄暗い楽屋の中は、何となく落ち着かず、ふと、視線を片岡さんに向けた。そのせいで、片岡さんの目が一瞬だけ音希のほうに向けられていて、でもすぐに、どちらともいえない方向へと流れたのを盗み見てしまった。


 サイ、とかいう人の面影を探して、だけど直視できなくて、逃げたんだろうと察しがついた。


 十分ほど経過したかというころ。考えていたよりも早く最後のメンバーが到着した。楽屋の扉が開かれた瞬間、明らかに全員が動じていた。明らかにオーラが異なる人間が、そこから入ってきたからだ。


「――……。」


 その人は、室内に入って扉をしめると、じろり、と全体を見回した。その視線に一瞬さらされただけで、ぞっとする。見られただけなのに、内心までスキャニングされたような気分だ。彼はそれから、じっと音希の全身を上から下までなめるように見た。他のメンバーのように、おとを見ても動揺はしていなかった。いや、内心はわからないけれど。肩甲骨の下まで伸びた長髪と、真っ黒で大きなサングラスにさえぎられて、表情が読み取りにくかったというのもあったかも知れない。


 片岡さんから、手短に事の詳細が告げられる。彼は「うん」、「うん」と、ときどき首を縦にふっていたのだけれど、話が終了した後、一拍をおいてから「ならば、まず何よりも、彼女達に事情を説明するのが先決なのじゃあないのか?」と、ぽつりともらした。


 いや、ほんとそうですよ。


 第一印象よりも常識人らしい華月さんは、私達のほうに向き直ると、特に澄さんに顔を向けつつ、丁寧に頭を下げた。どうやら澄さんは彼に保護者と見なされたらしいけれど、サングラスを外さないままで会釈をやるので、どこを見ているのかは、ちょっとあやふやだった。


 それから全然関係のない話だけれど、華月さんという人は尋常でなくスタイルの良い人だった。片岡さんほどの身長はないし、物凄く身体が鍛えられているというのでもない。けれど顔が小さくて頭身バランスが頭抜けて良いのだ。ビンテージジーンズの左太腿部分が破れている。それがやけに目に付いた。


「タタラ」


 決して低くはないのに、妙にずしり、と響く声で、華月さんはタタラさんの名を呼んだ。


「な、によ」

「Psyのことを、もらしてしまったのですね」

「――……。」

「軽率過ぎます。もう少し後先を考えなさい」

「う」

「あと、片岡」


 突如、二人の男の人の合間に、ひやりとしたものが漂う。何故かぞっとした。片岡さんは華月さんの背後にいる。視線を絡めてはいないのに、それに代わるものが、ひやりと交わされあったのだ。


「――……。」

「君が暴走してどうするんだ」

「――悪かったな、至らんくて」

「見損なったな」


 そこで華月さんは一つ溜息をつき、ちらりとメンバー二人を一瞥いちべつした。三人の間で、ねっとりとした意図のようなものが垂れる。人間の感情が色味と実体を得たら、きっとこんな感じになるのだろうと思わず考えたほど、強烈なコミュニケーションを感じた。


 ――多分だけど、彼等が互いに向けあっている感情は、ものすごく複雑に絡み合っているんじゃないかな? きっとそう、水飴のような感触で、たらり、たらりと、全員の身体にまとわりついている。色彩は、そう、きっとだいだい色をしているに違いない。でも、私は何故そう考えたのだろうか。


 ああ、夕陽の色だからか。


 「ギャラリー」を満たしていた西日と同じ、砂糖漬けにした硬いゼリー状のコンポート。あまり美味いとも言えないオレンジのコンポート。それを熱して溶かしたものが彼等に、とろりとまとわりついているんだ。私が大嫌いな、他人に対する濃い執着の感情で満ち満ちている。愛情、恋情、執着、対立、憎しみ、嫉妬、それら様々なものを、とろとろと誰かの首筋に注ぎ込むような、ある種のかたより。そういったものを連想させる何かが、彼等の合間には満ちているのだ。――濃密すぎて、眩暈めまいがしそう。


