3.ミヤガワさんと、ヨシヒトさん




 一人は黒髪のストレートヘアだった。黒シャツに黒ズボンの、真ッ黒黒子みたいな格好をしている。顔の造りは、割と丁寧な部類だ。何となく見覚えがあるような気もする。デジャ・ヴュというやつだろうか? そして、身長がものすごく高かった。190㎝はあるんじゃないだろうか。


 ――そして、もう一人が問題だった。


 そいつは、どちらかといえば低身長だった。だぼっとした白のパーカーに、中途半端丈のスネ毛丸見え紺色ハーフパンツを合わせていた。ストリートファッションだかなんだかよく知らないけれど、とにかくそういう格好。――非常によろしくない――。茶髪のラーメンヘアもよろしくない。顔とかは、かなり女の子が好きそうなアイドル系なのだけど、私はこういうタイプをとっても好かん。なんとなく、ダラダラして見えるんだもん。


 その上、私は更にたのしくないことに気付いてしまった。ラーメンのほうが、私が学校に置かせてもらっている私物の「相棒」を、勝手にカバーから抜き出していたんだ。弓も松脂ヤニも完璧にスタンバイしている。


 ――最悪だ。


「あ! みょう先輩。おはようございます」


 げんなりとしていた私に、午後四時にも関わらず、とびきり元気な挨拶をかましてくれたのは、チェロの二年生宮澤みやざわ君だ。どうして部活開始の挨拶というのは、朝昼晩無関係に「おはようございます」を使用するのだろう? 


 「うっす」と挨拶を返した。周辺で部員がさわさわと目配せしている。


「ミヤガワさん、ヨシヒトさん。こちら弦バスの三年生で坂井さかい みょう先輩です」

「――こんにちは」


 とりあえず、ジト目で会釈をする。しかし、宮澤君も相当にしたたかな男だな。はみ出し者の私を、部員の前で堂々とにこやかに紹介してみせるだなんて。相手の二人がどこのどなたなのかは存じ上げないけれども、並みの神経の図太さではできないことだ。まあ、彼の場合、何よりも裏表のなさが秀逸なのだな。宮澤君が部員に好かれていることは知っている。彼だからこそ、私なんかと親しく言葉を交わしていても村八分の憂き目を見ずに済むのだ。実に見事なバランス感覚の持ち主である。うんうん。


 これに対して、挨拶を返してくれたのは長身黒子の方だった。


「どうも、こんにちは。ミョウっていうんですか。変わったお名前ですね」

「はあ」


 冷たく整った面立ちに人懐っこそうな笑顔を浮かべられて、すこしだけ印象が変わる。まあ、変わった名前ですよね。私もそう思うので。


 しかし、印象は変われど、素敵な笑顔とご挨拶だけでは、彼等が何者なのかは、分からないままだ。分かるわけがない。このベース・チェロパートの部員集合状態が編み出されてしまった理由についても不明のままだ。


 なので、さっくり聞くことにした。


「宮澤君。こちらのお二人、一体どちら様?」


 言い終るや否や、宮澤君は「はあっ⁉」、と、情けない声を張り上げてくれた。


「妙先輩ぃぃ! うそでしょ⁉ ヨシヒトさんはともかくこちら!(といいながら、宮澤君は長身黒子を両手で指ししめした)宮川みやがわ とおるさんですよ! 先輩より三学年上の、爾志オケウチのOBでチェリストの!」


 ああ、と思い至って、長身黒子をちゃんと見直した(じゃあラーメン頭のほうがヨシヒトさんか。というか、そちらに対して「ヨシヒトさんはともかく」は、けっこう失礼だぞ、宮澤君)。


「もしかして、ドイツ行ってたって方ですか? 先月帰国したっていう?」

「うん。そう、僕それです」


 宮川氏は、うなずきながら、にこにこと笑った。


 聞いたことはあった。というのは、名前だけでなしに音もなのだけれど。気配で部員達のブーイングが伝わる。すぐに気付けよってか。悪かったな。しょうがないじゃん、顔知らなかったんだもん。


 宮川みやがわ とおるは、ウチの卒業生の中でも特に躍進やくしんしているチェリストである。


 某有名音大に我が高から推薦で入学し、一年生の時点で日コンの上位を決め、なおかつ、そのコンクールの会場でドイツの有名なチェリストに留学を持ちかけられ、欧州というクラシックの本場で武者修業するに至った――とまあそういう、嘘のような冗談のような華麗なる経歴の持ち主なのだ。


「それは、どうも。お帰りなさい」


 ひょこりと顔を上下させると、宮川氏は「ただいま」と言ってから、のどの奥で、くつくつと笑った。


「……俺のほうが直接的には先輩なはずなんだけどなー」


 ふと、横からラーメン頭のヨシヒトさんが口をはさんできた。


「ああっ、そうですよね。弦バスのOBはヨシヒト先輩ですもんね。ええっと、ヨシヒト先輩って、宮川先輩と同い年なんですよね?」

「うんまあ、そうだな」


 ヨシヒト先輩さんは、へらっと笑った。……でも、なんというかこう、この人、目が笑ってない気がする。


「……はじめまして」


 挨拶するにも、どうしてもジト目になってしまう。


「こんにちは、坂井さかい みょうさん。普通科なのにずいぶんとはばを利かせてるそうデスネ」

「――……。」


 幅利かせてる――か。……一体誰がこの男に吹き込んだんだ、そんな根拠ねーガセネタ。第一、別に好きで利かしてるワケじゃないっての。勝手に周りが引いてるんだっての――って、ああそうか。この周りにいる「周り」が吹き込んだのか。納得。


