28  アトリエ ニケ 2

 亜紀は、辰巳たつみ君と呼ばれていた男子のうしろについて行った。

 アトリエニケの2階に上がる。


 2階の間取りは扉なしで、ゆるく仕切られてはいた。

 一方の壁にはロッカーが並んでいる。一方の壁にはイーゼルが立てかけられている。その他の壁の棚には石膏の立方体とか、瓶とか、ドライフラワーとか、絵のモチーフだろうものが並べられていた。 


「……今、これを描いている」

 男子が指差したテーブルには、荒縄の束とタワシとガラス瓶が置かれていた。

 そばの机には、その描きかけのデッサンがクリップでカルトンに、はさまれていた。


「すご」

 亜紀は息を呑んだ。

 うしろから二家本先生が、そうでしょう? という顔をする。

辰巳たつみ君は、大手の美大受験コースで、みっちり基礎、叩き込まれてるから。白井さん、参考にするといいよ。辰巳たつみ君、今年こそ、がんば」


「ですね……」

 若干、けむたそーな目線をはした。

 口数、少ない。

 しかし、デッサン、うまい。


(えー、ここを、こうやって、そこを、どうやって)


「ま、今日は気軽に一日、石膏像、描いてみて。まず、面取り石膏像から」

 二家本先生、言ってることと要求していることが、ちがう気がする。


辰巳たつみ君、並走したげて」

「……はい」

 ともかく、亜紀は描くことにした。


 まず、午前9時から昼までだ。

 休憩のタイミング自由。飲食自由。そう言われたが、気がつくと12時になっていた。


「……白井さん。お昼は」

 二家本辰巳にかもとたつみに言われて、はっとなる。


「お昼休みに何か買ってこようと思っていました」

「近くのパン屋か弁当屋、教えようか」

 親切な人みたいだ。口調は重いけど。


「パンにしたいです」

 がっつり弁当を食べる心地になれない。

「じゃー、ついてきて」

 二家本は深緑のコートをはおった。亜紀も学校コートを着直して、外へ出た。


 アトリエニケから角をふたつ曲がったところに、パン屋があった。駐車場もありそうにない小さな店だった。

 『ミツバベーカリー』と瓦屋根に看板がのっかっている。

 中をのぞくと、昔風のショーケースの中にサンドイッチが並んでいた。小さめの赤飯弁当なんてのもある。

「わ」

 亜紀は食欲ないと言ったのに、赤飯弁当と野菜サンドイッチを買ってしまった。

 二家本は、ハムカツコッペパンとメロンパンを選んでいた。


「コッペパンも、おいしそうでしたね」

(買えばよかったかなー)

 そんなに買っても食べきれないのに、亜紀は悔やんでいた。


「……明日もんなら、明日、買えば」

 二家本が亜紀を、ちらりと見て言う。

「あ。そーですよね!」

 明日もアトリエニケの冬期講習はある。無料タダで。


 そんな亜紀を、どうしてだか二家本は、あけすけにみつめてきた。そして、ぼそっとつぶやいた。 

「……思ってたのとちがう。……白井亜紀しらいあき」 


「は?」

 ここで、亜紀は、この男子が会った瞬間、なんだか言葉を失っていたのを思い出した。


 ふぅぅ~と、二家本は深い息を吐いた。

「……君、中学の時、デッサンのコンクールに入賞してるよね」

「あ、はぃ」

「……あれ、オレも入賞してた」


 亜紀は中2のとき、全国規模のコンクールに自画像が入賞している。


「あの自画像の方が、かわいくないか。白井さん、……ナルシストだろ」



 

 二家本辰巳にかもとたつみは寡黙な人ではない。

 よけいな口数が多い。




 それから、夕刻まで亜紀はデッサンに没頭した。


 講習会の締めくくりは、先生による講評だ。


「ん」

 二家本先生は亜紀と二家本辰巳のそれぞれのデッサン、クリップで留めたカルトンをイーゼルに立てかけ、遠くから近くから、まさに、ためつすがめつという具合に眺めた。

「ん~。ははっ、デザイン科志望と油絵科志望のちがいのお手本みたくなった、ね。ね!」


 二家本先生は、めちゃくちゃ快活に講評をはじめた。

「白井さんは、正直に明快に捉えてる。 コントラスト、もうちょっと強めに出してもいいよ。直感で、デザインの方が自分に向くって思う? 直感で——」

 

「講評は、メモる……」

 亜紀の隣りで二家本辰巳がつぶやいた。

 あわてて、亜紀はデッサン用鉛筆を握り、自分のショルダーバックから空色のリングノートを取り出した。



「では、これにて講評、終わり。また、明日あした





 亜紀がアトリエニケを出ると、空気が冷たかった。外は、もう暮れかけていた。


「白井さん。駅前のバスターミナルに行くの? バス停なら、こっちが抜け道……」

 二家本が、ちゃりちゃりと自転車をついて追って来た。


「大通りを歩いて来たんですけど」

「……暁の星の寮生だっけ」

「はい」

「……歩いて帰るつもり?」

「はい。バス待っている間に、半分の距離行けそうで」

「じゃ」

 すいと、二家本は自転車に乗って先に行った。


 亜紀は、てくてくと歩いた。

 速足で歩けば、ひとバス分くらいはすぐだ。暁の星学院前のバス停と坂道が見えてきた。

 坂道をあがろうとしたとき、向こうからライトをつけた自転車が降りてきた。

「いっ」

 亜紀は、つい声をあげてしまった。二家本だったからだ。

 ちらっと二家本は亜紀を見て、そのまま去っていった。



「ぎゃははは」

 帰ってから、そのことを奥山に話したら爆笑された。

「ストーカー? それともナイト騎士?」


「自画像のわたしのほうが、かわいかったらしいです」

 あの言い方はどうなんだ。亜紀は、むくれていた。


「なんかー、白井の周辺て、おもしろい人が集まる気がするー。飽きないねぇ」


 それは、奥山部長のことも入ってますかと亜紀は聞きたかった。

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