5.「親友って、なんなんでしょう?」



        †


 私が通うなばり市立爾志にし高等学校は、普通科と音楽科、並びに情報科と英語科とを併設している。そして私こと坂井さかい みょうは、普通科に所属していて、在籍している部活は、この「オケ一」。そこで、ストリングベースなるものを担当している。


 ストリングベース、別名コントラバスは、ジャズなんかではウッドベースと呼ばれたりもする。どんなナリをしているかというと「2メートル級のヴァイオリン」、とでも表せば、通りが早いだろうか。あの床に直接立て掛けて弾く、さつげん楽器である。フル編成のオーケストラでも、吹奏楽でも、ジャズでも、メディアの露出度ならピカ1の芸能ミュージシャン達でも活用している、例のアレだ。


 話が前後したが、この「オケ一」というのが何かというと、我が爾志校オーケストラ部には、第一オケと第二オケというのが存在していて、その第一オケのことをこう呼ぶ。オケ部・一部の略なのだけれど、人数がやたらと多いため、オケが二つに分けられているのだ。野球でいうところの一軍・二軍にあたる。だから、正式な大会や対外式典なんかに参加できるのは、オケ一の生徒に限られるのだ。ただし、オケ一にいれば安泰というわけではない。オケ一に所属しているからといって、必ずしも編成メンバーに選ばれるわけではないのだ。


 全国コンクール開催期になれば、選抜されたはずのオケ一の中で、更に選抜が繰り広げられる。三年生が振い落されて、一年生がパートのトップに立つこともある。徹底された弱肉強食。さすが、公立校のクセして音楽科を設けているだけのことはある。


 現在オケ一のベースパートは、男子五人でその面子メンツを占めるテューバパートと、私を含むコントラバスパートの三年二人、二年一人、一年二人で計十人という大所帯で活動している。もちろん当然の帰結として、他パートはもっと大所帯だ。――そして現在オケ一の中で普通科の人間は、実は私一人だけだったりする。


 ここまでくれば、これがどういう状況で、私がどういう立ち位置にいるのかは、もう見えてきているころだろう。


 爾志のオケ一でベースを弾くというのは、つまりカンタンなことじゃない。全国でも上位に位置する強豪校だし、確かに爾志オケ・一部に所属しているというと、地元の人間は大抵驚く。そして音楽科ではない、ただの普通科の私がオケ一にいるのは、単純に他の部員より弾けるからだ。じゃなければ自動的に二部落ちしている。


 ――はじまりは、たぶん、ちょっとした噛み合わせが悪かったというか、もしくは、ボタンのかけ違いみたいなものがあったくらいのものだったのだと思う。今となってはもう、単純に、ここの人間と私とは「性格が合わなかったのだ」ということで済ませるしかないところまできていた。その兆候は一年生の時からすでに出ていたし、私も自覚はしていた。その後三年かけて、私と他の部員との決裂は、決定的なものへと成長してしまった。


 結局、私達の間に君臨していたのは、私が超マイペース人間だということと、彼等の音楽科所属者というプライドがあげる「きしみ」だった。彼等だけが悪かったわけでも、私だけが悪かったわけでもないと思う。私も彼等も妥協をしなかった。始めから互いになじみ合おうという意思もなかった。彼等にしてみれば、私みたいな人間、いるだけで鼻持ちならないだろうし、無理もないと思う。心情的には理解できる。


 それでも、私が彼等より音楽を理解しているのは、動かしようのない事実だった。


 あいにくだけど、私は嫉妬を向けられて優越感をくすぐられるような図太さは持ち合わせていない。でも、そういうきしみに一々反応して、自分の音を持ちくずすほど繊細でもなかった。こういう場合、したたかさはプラスに転じない。大概はマイナス要因になる。だけど、彼等にもプライドというものがあった。彼等は、あからさまな嫌がらせなどをするほど、ガキではなかった。