「ヨシヒト先輩は今、げんいてるんですか?」


 場を潤滑じゅんかつにする努力をしてみることにした――つまり会話をしようと試みてみた――ら、ヨシヒト先輩さんは一瞬間をあけて、また、へらっと笑った。


「やめたよー。俺も普通科だったしね。私大入ってまで続ける気力なかったし」

「――……。」


 私は、本当に、本気で今一瞬、殺意を抱きかけた。


 だらりだらりと、何かが垂れ下がったような印象を与える人だと一見して思ったけど、その理由が今わかった。この人、何気ない瞬間に、腕とかブラブラ垂れ下げてるんだ。だらしのない格好そのまま、動作までもがだらしない。何もかもが、だらだらとやる気ないもので一杯だ。なのに、その表情と目付きだけが違う。なんというか、無関心をよそおった、大人の男のにおいみたいなものを漂わせているんだ。私の身の回りに掃いて捨てるほどいる、不器用で青臭い男子高校生達とは違う。そういう余裕ない時代からは「遥カ昔ニ脱皮シチャイマシタ」なんて、言外に言ってるみたいな人間の仕草。そう、虚勢とか虚栄まではいかないけど、なんか、上辺を作ってるみたいな雰囲気――といったら、伝わるだろうか。ううむ、うまく言えないけど、やっぱり、なんかすごくイヤな感じなんだ。この手のタイプが嫌いとかじゃなくて、私は明らかにこの男が嫌いだ。


 もー、ここから逃げちまうかなと思ったのだけれど、心配には及ばなかった。私が逃げ腰になりかけたころには、すでに他のコントラバスパートのメンバーが彼を取り囲んでいた。そして、彼の「土産あるんだみやげー! シュークリーム持ってきたんだー。ベースとチェロの奴だけ特別なー」のセリフと共に音楽室の外へ、一斉流出して行ってくれたのである。おかげさまで、私一人ぽつん、とその場に残ることに成功した。逃亡を考えた矢先に、相手のほうが勝手に動いてくれたのだ。労力なくして望み叶ったのである。万々歳だ。


 あっ! だけど、よくよく考えたら、私の「相棒」まで彼に連れて行かれてしまっているじゃないか。


 ――最悪だぁ……。


 一つ嘆息して諦めた。後で返してもらうしかない。


 運が良いのか悪いのか、ホームルームが長引いたせいで、その間に全員での音出しは終わっていたらしい。おかげで部員達のあからさまな敵視や白眼視にさらされることもなかった。万々歳二乗だ。ありがたいじゃないか、ちくしょう。


 ついつい口元をゆがめて、げっそりしながら振り返る。――すると、なぜか宮川氏がまだそこに残ってらっしゃった。ついでに宮澤君も。


「あの……行かれないんですか?」


 これはつまり(あんたは一体いつまでここにいるんだ?)の婉曲やわらかい表現なのだけど、とりあえず宮川氏にそう問うてみた。氏は、のほほんとした微笑でこちらへと振り向き、こんなように仰って下さった。


「うん? どこに?」


 ――いや、どこにって。


「いえあの、チェロの子達に手解てほどき、なんぞを……?」

「ああ、そうだね。行くものだね普通」

「――……。」 


 不思議な受け答えをする人だな?

 という本音が顔に出てしまっていたんだろうか。宮川氏は弁解のつもりらしい「どうも、僕はそういう当たり前の発想ができないらしくて――」と苦笑しつつ頭をいた。


「つい、今日の目的は先生への挨拶っていうのが頭にあると、どうしても、そのことだけにしか頭が働かなくって。ダメだね、これじゃあ」


 と、氏は完璧に格好良いやり方で笑った。口にしてる内容自体はハッキリいってそーとーボケなのだけれど。


「そういう君は、パート練習には行かないの?」

「――行くつもりでしたが……」


 宮川氏のボケた発言に引けを取らないくらい寝惚ねぼけた受け答えをして、そこまできて私はやっと気がついた。さっきのデジャ・ヴュの正体に。


「宮川さんって、この間、凱旋がいせんコンサートしてらっしゃったでしょう?」

「あれ、もしかして来てくれてた?」

「いえ、残念ながらチケットはすでにソールドアウトで」

「じゃあ、次の機会にはどうぞ御鑑賞ください」

「タダでチケットをいただけると、なおよいのですが」

「あはは。確かにそうだ」


 宮川氏は、どうやら冗談のノリも通じるタイプらしい。私はにこりと笑みを浮かべた。


「もう一つうかがってもいいですか?」

「何かな?」

「今日のおとのライブに顔出します?」


 宮川氏は意外そうな顔をした。


「君、おとの知り合い?」


 どうやら直感は的中のようだった。


「古くからの付き合いですよ。と言っても、今年に入ってからの半年程度ですが」

「それって一般的に浅いって言いませんか?」


 横から宮澤君が、すかさず突っ込みを入れてきたので、べしりと額をはたいてやった。宮川さんは晴れやかに笑う。


「僕が留学してた間に知り合ったんだね。しかし意外だな。あいつジャズ部だし、学外でやってるのもロックだろう? 知り合う機会がよくあったもんだね」


にはお世話させていただいてます」

「あははは! 確かに音が君を世話できるカンジではないなぁ」


 よくよく見れば服の好みも顔立ちも、そっくりだ、この。そりゃあ、デジャ・ヴュもおぼえるというものですよ。





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