50  わたしは、あなたのアクセサリーじゃない 2


「どうしたの? 亜紀」

 母の口調だけ、やさしい。目は、そうじゃない。


 伯父の家の二間続きの和室に、居心地のよくない静寂が流れていた。

 仏間の側には亜紀と伯母さんと、亜紀の母がいた。

 座敷と呼んでいる側には、祖父と父と伯父がいた。

 さっきの亜紀の一言で、全員が亜紀を見ている。


 正座した亜紀の手は、ひざの上で震える。声も、かすれる。

「……合格できてから、言おうと、思ってた……、けど。今まで、ありがとう、ございました」


 考えていたことなのだ。

 声に出せば、かえって落ち着いた。

 言いはじめたのだから、後戻りはしない。どんな、みっともないことになろうとも言い切る。

 

「もう~、何、マジメな顔して~」

 母は茶化してくる。

 それには、同調しない。 


「お母さんの、うれしいことと、わたしのうれしいことって、ちがう。お母さんが、わたしの大事なものを壊したとき、わたしは、とても悲しかったんだよ。お母さんは、わたしが人の自慢になることをした時だけ、満足そうにする。でも、本当に、よろこんでなんてくれてない。わたしは、付けたり外したりする、お母さんのアクセサリーじゃないよ——」


「……」

 伯父も伯母も祖父も父も、黙ったままだ。


 母は何か言おうとしてか、金魚のように、はくはくと口を動かしていた。


 沈黙を破ったのは祖父だった。

「――亜紀ちゃん、亜紀ちゃんが欲しかったのは振袖では、なかったねぃ。着物、じいちゃんが預かっとく。必要になったら、取りにおいで」


「何、何なのよ」

 やっと母は声をしぼり出した。


紀子のりこは更年期でっ! すいませんっ!」

 父が畳に頭をすり付けた。


(いや、更年期のせいじゃないから、父)





 家までの帰りの道のりは、後にも先にも家族史上最悪だったと思う。


「何よ、あれ……」

 助手席で母が荒れている。 

「ご立派なことね、じゃ、これからは、一人でやっていくわけね」

 母は、後ろの席の亜紀に当てつけた。


「……」

 亜紀は黙った。

 これ以上、口を開いたら母の怒りの火に油を注ぐ。


「お母さんに恥かかせて楽しいのっ」

 母は、ぎゃんぎゃんわめいた。


 

 トイレ休憩のために、亜紀たちの車は高速道路のサービスエリアSAに入った。

 亜紀がトイレから出ると父はいたが、母はまだだった。

 しばらく待つが、母は来ない。


「……お母さん、遅いな」

 父がつぶやく。

「たぶん」亜紀は推察した。「わざと」 

 亜紀は自分のいやな部分を増幅すると、母の行動が理解できた。


「もうちょっとかかると思うから、なんか食べとこうかな」

 出店から、たこ焼きとかホットドックとか、いい匂いがしてきていた。


「お父さん、横であれだけわめかれて、運転できるの?」

 母がいると聞けないことを亜紀は聞いてみた。


「あれで、眠気覚ましになっていいんだよ」


(どんだけの眠気覚ましだ)

 ちょっと呆れる。

「たこ焼き、食べたい。お父さんは?」

「焼きそばかな」


 亜紀と父が、たこ焼きと焼きそばを買って車に戻るとき、トイレから母が、ゆうっくり出てくるのが見えた。

 気づかぬふりで、亜紀は後部座席に乗り込む。


「やだ。匂いがこもってるわよ」

 助手席に戻って来た母が、ソースの匂いに顔をしかめた。

「お母さん、どうぞ」

 父が、焼きそばの包みを母に差し出す。

「いらないわ」

 つんと母は、包みをはねのけた。

「そうか。じゃ」

 父は、さっさと焼きそばを運転席で食べだした。


「……亜紀、東京の大学に行くのか?」

 食べながら、亜紀に話しかけてくる。


「んん、わからない。でも、東京は美大がたくさんあるから、候補には入れたい」

「もし」

 ずずず、と父は、焼きそばを食べ終えたらしい。

「亜紀が東京の大学に通うことになったら、お父さん、東京に移動願いを出そうかな。東京で亜紀と暮らそうか」


 沈黙。


「え」

 最初に反応できたのは、母だった。

「東京に転勤、するの」


 母の横顔が亜紀からは逆光気味に見えている。


「お母さんは引っ越しの必要はないよ」

 父の声は静かだった。

「今のマンションに、お母さんは住めばいい」 


 はじめてだ。

 亜紀は、父がこんなふうに、こんなことを話すのを、はじめて聞いた。


「亜紀も巣立つしな。いや、あかつきほしに入学したときに、もう巣立っていたのかな」


「わ、別れるの?」

 母の声がふるえ出した。

「いや? そこまでは考えていなかったが」

 父は、とぼけているのか。


(いやいや)

 亜紀は動悸がしてきた。


「そん、そんなこと」

 たぶん、母は涙目になっている。

 ルームミラーに映る父の顔は特に、いつもと変わりない。


「落ち着いて映画を観たいんだよね。いい加減」


(そこ?)

 亜紀は割りばしでつかんでいた、たこ焼きを、思わず、後部座席の足元へ取り落とした。

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