 結果、私達の関係は、常に静かに平行線を描くことになった。つまり、交わらなかったのだ。


 私達は、適切な距離をとった。

 とても遠い距離だ。


 彼らが遠くから私に投げつけたのは、蔑視。白眼視。根拠のない陰口など、実際の暴力はともなわないものだけだ。例えば、半年前、私が急に部活を長期間休んだのは、裏で大人の男性からお小遣いをもらうようなことをしていたことがバレたかららしいとか、そういう噂を絶え間なく流すこと。


 確かに、物理的な暴力じゃない。

 でもその悪辣あくらつさは、その非じゃない気もするのだけど、どうだろうか。


 私が言い訳や弁解をしないから、その陰口や噂には尾ひれがついて、さらに広まって行っているらしいけどね。


 いいのよ、もう。

 もう、何をどう弁解したって、訂正したって、元には戻りやしないんだから。


        †


 宮川みやがわ氏こととおるさんは、車の免許を持っていないので、当然車も持っていない。


 車校に通うための費用も新車の購入代金もご両親が都合してくれていたらしいのだけど、なんと全額そっくりそのまま愛器購入に当ててしまったのだそうだ。子供のころからコツコツ貯めてきた小遣いとお年玉もそれに足したのだという。さすがに今日はその愛器も御持参なさってないらしいが――こういう地道さはある種脅威だ。執念を超越している。


 故に、我々二人はバスに乗って駅前のライブ会場に向かわざるを得なかった。交通手段というのは実に重要だ。大型楽器担当にとっては特に。まあパーカスのティンパニーを運ぶのに比べれば、ごくごく小さな問題ではあるけど。


 ここいらの地区では必要以上にバスの運転が乱雑なため、手のひらの皮が吊革に食い込む。私は元来バランス感覚がいいとはいえない人間なので、しがみ付くようにして吊革にぶら下がりながら、澄さんに不満を訴えた。つまりは、八つ当たりなのだけれど。


「どうして宮川さんとヨシヒト先輩、今日一緒に来られたんですか?」

「ああ。だから、帰国しましたからーの御挨拶をね、先生にしようと思って。大学違うから駅で待ち合わせて来たんだよ」


 澄さんは、どうやら「どうして」と「どうやって」を取り違えたらしい。


「――大学も違うのに、どうしてあんなヒトを誘って来るんですか」


 私が何の八つ当たりをしているのか、澄さんはやっと悟ったらしい。微苦笑を浮かべてから、彼は吊革を両手で包み込むように握り直した。 


「あいつ、気に入らない?」


 問いに、こくりとうなずいた。


「あの手の人は、基本的に苦手です」

「あの手って、具体的に?」


 突っ込んで聞かれて、私はちょっと躊躇ちゅうちょした。


「――嘘くさい、男くさい、バスに対する姿勢がカルい。ダメなんですよ私。生理的にああいう系統の人」


 それから一つ、溜息をついて言った。


「それに、人の私物のバス、勝手に出して弾いてるし……」


 ひどい言い草だけれど、大まか言葉に嘘はなかった。全くの本心をそっくりそのまま取り出して言葉にするなんて不可能だ。だから良いのだと独り決めして、心の内側で聞く者のない言い訳を吐き続ける。


「ああ、あれ私物だったんだ?」

「はい。何で学校に置いてるんだ、なんて聞かないで下さいね。重いし移動が大変だからですから」


 取り付く島なんか与えてやるものかという意気込みが私の中にはあった。根性は悪い。自覚アリだ。澄さんは小さな溜息をついて「それは、すまなかったね」と笑った。


「そう言わないでやってくれよ。あいつも結構いいバス弾きなんだから」

「ほんとですかー?」


 想像はつくけれど。

 澄さんは、もう一度笑った。


「俺としてはね、もう一度ちゃんと弦をやって欲しいんだ。――今のあいつは、ちょっと見てて辛いものがあるからね。だから君には悪かったけど、今日あいつが弦を弾いたことはね、あれは、俺にとっては喜ばしいことだった」

