38  恋だとか、恋じゃないとか 3 〈青木美馬〉

 今年の梅雨は長引いた。夏のはじめまで引きずるのかもしれない。青木と小日向は、雨脚が弱まったところを下校した。


「ぼくも運動とか、はじめようかな」

 唐突に、小日向が言い出した。

「それか楽器、習おうかな。ピアノなら小学生までは、やっていたんだけど」


「なんか、あった?」

 青木は、カサの陰になった小日向をのぞき込んだ。


「いや、お茶てるだけじゃだめなんじゃないかって」

「どした?」

 青木は小日向の梅雨空のような、どんより感に気がついた。


 いや、こう雨が降り続いては気持ちも沈もうというもの。

(しかし、小日向理央こひなたりおには、一定周期で落ち込み期間が巡ってくる)

 少しは長い付き合いで、青木は知っている。それは例年、小日向の母親の命日辺りだったりした。小日向自身は、母親の死をよくは覚えていないらしいが。

(まだ、その季節じゃない。早いぞ)


白亜紀はくあきが桐野先生の甥っ子をモデルに作品を描いているって」

 ぼそっとつぶやいた小日向に、(それかー)と、青木は思いあたった。

白亜紀はくあき、教室でデッサンしなくなったし」


「画塾、行ってるからじゃね?」

「ほら。青木の方が近況、詳しい」

「それは同じクラスだから、ね」


 言おうか言うまいか迷う。青木は言うことにした。

「小日向、1回、ちゃんと自分の気持ちを白亜紀はくあきに伝えたら?」

「自分の気持ち?」

 小日向の表情はカサで見えない。


(わかってないはずないだろ。自分の気持ちだぞ)

「す、好き、とか」

(なぜ、オレに言わす)

 青木は自分のカサの陰で赤面した。


「好き、とはちがう。なんか白亜紀はくあきが他の奴を描くのが気に食わないだけ」

「そ、そういうの含めて、好きだろ!」

 思わず、青木は声が大きくなってしまった。

(家、連れて行ったろ。そういうことしたの、白井だけじゃん)


「いや。ただの承認欲求だ」

 小日向は、どうしてでも認めない。


「じゃあさ。本命は仲村先輩なわけ?」

「なんで?」

 小日向がカサをあげて、青木を見てきた。

ちまたのウワサ。おまえの『在学中は特定の女子と付き合わない』宣言は、仲村なかむら先輩向けの公言じゃないかって。仲村先輩、最後のあかつきほし女子の代表者たる立ち位置で下級生男子と交際できないって、しがらみ」


 仲村先輩は、あかつきほし男子が1回は惚れるという伝説の美少女だ。かくいう青木も。


「おもしろい説だね。どこから見ても、うちの父親の陰謀なんだけどな」


 小日向の父親は、暁の星共学化に動いた地元の名士だ。


「仲村先輩のことは尊敬してる。彼女は、世間が求める〈暁の星女子〉だ。なんか、時々、うちの、さやかさんに似たところあって苦手だよ。先入観かもしれないけどさ。生粋の暁の星女子っぽいとこ。死んだ母も、そうだったら笑えるけど」


 ちなみに、さやかさんというのは、小日向の継母だ。小日向の亡母、継母、同窓生というわけだ。

 

「ぽくない女子がタイプだから、白井さんなのか」

「だから。ちがうって言ってるだろ」

「誰なら好きなんだよ」

「外見だけなら桐野きりの先生がいいな」

 しつこい青木に、小日向が悪ノリした。

 たしかに、桐野先生に憧れる生徒は多い。男子、女子に限らず。


って」

 青木はカサをゆらして笑った。

「桐野先生か―。黙ってくれてたら〈聖女〉なのに、はキビしいよな。1回、課題の提出まるっきり忘れてたら、呼び出しかかって——」

 青木が、中等部の思い出を語ろうとしたときだ。


「呼びましたか? 先輩」

 青木と小日向の後ろから、涼やかな声がした。


 桐野薫きりのかおるが立っていた。


 よく風紀委員会の目をすり抜けてきたなという、伸ばしっぱなしの明るめの髪。ゆるめたネクタイ。下級生にしては、ふてぶてしい服装なりの桐野は、16本骨の渋めの緑色のカサの中棒なかぼうを肩で支えていた。

「桐野って聞こえました」


「わわ」

 青木が青ざめる。


桐野きりのかおる君? 桐野先生の甥の」

 察しの良い小日向が気づいた。

「吹奏楽部のホルンだよね。期待の星って評判だよ。ずっと楽器はやってたの」


「ピアノとギターを。学校では、やったことのない楽器をと思って」


「桐野先生の甥って、言われるのも飽きてはいるだろうね」

「はい。なかなかに叔母でして、縁遠いんですよね」


(うわ、お互い、会話の中にトゲ、ないか)

 青木は、そのまま観察に徹っすることにした。

 新たな人物の参入で小日向のグダグダは、どうやら影をひそめた。

(ほんとに外面ソトヅラいい奴だ)

 

 桐野がカサを高く上げて、くるりと青木を振り向く。   

「バス通りまで、ご一緒していいですか。青木先輩」

 いつの間に、この後輩は小日向の名はともかく、青木の名前まで把握したのだろうか。


「桐野君、美術部のモデルをしたんだって?」

 小日向と桐野は談笑しながら、坂道を下りはじめた。


(そして、そのソツのなさ、似てんじゃないか? おまえら)

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