1.ライブ

2.ずいずいずっころばし






 ――空気の振動は、結界のように人を包む。


 つまり、「音」とは空気に溶けるものなので、こごった「音」が無闇矢鱈むやみやたらと放出されたあかつきには、空気が汚れて、全人類の肺がイカれる。それはすでに公害だ。だからやめてもらいたい。


 下らない「音」をき散らすのは、大抵が精神的若造である。連中と音楽をやるというのは、それはそれは根性と忍耐を必要とすることであって、そのハードさ加減は、実に子育て並みだと思う。そして未熟者を見護るのに根性が必要なのは、己自身もガキだからだ(そんなことは、重々承知している)。ガキは成長するごとに、成長していない奴に対して寛容ではなくなる。半端な成長をした者ほど、他人の欠点が許しがたくなるものなのだ。だから、いつまでも「精神的若造」のままではダメだということだ。


 彼等はよく「音楽」を「手段」と勘違いしている。


 「情熱をかたむける」という美しい大義名分でカバーされたその行為は、ストレス発散とか、性欲発散とか、それから他にも色々あるけれど、つまりはそういった諸々に他ならない。


 それは、根本的なところで、全く間違っているんだ。


 「音楽」というのは、ローマのいにしえから教養自由七科に加えられている、由緒正しい「科学」なのだ。「手段」扱いなんてナメたマネをしていたら、ミューズのお怒りを買ってしまうし、なんなら大神ゼウスに雷を落されるハメになるぞと言ってやりたい。


 「音楽をやる」というのは、果てしない修行の道程のもと、苦渋をめ続けるということだ。



 そして忘れてはいけない。

 でも、。それこそ、音楽が音楽たるなのだ。



         †


 ――これは、私の言葉じゃない。


 耳にタコができるほど、繰り返し聞かされたこのセリフは、いまでも時おり、私の頭の中で勝手にしゃべりだす。もう、語る声すらあやふやだというのに。


 担任が言い渡したホームルーム終了の声とともに、教室は椅子をひいて立ち上がる音と、クラスメイト達の楽し気なおしゃべりの声でいっぱいになった。だからまたあの言葉を思い出した、というのでもないけれど。


 遅ればせながら、私も周りに続いて立ち上がる。すこしばかりの憂鬱ゆううつを飲みこみ、愛用し過ぎて、付け根から紐が引っがれそうな、古いショルダーを右肩に引っ掛けなおして、ひとり教室を出た。部活に急ぐ運動部のみなさんの流れに逆らうようにして、いつもどおり、特別棟へ続く二階渡り廊下を、やる気なく渡る。


 この渡り廊下は、通称「ギャラリー」と呼ばれていて、壁には何枚かの油絵が飾られている。美術の授業を選択している学生が描いたものだ。


 右手から差す西日がまぶしくて、思わず眉をしかめた。


 この時間の光を目にするたび、昔食べた、あまりおいしいとは思えないオレンジのコンポートを思い出す。汁に漬けたタイプのものではなくて、砂糖漬けの、硬いゼリーみたいなヤツのほう。西日の色味が、それに似ている気がするから。


 歩いている内に、制服のスカートがぺたぺたと内腿にからみついてきた。校舎の中がやたらと乾燥しているためだ。して、これが実に私好みでない。舌打ちしながら、スカート裾を膝で蹴り上げるようにして歩き続ける。そろそろ一年で最も水気の多い季節になるが、それはそれで、べたべたと内腿うちももにからみつくので、不快さになんら変わりはない。冬は乾燥度がまして、静電気でバチバチとくっつくから、さらに悪いことおびただしい。なので、私は冬と夏が大嫌いだ。冬が嫌いになったのは昨年からの話だが。


 ずいずいずっころばしを、無意識に口ずさむ。


「ちゃっつぼーぉにおーわれってとっ、ぴん、しゃん。ぬっけたーぁらどんどっこしょ」


 ――あの歌、裏の畑で茶碗を割ったのは、誰だったのだろう? 