「親友だったんですか」

「親友だよ。今も。少なくとも俺にとってはね」

「親友って、なんなんでしょう?」

「――難しいことを聞くね」


 澄さんは沈黙し、自分の左手を見た。しばらくの間、指板を押えるように綺麗な指先を忙しなく動かしていた。その間、彼が答えを考えていたのか、それとも答えるか否かを逡巡していたのかはわからない。けれど、結局澄さんは「多分……独占欲を突き抜けたところにいる友人が、そうなんじゃないかな」と答えてくれた。


「そもそも、そう簡単に独占欲を抱くまで入れ込める人間に巡り逢えるとも思えないけど……たとえば、「絶対的に必要だ」とまで依存してしまうような相手は友人たりえないと思うんだよね。そんな、疲れそうな関係なんて御免だよ。……俺にとって理想の親友っていうのは、何十年ぶりかで再会した時でも、別れたのが前日であるかのように、当たり前に笑い合える存在なんだと思う」


 ああ、成る程。


「すべきことがある人間にとっては、理想的ですね」


 澄さんは楽しげに「都合のいい相手だとも、いえるかもね」という。


「都合の良し悪しだけで続く人間関係なんて、ないでしょう」

「心当たりでも?」

「――まあ、それなりに」


 なんとなく物哀しくなり、車窓に目をやった。ぎる白熱灯の光は、目に突き刺さるようで、痛い。白々と網膜は焼かれた。その向こう側では闇を流しているような河が、とっぷり横たわっている。


 この流れの更に上流で、私は白い貝がらを手に入れた。光垂れ流す貝がらを。


 ふと思った。


「独占欲の範疇はんちゅうにあるのは――それは友情というより、恋ではないんですか?」

「え?」

「なんとなくそう思いました。私、恋愛に関しては一切門外漢もんがいかんなのでよくわからないんですが、絶対的に必要だとまで言えてしまうのは、もう友情という範疇はんちゅうにないのじゃないかと」

「それは違うよ」


 きっぱりと断言した澄さんの顔を、私は真っ直ぐに見た。


「違いますか」

「違う。そんな狂気は恋愛にも当てはめちゃいけない」


 突如バスが停車し、がくんと車体が揺れた。私はバランスを崩し、澄さんは肩を支えてくれた。謝罪をして体勢を立て直す。澄さんに触れた刹那、ぴりりと神経質な電気らしきものが走った。気のせいだったかも知れないし、本当にそうだったかも知れない。


「当てはめちゃいけませんか」

「だめだ。それは絶対だめなんだ。あのね、僕はね、相手と自分との距離をちゃんと把握できない人間同士の間には、恋愛だけじゃなくて、友情も存在できないと思うよ」

「友情もですか」

「だって、そうだと思わないかい? べたべたに自分の感情に溺れきった人間に対して、愛情なんていだけると思うかい? 正直僕だったら御免ごめんだ。引くよ。冷めるよ。僕を愛していると全身全霊けて叫んで、その実、自分の内から湧いてくる感情に満悦しているだけのヤツも、本気で僕に溺れるヤツも嫌だ。そこに僕自身が存在する余地がないだろう」


 いやに切実な発言だと思った。澄さん、確かに色々魅力的ではあるから、実際その手の経験で辟易へきえきしているのかも知れない。ある種不幸だ。そういう厄介ごとに巻き込まれていない分、同じような思考を持つものとして、私は幸いなのだろう。


「それは確かにそう思います。私も御免ごめんこうむります」

「だろう? ――自他の曖昧というものは、どこか狂気だから。そうでない、自律した自我同士の関係で最高の位置にあるべきなのが恋愛だから――」


 うわん、と白々しい対向車線のライトが視界を被う。


「――だから一層、親友を判断するのは難しいんだ」


 澄さんは、車窓の外に視線を転じた。





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