 そんなようにしばらく勝手なことを考えていたら、気付かぬ間に華月さんは私達のほうへ、きっちりと向き直っていた。そうして再び軽く頭を下げる。とろりとしたものは消え去り、代わりに立ち昇ったのは、ひんやりとした冷気だった。


「唐突な話でお困りになられたことでしょう。ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありません」

「ああ、いえいえ」

 と、代表して返したのは澄さん。


「すでにお聞き及びかも知れませんが、私は《WEST‐GO》というバンドのギタリスト兼リーダーで、華月かげつと申します。実は、メンバーの一人であるPsyという者が――急死しました」


 うすうす気付いてはいたけれど、さすがに衝撃を受ける。音希がとなりで息を呑んだ。

 他のメンバー二人の表情は、変わらない。


「事情がありまして、世間にはその事実を公表することができないのですが、活動停止を明確に世間に知らしめて終了させることは、かねてよりのPsyの意思でした。我々は、その意思を全うしたいのです」

「つまり?」


 明確な言葉を求めたのは音希だった。言葉に厳しいものがこもっている。緊張しているのだろうか。それとも、恐れているのだろうか。しかし、それにしても公表できないというのは一体どういうことだろうか。


 華月さんが音希のほうへと顔を向けた。


「Psyの代理として、テレビ放映のステージに立っていただけませんか?」

「代理――ですか」

「はい。最終の出演は、もともとライブハウスからテレビ中継と動画配信を同時に行う予定でしたので、その場にいるのは身内だけです。Psyをよく知る芸能人や、関係者と直接顔を合わせるような大きな支障はありません。もちろん生番組だというリスクはありますが」


 《WEST‐GO》の三人の考えは、どうやら一致しているらしい。


 私達が理解したのは、それがとんでもない依頼だということだった。提示された話のせいで、部屋全体の空気が張りつめてゆくのがわかる。頼んだ側と、頼まれた側と、それぞれの内側で思惑が入り乱れている。


 だけどなあ、私、部外者なんだよなぁ……。部外者がこんな形でこんな場所にいるのって消耗するばっかりなんだよ。思考する権利がない場所に放りこまれてるんだもの。こんなの、苦痛以外のなにものでもない。


 息づまりに絶えられなくなりそうになったころ、見計らったようにそれを打破したのは澄さんだった。


「で? 音はどうしたいんだ?」

「え……」


 澄さんは穏やかに問うた。


「代理の歌うたい。どうするの? やりたいと思うの?」


 決断は本人に任せるつもりらしい。音希は一瞬、見捨てられた子犬みたいな表情を浮かべた。無理もない。澄さんの声は果てしなく音希を突き放していた。

 けれど彼女はすぐに、きゅっと表情を硬くした。


 複雑、だろうと思う。だって音希は音希だ。彼女は彼女のオリジナルであって、彼女には彼女の音楽スタイルがあって、そのPsyとかいう人のコピーじゃない。もし、そのそっくりだと言われるPsyの代理を一度でもやってしまえば、それが知られてしまったら、そんな経験をしてしまったら、彼女はもう、そういう色眼鏡でしか見られなくなってしまうだろうし、彼女のなかにも、必ず何かが残ってしまう。


 それは、アーティストを目指している音希の夢を、根元から叩き切るに等しい行為になるかも知れない。


 だけど、音希は目の前の三人を、じっと真っ直ぐに見て、心を押さえつけるように、「いいよ」と言った。


「Psyの生楽譜を見せてくれるんなら、やってもいい」


 ですよねー。何となく、彼女の性格からして予想はついていたけど。危険は重々承知の上で、そこにプラスになりそうなものがあるなら、飛び込んでしまうんだよなぁ。負けず嫌いだからな……音希って。


 と、その負けず嫌いは次いで更に負けず嫌いを発揮させて、こうのたまったのだった。



「ただし歌は生でやる。幸か不幸かあたしの声ってPsyと似てるらしいしね。それからベースに関してだけど、あたしはベース弾けないから、ミョウにやらせて」






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