 ぼんやりと考えていたら、ついでに、あの日佐久間さくまさんが連れていた男のことを思い出した。あれは、冷え込みのきびしい年末だった。


 何だか、ずいぶんとした黒髪の青年だった。佐久間さんの隣に並んでいた彼が、視界のすみで、静かに泣いていたことだけは記憶している。なんだか、光が白く彼の顔を照らしていたせいで、どんな顔をしていたかは全く憶えていない。ただ、あんたが泣くのかと、そう思った。


 白と黒のコントラストは、際立ちすぎると、ひとの輪郭をぼやけさせてしまうのかも知れない。なのに、印象としての焼き付けられ方はすごいから、その時のビジョンを、私は忘れられないでいる。


「ずーいずーいずっころばぁしごぉまみっそずい――」


 あの日、茶碗は、かっちゃん、と味気なく割れた。


 階段を駆け上がる。自分の立てている音だが、本当にやかましい。バタバタと走る色気のないゴムスリッパは緑色で、これは学年ごとに色が違う。一年は紺で二年は海老茶。そして三年が緑だ。公立高校で採用される小道具は、大概たいがいがこんな感じで、センスなんか欠片かけらもない。コスト重視の実用一辺倒だ。こういう味気ないものに対して愛着が生じるのは、「想い出」と名付けられた過去の彼方のポートレートに成り果ててからでしかない。現実にこいつと付き合っている我々現役高校生にいわせれば、情緒どころか、実際には実用性にも欠ける欠陥品に過ぎないのだ。冬場は無駄に爪先が冷え、便所掃除の当番に当たれば、びじょびじょに靴下が水を吸い込んでくれる。ゴム製なのが役に立っているのかいないのか、至極疑問を抱かせる代物なのだ。


 ようやくの思いで、三階にまで、たどり着いた時には、大分息が切れている。この年で運動不足は、あんまり実感したくないものだ。一つ大きく息を吐き、階段の前を貫いている廊下の左方に首を、すい、と向けた。


 音楽室は、この廊下の突き当たりにある。 

 音楽室に至るためには、右手にと並ぶ個人レッスンルームを一通りめてゆかねばならない。遠近法の素描には持ってこいの扉が、ざっと見積もっても十は続いている。艶消つやけしをしたメタリックホワイトの長方形は、安っぽいアルミの銀に縁取られて傷だらけだ。まるで救いがない。


 左手に目を向ければ、窓ごしに、さわやかな五月の中庭が見下ろせる。この学校は高台に建っているから、そのさらに先に広がる見慣れた風景も、なかなか悪くない。

 てくてくと廊下を歩いて、最奥にある音楽室前までたどり着くと、開け放たれていたドアから、ぺたり、と一歩、なかへ足をふみ入れた。



「――……。」

 一瞬、しんとする。



 部員達がちらと私を見て、すぐに視線をそらした。


 別に、気に留めるようなものなど何もない。これも、いつもの見慣れた風景だ。ふいにホルンの音階スケール練習が鼓膜にとどく。Dが曖昧にぶれた。それが――少しだけ馬鹿馬鹿しかった。


 音楽室では、すでにファーストヴァイオリンのパート練習が始まっていた。今年の一年生に一人、破格に上手い男子がいる。おかげで、今の音楽室に立ち込める「空気」は、すこぶる居心地がいい。


 鞄を机の上に投げてから、楽器を取りに行こうと顔を上げて、ふと、何やら楽器庫の中が騒がしいことに気付いた。どうやら中でベースパートとチェロパートがつどっているらしい。それぐらいは声で聞き分けられる。一体何をしているのかと、首だけ、ぬう、と突き出してのぞいてみた。



 刹那。

 くらりと眩暈めまいが襲った。



 視界が白と黒のコントラストで染まる。首筋が、冷えてひどく脈打つ。光の底にいる、あなた。


 ねぇ、

 ――あなたは、一体誰?


 はっとして、息を吐き出した。実際に、いま私の目の前にあるのは、普段と何も変わらない、いつもの風景だ。トゲや、反発や、違和感なんかを、目一杯抱え込んだ眼差しで、部員達が私を見ている。ただそれだけ。何も動揺する理由なんてない、だのに――動悸は激しく聞き分けない。


 今のは、一体何だったのだろう。

 幾度か瞬いて、ようやっと正気を取り戻す。


 改めて見ると、普段と違うものは確かにそこにあったのだ。

 そこでは、見慣れぬ男が二人、うちの部員に取り囲まれていた。




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